《本日のフリーダムメッセージ どの立ち位置にも、光と闇がある》

 

どの立ち位置にも、光と闇があります。

 

影響力の強い、有名人は、光り輝くステージに

立っているように思えるけれど

嫉妬されたり、悪口や批判を受けるのは当たり前。

 

ある程度の、サイキックアタックを受けるだろう

ことも、大いに予測できます。

 

経営者は、自分のしたいことに対して

世界が協力してくれるので、広い範囲に

自分の愛を届けることができます。

 

但し、どんどん挑戦していかなくては、衰退するので

常に自分を超えていかなくてはなりません。

 

他者を雇っていれば、そこに対しての責任が生じたり

他者を育てていくのに、自分の時間を投じなくてはなりません。

 

親が不動産の資産を持っていて

何もせずに、何不自由なく

働かずとも、楽して暮らしている場合

 

楽ではありますが

自分は何も成し遂げられていないという切迫観念と

自信のなさや、社会的な部分を切り捨てている

自責が発生しやすく、それを背負わなくてはなりません。

 

ライトワーカーは

世界や社会や他者に光を届け

愛である自分を感じて生きることができますが

 

ライトワーカー自体の愛が大きければ大きいほど

その愛の大きさを感じることは出来ますが

愛が大きければ大きいほど、世界から

愛を求められる規模も大きくなります。

 

世界から求められる愛に、須く応えようとすると

自分自身が消耗してしまい、心身に影響が出ます。

 

世界から求められない

と言うのは、それはそれで、自分には価値が無い

感じがして悲しいものですが

 

世界から求められることに対して

応えきれない、それもまた、悲しいものです。

 

自己愛と並行して、世界の求めに応えていると

必ずや、全てには応えられないと言うことが起こり

不十分しか与えられなかったという景色を観ることになります。

 

パートナーが居なくて一人だと

とても気楽で、すべて自分の好き勝手に

自由に自分の時間を過ごすことができますが

 

気持ちを共有したり、助け合ったり

共に、喜びと悲しみを分かち合ったり

男女の愛を育むということができません。

 

パートナーが居ると

違う人間同士、各々考え方が違ったり

好きなものが違ったりするので

一人の時よりも、他者に合わせることが

起こりますから、いつも思い通りにはいきません。

 

そう、一人より、二人の方が、思い通りにいかない。

でも、一人でいることを本当に終わらせて

一緒にいることの光も闇も抱きしめられたなら

その、思い通りにならない部分がことすら

愛おしさを感じるものです。

 

どの立ち位置にも、光と闇がある。

 

光だけを追い求めてみても

何処までも、そんなものは無いのだと

失望を繰り返して、こんなはずはなかったと

嘆いていくだけ。

 

嘆きが終わるのは

光と闇の両方を抱きしめて

その両方が自分に起こっても

自分にとっての幸せは、それなんだと

知ることなのだと思います。

 

その時、嘆きは終わり

幸せが広がります。

 

幸せは、光と闇の両方を

抱えられた時にしか起こりません。

 

何故なら、光だけを見て得た幸せは

つかの間の幸せで、とてももろく

崩れ去るからです。

 

何を選び取っても

闇が無い場所は存在しませんが

闇ごと愛して抱きしめた先に

闇を光に変えることは出来ます。

 

自分の望みの質を

確かめる時です。

 

闇を切り捨てた幻想を追い求めて

いるだけの望みなのか。

 

欠乏を埋める代償行為として

世界に承認を求めているだけの望みなのか。

 

それとも、闇も光も超えた先にある

幸せを求めている望みなのか。

 

答えは、あなたの内にありながら

外の景色に答え合わせのように

出てきます。

 

何度、間違っても

自分の答えが見つかるまで

世界は、教えてくれるのです。

 

あなたにとっての幸せとは

何ですか? と。