《本日のフリーダムメッセージ 世界が教えてくれたこと》

 

北海道から、東京へ戻ってきました。

昨日の一斉LOVING。

ご参加くださった方、ありがとうございます。

調整の方は、本日一日調整が入っています。

 

高次元領域を余りに沢山使ったために

人間の私は、一日中、眠くて眠くて

起きていられず、他のことが何もできず

ほとんど寝ていました。

 

そういった状況を予知していたかのように

4日、5日と、温泉の宿に泊まっておりましたので

温泉宿からは、一歩も外を歩きませんでしたが

食べて、寝て、温泉に浸かる。

を繰り返していました。

 

一斉LOVINGですが、早速、ご感想を頂戴しています。

自分だけでなく、他の方の感想を見てみるのも

良い勉強になるかもしれません。

本当に感謝といっても、様々なシェアがあります。

《 ゾロ目LOVING55 Chain of happiness 感謝の連鎖 》

 

 

当日の反応として、エネルギーワークを体感できない方でも

結構多い反応としては『眠い』というのがあります。

 

これは、とても多い傾向で、私のエネルギワークは

とてもパワフルなため、それに対応するべく

眠い、もしくは本当に寝ちゃう。

といったことが、その方に必要であった時には

よく起こります。

 

寝ている時というのは、起きている時、顕在意識が

活性化している状態では、受け取れないものを

受け取ったり、起きていると、顕在意識が抵抗してしまうので

寝ている方が受け取れるといったことはよくあります。

だから、寝ちゃっても大丈夫ですよ。

 

感謝と誓願達成のワークを行わせていただき

この一斉ワークのご報告でもあり

皆さまに、お伝えしたいと思ったことがあります。

 

これからの時代。

感謝は人によっては、実はどんどん希薄化する可能性があります。

感謝を抱きながら、生きられるかどうかは

あの時の愛、その時の愛を

愛のままで、受け止めたままでいられるか。

ということが、とても重要であるということです。

 

これは、愛に形をつけない。

二元性の愛というところから

脱却しているかどうか。ということも

要でもあるのです。

 

一体、どういうことか。

説明していこうと思います。

 

わたしたちは、今までに無い

大変容の時代に突入しました。

 

この数年間も、そうでしたが

これからの数年は、益々、各々がそれぞれにとっての

真実が何であるか。自分にとっての愛の表し方が

何であるか。ということを問いかけ続けながら

人生を歩んでいくことになります。

 

つまり、どんなことが自分にとっての愛であるか。

というのは、刻々と変化し続けるということなのです。

 

例えば、ある例えを見てみましょう。

 

あるところに

『全然、エネルギーがわからない』

『色々な講習を学んでも、何をしても、チャネリングができない』

『本当に、心底愛された経験が無い』

という人がいたとします。

 

この人は、何を望んだか。

様々なスキルと、サイキック能力の向上。

そして、自分をひたすら愛してくれる存在。

そういう指導者を望みました。

 

それは、全て叶えられ、手に入れたとします。

 

そう、全てを叶えて、手に入れた。ここまでは良かった。

ここからが、感謝が消滅するかどうかの分かれ目です。

 

この人は、望み通り、十分に

『色々、丁寧に教えてくれる愛』

『色々、何でも与えてくれる愛』

というのを手にいれました。

 

そして、十分に手にいれたため

本人が進みたい、与えられたい愛の有り様が

『出来るだけ、放っておいてほしい』

『出来るだけ、見守っておいてほしい』

という、形に変化したのです。

 

これは、幼少期から青年期の過程において

親との自立を正常に行えなかった人が

指導者に対して出してくる

感情プロセスの代表例で

とても健康的なことです。

 

ただ、与えられる。というところから

出来るだけ自力でチャレンジする。

というように、自分が愛と感じる

愛の形が変化したのですね。

 

意識レベルが、もっと、熟成してくると

自分だけで頑張るというところに偏らず

与えられることも、感謝を持って受け入れながら

自分も自力で頑張るというバランスが取れてきます。

これが、協力ということが出来る意識状態です。

 

このように、プロセスの最中

自分が今望む愛の形というのが

今までとは、全く逆のものに変化するといったことは

珍しいことではありません。

 

