《夜エッセイ 夜なのに何だか激辛口トークだったり》

 

何でも消せばいいというもんじゃない。

カルマも、ただ解放すればいいというもんじゃない。

 

カルマが雁字搦めの状態で生きているのは辛い。

辛いけれど、ある意味夢中でカルマで生きられる。

 

カルマを解放したり

エネルギー的に整えるのと

同時に取り組んでいくのが重要なのは

 

自らの使命です。

 

使命ってのも、使命と書くだけでは

随分勘違いされてしまいやすいのだ

ということが、最近判明したので

 

私にとっての使命とはというところを

簡単に説明すると

 

使命というのは

やらなくちゃならないような強迫観念的なものや

しないとどうにかなるような契約とは違います。

 

その時々の自分という最高の光を

全力で全うし顕現していくことによって

新たな使命に導かれていくのです。

 

使命を行えば行うほど

もっと深淵なる自分に出会い

自分を知っていきます。

 

そうしていきながら

使命自体のスケール感が上がってきて

すべての地球上での人生すべての自分が

一斉となって協力しているような状態になり

 

地球に何しに来たか。

というような壮大なスケールになっていきます。

 

使命とは、我そのもの。

使命とは、喜びそのもの。

 

使命と我と喜びは

一体となって流動性に満ちながら

発展していくのです。

 

さて。どんな手法でもいいけれど

カルマを解放してきたとします。

 

そうするとカルマが無くなるわけだから

執着が無くなります。

 

そのうち、この世にですら、執着が無くなります。

 

ここで生き方は2つに分かれます。

『己を知ろうとせず、生きることの無意味さ、空虚感を感じながら、ただ、淡々と生きるか』

『己を知り、自分の生きる使命を見出し、苦楽を超えた幸せと充実とともに、喜びに生きるか』

 

前者は、挑戦ではなく、停滞によって起こります。

後者は、挑戦によって、変化することによって起こります。

 

そして、挑戦、チャレンジは、未知の世界に行くという

ことだから、課題や困難というところも同時にあるのです。

 

停滞を選び取るのが悪いことじゃない。

そういう人生を選び取るのが悪いことじゃない。

どの人生を選んでもいい。

でも、停滞を選んでおいて、人生に対する

空虚感を消してくれという願い。

それは、叶えることなど出来ない。

 

様々な願いを叶えることは得意中の得意です。

でも、使命に向かわず、空虚感を消すということ。

それは、できません。

 

『Ayaさんのエネルギーワークで

胸にある空虚感が消えましたでしょうか?』

と尋ねられましたが

はっきりと、それは消えませんと言いました。

 

(他のことに関してはワークが効いたとしても)

『空虚感に関しては、変わらないでしょうね。』

と言い放ちました。

 

冷たかったかね?

しかし、ホントの優しさって何だよ。

 

そのままではどうにもならない。

ということを隠して

気休め的に、『そうですね。空虚感も消えると思いますよ』

とでも言えば世間一般的には優しいのだろうか?

 

とてもじゃないけど、私は嘘は言えない。

そんな気休め的な優しさなど、わたしはいらない。

過剰に期待させることも出来ない。

マインドが満足するだけのセッションは

与えることは出来ない。

その方の魂の声を無視することは出来ない。

 

良くも悪くも、本当のことしか言えない。

その、空虚は、空虚のままでいいんだよ。

 

って、腹の底から思ってる。

空虚さも、絶望も、苦しい感情だけど

 

だからこそ、それが、その反対になることが

本当の自分の望みであるということを

教えてくれてるってことじゃないか。

 

何でも消せばいいというもんじゃない。

 

苦しさと絶望と空虚は

それらと対峙することによって

もっとも自らの望みが見えてくる大切な感情なのです。