《夜エッセイ  家族との触れ合い 喪失》

 

北海道から帰ってきました。

 

とても幸せな年末年始でした。

 

自宅では、両親の愛を目一杯感じながら

母の手料理を食べたり、湯たんぽを用意してもらったり

豆餅を焼いて食べたり、おせちを食べたりしました。

北海道の冬は、湯たんぽ無しでは眠れません(笑)

 

今回の帰省は、私自身も、自分の家系やルーツを

更に見直しベースを整えたいと思っていましたので

私の両親も一斉ワークに参加をしてもらうために

父から見た兄弟姉妹含む、父にとっての二親等

母から見た兄弟姉妹含む、母にとっての二親等の

名前を聞きました。

 

名前を聞くことで、自然と両親が

それぞれの家族の体験を、私に語り出しました。

 

父の話。

父には、弟が二人いましたが

一人の弟は、白血病で5歳の時に亡くなっています。

 

亡くなる直前に、父の弟が入院していた病院に

父の知り合いのTさんが怪我で一時的に入院をしたそうです。

そして、その時に『また会おうね』と5歳の父の弟と

約束をしたのですが、結局、その約束は叶わず

父の弟は、その後直ぐに、亡くなってしまいました。

 

お葬式に、父の知り合いのTさんがやって来たと思ったら

『〜ちゃん、ごめんね。約束守れなかった。。。』と言って

人目も憚らず、大号泣されたそうです。

 

その場面を思い出したように話をした

父の目にも、涙が浮かんでいました。

 

幼い時に、父の弟が病気で

亡くなっていたのは知っていましたが

今回、初めてこの話を聞きました。

 

父に、レムリアングレース

という人間の根源的喪失感、否定感、孤独感を

深いレベルで浸透して癒していく

ヒーリングワークをかけながら

 

私自身も、人間の苦しみの中でも

喪失というテーマについて

考えさせられました。

 

喪失を癒すお手伝いも

多々行ってきましたが

愛する人を亡くした哀しみは

とてもとても深く。

 

私たちは根源的に一つで

どんなに本質的には失うものなど

何も無いのが真実だとしても

人間として深く愛した相手を亡くせば

喪失というものが生まれます。

 

つまり、喪失は深く愛した証でもあるのです。

 

亡くなったとしても

本当は無くなってなどいなくて。

 

そのことを知るだけでも

癒しとなる時があります。

 

私は亡くなった方の声を

聞くことができるので

シャーマンになる前から

時々、伝言するお手伝いはしてきました。

 

ある時、友人のお母さんが亡くなりました。

喧嘩別れをしたままで、お母さんがそのまま

亡くなったことをとても悔やんでいました。

 

そのお母さんの霊が私のところに来て

伝言を頼まれました。

『いつも喧嘩ばかりですまなかった。

愛していると伝えて欲しい。

私である証として、<海>といえばわかるだろう』

 

とても不思議だとは思うけれどと

慎重に前置きをして、私は友人にそのことを伝えました。

 

最初は信じていなかった友人ですが

『海』というキーワードを聞くなり泣き崩れました。

 

なんでも、家族で海に行った時が

一番仲が良かった時で、いつも写真立てに

海での笑顔の写真を飾ってあったそうです。

 

今は、伝言だけでなく

常に霊を昇華をする

ライトワークを行っていますし

時に、亡くなった霊とその人が

共に在れるようにしたりする

お手伝いもしています。

 

こうしたお手伝いの時に

大事にしているのは

喪失感を無くすことを

第一目的としないことです。

 

喪失感は苦しいので

深いレベルの癒しを行って

和らげていきますが

 

こうしたサポートの際に

私が大切だと思うことは

喪失自体が、愛した深さの証であるから

苦しみを和らげていきながらも

喪失が追憶に変わっていったとしても

追憶は消す必要もなく

 

追憶が有りながら

共に在りながら

過去ではなく

今を生きれるように

前に進んでいけるように

サポートすることです。

 

そうすることで

その人は本当の意味で

喪失を超えることができます。

 

離れたように思えても

ずっと一緒。

 

人と人との間では

必ず喪失や別れは起こりますが

もう、二度と会えない相手でも

触れ合った相手は

いつも自分の一部として共に生きている。

 

皆との触れ合いや

思いが詰まった私という人間を

大切に、大切に生きていきたい。

 

そんな風に感じる夜。