《本日のフリーダムメッセージ それでも、我が幸せの道を進みゆく》

 

人生、人それぞれ。

 

どんな道を歩んでいくか

どんな世界をつくっていくかは

本当に、人それぞれ。

 

アセンションが、より加速化し

何もかも、すべてが、望み通りに

幸せだらけになっていく人と

 

色々な問題や課題が浮上して

苦しくなっていく人と

 

その差は、益々、大きくなっていると

感じています。

 

二極化。

そういう言葉では

単純に片付けられないほど

コントラストは広がっています。

 

幸せを選び取るということが出来る能力。

それは、言葉を言い換えるなら

本当に被害者から脱却する決意です。

 

幸せになれない。。。

世界が幸せにしてくれない。。。

あの人のせいで幸せになれない。。。

 

そのように、誰かのせいにしていたり

世界のせいにしていたり

憎んだり、酷いと思っているうちは

世界は、自分で創りだしているという

根本に立てていない時

私たちは、自己創造の力を放棄し、失っているのです。

 

現状が、実際に幸せであれば

被害者にならないことは容易です。

 

問題は、現状が幸せで無い時にですら

被害者にならないでいられるか

そこが、要です。

 

今が、どうであれ

必ず、自分の幸せを創る!

 

全く、先行きが見えなくて

真っ暗な中を生きていたとしても

それでも、幸せになる決意を胸に

生きている時、わたしたちは、被害者から

常時、逸脱していることができるのです。

 

幸せじゃない。

つまり、これは、私が望んではいないこと。

 

それを、知った時には

これは、私が望んでいること。

 

というのも、とても、はっきりわかります。

 

わたしたちは、最もなる絶望

最もなる苦しみにいる時

 

同時に、その逆が、私の望みであり幸せだ!

ということがわかります。

 

その逆を実際に体験してみたら

そこには、そこの大変さというものもあったり

どこにも、光と闇が存在していたりもするけれど

 

最もなる絶望の最中に

思い描いていた自分の本当の望みを

生きることができている時には

 

喜びと幸福感に満ち溢れ

自分が創り出した道を

感謝に溢れながら、歩むことが出来ます。

 

今、目の前に繰り広げられている

自分が創った景色は

当たり前じゃないとよく知っているから。

 

苦労の分だけ、特別になる。

 

いつまでも、同じ景色を見ていたとしても

それが、当たり前じゃなく、ずっと特別だと

捉えていられるのは

 

過去生から、何回も、何十回も、何百回も

幾度も幾度も、同じテーマをトライして

全ては愛である中で

 

わたしたちは、自分にとっての答えを

見つけようとして、その答えを生きた時に

はじめて、すべてが愛なのだ。

そして、自分にとっての答えはこれなのだ

ということが、全部、連鎖してわかるからです。

 

特別など、一つもない中での特別。

 

わたしは、小さい頃から

ずっとこの言葉に惹かれています。

 

特別など、本当に何一つ無い中で

自分自身が、それを感じられて

他者との関わりの中に、それを感じられる。

 

そんな凄い設定を体験出来るのは

人間ならではの醍醐味です。

 

一つ、わたしの昔のエピソード。

 

わたしが18歳の頃

わたしの母は、相変わらず精神不調で

来る日も来る日も、何を話しているか

わからないことを、呟きながら

時に、それは罵声となりながら

家中に鳴り響いていました。

 

調子が悪いことは十分に知っている。

その面倒を見ている、父も大変なことも

これまた、十分に知っている。

 

だけど、わたしは、実家から出ていく

その決意をしました。

 

『ここから、脱出する』

 

親は、猛反対でしたが

実行すると決めたわたしを

止められるものは、誰一人としていませんでした。

 

『親を、見捨てるのか?』

『こんな状態の母親を置いていくのか?』

『困っている人を、助けないのか?』

 

罪悪感を抱いても不思議じゃない言葉は

本当に、いくらでもあったし

どんどん自分のやりたいことを

実際にやっていくことに対して

両親は、否定しかありませんでした。

 

世の中で、誰一人として、味方がいない時に

わたしは、自分で自分の幸せを選び取れるかどうか

そこに直面していました。

 

親だもの。どんなに憎くても、愛してないわけ、無いじゃない。

親だもの。どんなに酷くても、愛さないわけ、無いじゃない。

 

でも、愛しているからと言って

ずっと、北海道に留まり

自分の幸せの道を進まないという選択は

わたしにはありませんでした。

 

世界で、わたしの理解者は、わたし一人だけ。

それでも、わたしは、自分の幸せを生きる。

それでも、我が幸せの道を進みゆく。

 

誰かが、不幸せでいる時に

自分だけ幸せになるという選択を

し続けるということは、容易ではありませんでした。

 

それでも、自分が幸せであるという真実だけが

唯一の答えなのです。

 

結局のところ、母の精神病や、家族のすべてを劇的に

好転することができたのは、わたしが、共倒れを選ばず

自分の幸せを生きる選択をしたから出来たことでした。

 

これから、益々二極化して

色々な人が、色々な選択をするのを見るでしょう。

 

周りがどうであっても

あなたが、幸せになること。

それを、選び続けるのです。

 

愛が無い瞬間は、どこにもありません。

大局的な目線で見れば、それほどまでに

愛である瞬間はありません。

 

みんなを幸せに出来る人間というのは

自分を幸せにし続けられる人間です。

 

見捨てたかどうかは、目に見えない。

愛していないかどうかは、一緒にいるかいないかという

ところでは判断できない。

 

いつも、そこに、愛がある。

それを、見定めながら

あなたの幸せの道を

揺るぎなく進みゆくことが

世界を幸せにしているのです。