《本日のフリーダムメッセージ もっと愛したい》

 

今日、久しぶりに、大泣きをした。

 

ニュージーランドから一時帰国している息子と

触れ合いの時間を過ごしていた時に

急に背中の骨が痛くなって

夫に痛みの解放を手伝ってもらっていると

悲しみと痛みの記憶が襲いかかった。

 

どんな悲しみだったか。

それは、二人でいる時に、息子をもっと愛したかった。

母子家庭の時に、家にいてあげられなかった。

 

今も時々は会えるけれど

ずっと一緒には居られなくて。

 

もっと愛したいのに愛せない。

もっと、もっと、愛したいのに。

それが、悲しくて、ワンワン泣いた。

 

落ち着いたところで、息子に気持ちを伝えた。

『もっと、愛したかったのに、愛せなかったのが悲しい』

 

息子がきっと寂しがっていただろう。

という気遣いの話ではない。

母である私が、一緒に居たかったのに居れなかった痛み。

 

身一つで養うために、必死で働いて。

息子を守るために、自分の使命のために

本当に一生懸命働いて、彼の学校選びも苦労して

いっぱい愛してきたけれど、もっと、彼を愛したい。

わたしの心はそう叫んでいた。

 

息子に『ずっと一緒にいることだけが愛じゃないからね』

となだめられているうちに、落ち着いてきて

ふと、わたしは、疑問に思った。

 

既に愛であったこと。

それは、充分わかっている。

そうして、色々なことが幸せになって達成しても

『もっと、愛したい。』というのは、果たしてきえうせるのだろうか。という疑問である。

 

願いが、世界を創っている。

 

今の願いが、明日に向かって

かつての願いが、今を彩っている。

 

今が幸せで、幸せで仕方ない。

色々な願いが叶って

幸せな日々を過ごしていても

 

もっと、愛したい。

愛する。

人間の最もなる、生命の動機は

消え失せそうな気が全くしなかった。

 

愛しても、愛しても、愛したい。

愛したいという渇望は泉のように湧き出て

消え失せそうになかった。

 

使命を達成しても達成しても消えないのは

もっと愛したい。という願いは消えないから。

だから、わたしたちは、永遠なんだ。

 

永遠が地獄と思うか

永遠が天国と思うかは、人それぞれだけれど

色々なことが不明瞭になっていく世の中で

確かとなるのは、愛そのもの、光そのものである自分。

 

虚の宇宙との統合が起こっている。

何も無い。それを完全に受け止めた時に

人々は創造し始める。

 

そして、創造は何から生まれるか。

愛したい。愛し合いたい。

全ては、ここから、生まれる。

 

泣き疲れて安心したら

お腹が空き、お腹が空いたので

ご飯を夫に作ってもらい

家族皆んなで肉じゃがを食べて

食べたら食べたで眠くなったわたしは、意識の片隅で

近日提供予定の、虚無のワーク トゥルーカンパネラに

愛したい。愛し合いたいという真実のエッセンスを

入れ込むのだと解った。

 

泣き疲れるほど、泣いたけれど

LOVINGの開発をしていたのだ。

 

虚無に打ち勝つのは、愛したい。という真実の願い。

その願いが、わたしたちを今日も生かす。