《本日のフリーダムメッセージ 主張が足りない人 自分勝手過ぎる人》

 

自分勝手な人にだけはなりたくない!

 

そう思って、多くの人が、自分の主張をすることを

我慢してしまっています。

 

主張をすることと、わがままで自分勝手なことは

全然、同じでは無いのですが、同じだと勘違いしているからです。

 

そういった場合、我慢しすぎて、犠牲、被害者意識に

なっていることが通常で、怒りを腹の中に溜め込んで

しまっている状態になっています。

 

この状態を脱却するには

『思いを伝える。主張する。』

という風に、自分の思いを主張することは大切だよ。

 

という風に、教えます。

 

そうすると、『言ってもいいんだ。。。。』

という風に、思いを伝えることに対して

許可が出てきます。

 

多くの生徒さんは

大抵、私に対して、言いたいことを言えない状態から始まり

言いたいことが言えるようになっていく、主張できる状態へと

移行していきます。

 

ところが、許可が出たところで

次の課題が発生します。

 

それは、今まで、我慢していればいるほどに

『自分勝手になり過ぎる』主張が飛び交うようになるのです。

 

これは、成長プロセス的には、発生する流れではあるのですが

これが、また、スピリチュアルティーチャーあるあるに

入れたいくらいに、起こるプロセスではあるのですが

大変です。(笑)

 

と言いますのも、『これも、きいて!』『あれも、きいて!』

といった具合で、両親に言えなかった我が儘を、指導者に対して

全部出してくるのです。

 

わたしは、出来る限り、そうした我が儘が発生した時は

応えるようにしていますが、人間ですから、限度があります。

 

『それは、無理です。』

という風に、お断りすることも、もちろん、あるのです。

 

叶えることもあります。

しかし、叶えないこともあります。

 

ところが、そうなった時に

思い通りにならなかった時

叶えなかった際に、愛されなかった。

という風な感覚になると厄介です。

 

どうして、愛してくれないの!という風に

切り替わるからです。

 

『少々、無理を聞いてもらうことが愛』

となると、更に厄介です。

 

無理を聞いてくれた!

というところに、妙な快感を

覚えたことがあるなら要注意です。

 

それは、言い換えるなら

『あなたは、わたしが幸せになるために、不幸になって。』

と言っているようなものだからです。

 

こういった意識が過剰になってしまった

代表例が、クレーマーでしょう。

 

クレーマーは、とても無理難題を言って

相手が、物凄く無理をして、不幸になってでも

自分を幸せにするべきだ。それが愛だ。

 

と思い込んでいます。

 

愛しているけれど、愛していることとは

全く無関係に、応えられないこともあるよ。

 

というのが、通用しません。

 

こうなってしまった相手に対しては

いくら、愛したとしてみても、部が悪すぎます。

 

すごく、すごーく

無理難題や、自分勝手なことを

強要しては、それが、叶えた時には

『愛してくれてるというなら、それが、当たり前だ』

という態度ですし、ちょっとでも叶えないことがあろうものなら

『たいした愛じゃないな。』となるからです。

 

こういう風な心理状態になる人が

結局辿り着きたい答えって何だろうと見てみると

 

『ほら、やっぱり、あなたは私を愛さなかったのね』

です。

 

愛さなかったことにしたい。

だから、無理難題を言う。

 

そして、それは、母親などに

本当は言いたかったことのリピートなのだと思います。

 

何でも叶えてくれる魔法使いは、いない。

愛を確かめている段階で、愛は無いのだという風に

答えを自分でつくっているのです。

 

主張は、大切。

でも、それと、自分勝手に転がっていくのは全く別。

 

主張は、自分が主張したところだけで、完結しています。

自分勝手になりすぎる時は、相手をコントロールしようとしています。

 

これらの差が、本当にわかってくると

一体、どれほどまでに、愛を欲して甘えていたんだろう。

ということが、わかってきます。

 

そして、幻想が解けて、何でも叶えてくれる人はいないと

認めて納得するまで、それは続くでしょう。

 

そうしたプロセスを経て

はじめて、対等に愛し合うことができるようになってきます。

それまでは、決して、愛し合うということが出来ません。

 

対等とは、自分がそうした幻想から解けていった時に

得られるものなのです。