《本日のフリーダムメッセージ 倒れた その先に》

 

いつもそうであるように

転んだ先に、起き上がった後

手にわらを一本掴んでいるのが

わたしらしい愛なのだと思います。

 

今日は、ライトワーカー育成プログラム上級の初日

だったのですが、午前中に新しく系統立てて

話し始めたそれは、何人もの人を育てた経験からの

臨床結果から生まれた話でした。

 

いつも、いつも、落ちこぼれ発想。

わたし自身が、劣等生だったからね。

 

世の中の、ごくごく一部の人だけが

覚醒できる方法などには興味がなく

どんな人でも、いかに覚醒していくことが出来るか。

本人が変わる気さえあれば、問題は必ず解消できる。

 

人は、必ず、変われる。

人生は、逆転できる。

出来ないことなど、何一つ存在しない。

 

そんな風に、一ミリも疑いもなく、本気で思っているのです。

 

唯一変えることが出来ないのは

その人そのものという本質

エッセンスは変えられないし

変える必要もありません。

 

それ以外は、全部変えられる。

 

人を育てれば、育てるほどに

『行き詰まったり、うまくいかない人』

が、一体、どのような状態で

どのようなところで詰まるのか

それを、自然に研究してしまいます。

 

はっきり言って

私も、人間です。

 

人間だから、人間的感情が

存在しないわけではありません。

 

全ては、最善だとは受け止めてはいるけれど

目の前の人が、全員、幸せになることを

とてもとても心から願っているから

 

だから、目の前の人が

変わりたいのに、変われないでいると

非常に無力感を感じます。

 

魂に間違いはないから

まだ、変わる時期ではなかった。

 

ただ、それまでといえば、それまで。

それは、受け止めている。

 

光が愛であるように

闇もまた、愛であるから

今は、闇の中でじっと育んでいる。

 

きっと、それも、そうなのだと思います。

 

それでも、そのままで終わらせたくない。

その思いが、数々のワークの開発に至っています。

 

例えば、フリーダムディスティニーが未だ、無い頃。

 

両親との関係性において、怒りや憎しみを増大し

世界の全てを憎悪して絶望している人が

目の前に現れた時に

 

癒すことは行えたとしても

根本的に終わりになることは無くて

世界の全てを憎んでいると

何もかもがうまくいかず

感謝など湧くはずも無い。

愛を知らない。愛を感じられない。

 

そういった方が、苦しんでいるのに

ただ、寄り添うことしかできない自分が

無力で仕方なく思えました。

 

それでいて、何とかしたい。

この人の願いである苦しみを取り除きたい。

と切実に思いました。

 

純粋に、目の前の方の願いを叶える。

純粋に、誰かの苦しみを解放する。

それが『菩薩意識』そのものなのですよと

教えてもらったことがあります。

 

結局ね、その人には、フリーダムディスティニーを

届けることは叶いませんでした。

 

それでも、想いは繋がる。

 

その人には、届けることは出来なかったけれど

同じような苦しみを抱えている多くの人に

届けることが出来ました。

 

その苦しみ、無駄にするものか!

 

そうして、わたしは、自分が倒れた時だけでなく

他の人が転んだ時も、自分も同じように転びながら

わらを掴んで起き上がってきたのです。

 

倒れたら、何かを掴んで起き上がる

習性とも言える癖は、私自身が転ぶことが

あまりにも多かったために、仕方なく

身につけてきた技のように思います。

 

闇の中に光を見つけるのが得意だったり

絶望の中に希望を見つけるのが得意なのも

 

やはり、闇や絶望が深すぎて、そこに時間が

あまりにも長すぎたからかもしれません。

 

未だ未だ、人生は続いていて

これからも、転ぶかもしれない。

 

それでも、転んだ先に、起き上がった後

手にわらを一本掴んでいるのが

自分らしさであることを

今日も大切に生きていく。