《本日のフリーダムメッセージ》

~ 一枚板 〜

 

次元が上昇し
容易に実現しやすくなっています。

日を追うごとに
時間ではなく
意識に力があるのだという
真理がそのまま反映されているのです。

そうして
制限が外れていき
自由になっていけばいくほどに
選択肢が増えていきます。

自由という言葉をきいて
どう思うでしょうか。

とても感じの良い言葉であるので
様々な人が
様々なニュアンスで
自由という言葉を使います。

しかし、次元上昇においての自由とは
良いことだけではなく
個々の責任によって
どんな風にも生きられることを
意味します。

光闇の幅が増すのです。

どんな風にも生きられるとなった時に
知っておきたいことは

最も際立つ光と
最も際立つ闇とは
表裏一体であるということ。

どんどん光になってゆけば
安全なのではなくて
同量の闇も存在するので
それだけの責任も発生する
ということです。

知らなかった時には
知らなかったで済まされたことが

知ってからは
知ったものとしての責任があります。

力を持たなかった時には
力が無かったで済まされたことが

本来の力を取り戻してからは
その力を何に使うか問われます。

どんどん、ありえないことや
不思議なことが出来るように
なればなるほど

他者に賞賛され
崇められることも
発生してきますが

その時、自分はどう在るのか
ということも問われます。

劣等感が強かったり
認められることが少なかったり
自己否定が強かったり
していた経緯があればあるほど

特別意識であったり
優越感に転びやすいと
いうことも知る事です。

劣等感に居れば
安泰だと思ったら
大間違いです。

劣等感に居れば居るほど
状況が変わった途端
一転、優越感に転じる光景を
幾度も観てきました。

ですから
謙虚さと劣等感は
全くの別物です。

謙虚さとは
ニュートラル
ポジションに居て発揮できるもの。

そこには、上も下もありません。

新しい概念かもしれませんが
そうすると傲慢の定義も
自ずと観えてきます。

傲慢さとは劣等感と優越感の両方です。

ベクトルが違うだけで
それらは同じものであると
知ることです。

自由の扉がどんどん開き
実現していった時に
自分の望んだ通りに
状況が自由自在になっていきます。

そうした時代だからこそ
変わらぬ我という
ニュートラルな
一枚板の上に居れるかどうかが
鍵になってきます。

一枚板から降りたとき
状況に飲まれてしまうのです。

自由であるということは
責任も伴うということ。

状況に飲まれないとは
ネガティブな状況だけを
さすのではありません。

ポジティブと思えるものにも
足元を掬われる要素は
沢山あります。

あなたがあなたを見失わないで
あなたを生きること。

感謝を忘れないこと。

どんなに景色が変わり続けても
一枚板に乗り続け
自分で生き続ける鍵は

ニュートラルという謙虚さと
感謝です。