問題は、自分が望む愛の形が変化すること自体ではなく

変化した時に、自分の望みの方が変化したのだ。

自分の望んだ愛の形が変化したのだ。

という自覚と自分の変化に責任を持つことです。

 

この自覚が無いと

今まで愛を感じていた人を途端に

胡散臭く感じます。

 

愛というものを、形で捉えていればいるほど

そんなの愛じゃない。

見守ってそっとしておいて

くれることこそが愛なのだと大転換します。

そうして、今までの愛の育みを全て否定してしまう。

そうすると、感謝は起こりません。

感謝が起こらないどころではなく、相手を否定し続ける

ということも起こり、自分の正しさを主張し続けます。

 

努力することこそが良い。

努力は古い、頑張らないで生きるのが良い。

 

外側ではなく、内面的に癒すことこそが重要だ。

現実的に、実現することこそが重要だ。

 

機能性、利便性に優れていることは重要だ。

物や人間との触れ合いの希薄化は問題。

丁寧にスローに生きるのが重要。

 

世の中、探せば、いくらでも

二元性の片方のどちらかを良しとしている

主張というのが、存在します。

これらは、対立しているように見えて

お互いにバランスをとっています。

 

二元性的なものというのは

どちらか片方に完結はしません。

世界には、どちらも存在して

初めてバランスが取れるのです。

 

とても大事なことですが

愛は、形では無いのです。

 

その時々の愛があります。

その時々に必要なものを受け取っています。

 

その時々の愛や、その時々の自分の真実というものは

自分が進む流れや、方向性を決めているのであって

それ以外のものも、愛でなくなるわけではありません。

 

それを、自分の愛の形が変化したからといって

方向性が変わったからといって

新しくなる度に、これは愛では無かったと

投げ捨てていては、感謝を抱く暇など存在しません。

 

感謝を抱き続けながら

生きる時というのは

愛を固定しません。

愛を断定しません。

愛を白黒で判断などしません。

だから、感謝が途切ることは無いのです。

 

自分の愛の有り様が変化したからといって

今までの愛を否定することもありません。

自分が欲しい愛の有り様が変化したからといって

今まで与えられていた愛を否定することもありません。

 

二元性的な感覚。

愛を形で捉えて生きていると

愛だったり、愛じゃなかったりします。

だから、感謝も抱けたり、抱けなかったりします。

ここが、大きな違いです。

 

特に、別れた相手と、愛し合った愛。

このことにおいても、感謝を感じられるようになったなら

自分の人生に、丸ごと感謝を

感じてしまうことが起こるでしょう。

 

人と人と触れ合ったり関わることができるのは

望みと望みの叶えあいなのです。

 

違う角度で、同じ望みを叶え合っている時

最も、近くで触れ合うことが出来ます。

 

お互いの望みが異なれば、別れることもある。

自分の望みの世界の中に、相手は存在できなくなるし

相手の望みの世界の中に、自分は登場できなくなる。

 

大好きな相手であればあるほど

それは、とても苦しいことでもありますが

どちらが、正しいかどうかとは、全く無関係に

お互いの創り出す世界に

お互いが存在できなくなったのです。

 

人が変わることを留めることはできません。

人の望みが変わることも

また、留めることは出来ません。

 

自分が出来ること。

それは、あの時の愛も

その時々の愛も、愛のままで受け止めること。

 

自分がどんなに変容しても

自分が望んだものが、世界に現れて

叶えてくれた事実を、感じること。

 

そうすると、自分が変わり

自分の方向性や望みが変わった後でも

それまでも愛と受け止められて

自然と感謝が沸き起こります。

 

願いが叶え続けられていく際に

感謝と共に在れる生き方というのは

自分の真実や方向性を、真実や方向性である

として捉えながら、全ては愛である

ということを、広げていけるということです。

 

怒りや、憎しみや、正しさも

人を動かす動力となるけれど

これからは、どの動力源では動けなくなる。

 

感謝を動力源として生きる時

途切れることのない

世界への顕現が始まります。

 

感謝とは、統合。

統合のエネルギーから

世界を顕現していく時代なのです。