《本日のフリーダムメッセージ》

~ 人目が気になる 〜

 

人にどう思われるか
人目が気になってしまう
という方、多いですね。

人にどう思われるか
人目が気になる場合
表現に課題が発生してしまいます。

自分らしい自己表現ということではなく
他者に合わせた気に入られようとする
表現になってしまいます。

人が気になったり
人目が気になったりという
この課題は
本人も自覚していることが多い
自覚しやすい課題だと思います。

ところが、それが一体どうして
起こるのかということについては
全く検討外れの答えを出している人が多いです。

例えば、良くある例でいうと
そうなってしまう原因は
嫌われる恐れがあるからとか
よく思われたいからだと思っているケース。

これが、間違いというわけではないんですよ。
でも、恐れの原因を辿っていくと
そんなに簡単なものでは無かったりします。

人目が気になったり
人にどう思われるかというケースを
色々拝見してきましたが

根本的な要因としては
大きく2つあります。

1つ目は、幼少期の時の両親との関係性
2つ目は、過去生の際の迫害や虐殺

 

1、幼少期の時の両親との関係性
これは、心理学などで学ばれて
それが要因であると認識している場合も
あるかもしれません。

でも、それが原因だと自覚することと
実際に原因と取り組むことは別物です。

幼少の際に、両親に気に入られることは
生死にかかっています。

ですから、その生死にかかっているところの
意識レベルでエネルギーレベルで
変容させていかないとなりません。

そして、その意識レベルは
生死に関わることなので
かなり奥深いです。

奥深いので、自力で自分の生死に関わることと
触れ合うことは難しいですから
頭で理解していたとしても
思い込もうとしても、無理です。

脳自体が、そういうプログラミングに
なっているので、奥深い意識の変容に
エネルギーレベルで
取り組むことでしか終わりません。

 

2、過去生の際の迫害や虐殺

これもまた、とても奥深い意識レベルにあるもので
この原因や要因の根っこに取り組んでいかない限り
表現をすると殺られる。
というのが沸き起こってきます。

本当に、こういう根源的な意識の解放を行うと
終わると終わりますので
過度に出ていた、恐怖自体が自然と湧かなくなるのです。
自然と、何もしなくても大丈夫になる。というのがポイント。

そうした時にはじめて、終わりなのであって
努力したり、意識を向けて直そうと頑張ったり
克服しようとしているというのは
終わっているわけではなくて
対処している状態なのです。

共通しているのは
生死に関わっているということ。

だから、容易に治らないのです。
マインドで治そうとしても
全く治らなくて、むしろ当たり前なのです。

そして、対処ということと
根治ということは異なりますから
対処をしていて、自分はもう大丈夫だと
思っていればいるほど
むしろ、根治からは遠ざかります。

これは、どんなことに取り組むことでも
共通しています。
自力で克服しようとしている時というのは
アクセルがかかっている車を止めようとして
ブレーキが発動している車の状態。

アクセルとブレーキがかかっている状態と
そもそも、アクセルが踏まれていないし
ブレーキもかかっていない状態とでは
根本的な意味が異なるのです。

本当の改善というのは
終わるということです。

終わっているということは
本人の努力が全く必要なく
発動している状態です。

対処でも何でも
そこにエネルギーを向けているなら
本当には、終わっていないのです。