《本日のフリーダムメッセージ  劣等感の行く末》

 

劣等感と優越感は変わらない。

いつも、わたしは、そう思います。

 

似て非なるものである。

そう思うから、優劣に立ちたくなくて

皆んな劣等感で誤魔化そうとする。

 

実は、同じだと気付いたら

劣等感で甘んじなくなるのでしょうか。

 

サイキックな能力に関しても

同じことが言えます。

 

サイキック能力があまり開いていない状態で

劣等感を抱かないようにすることが出来ねば

優劣から脱却することはできません。

 

能力があまり開いていない状態の時に

劣等感を極度に感じていると、どうなるか。

 

能力が開いた時が怖い。

なぜなら、能力を得たことによって

今度はサイキック能力がある者として

優越に立つからです。

 

こうなると、手がつけられない。

 

対等ということはね。

過去と未来と今の自分の全てに

尊敬を抱けるかどうかということですよ。

 

未来の自分は自然と凄く思えます。

でもね、今の自分にしか出来ないことがあります。

 

サイキック能力も同じ。

まだ、あまり開いていないからこそ

出来うることがあるのです。

 

今の自分は過去の自分よりも自然と凄く思えます。

でもね、過去の自分だからこそ、出来たことがあります。

 

いつだって、その時々にしか出来ないことがあって

どの時の自分にもパーフェクトさが存在するのです。

 

そうして、自分の過去と未来と今の全てに

尊敬を抱くことが出来た者が

劣等や優越を抱くかというと

抱きようがありません。

 

能力が上がれば上がるほど

その自分の成長を味わいながらも

自分よりも能力が開いている自分を尊敬しつつ

自分よりも能力が開けていない自分を尊敬しつつ

どの立ち位置の、素晴らしさも

感じて生きてるってことだから。

 

生徒さんを観る度に

その立ち位置でなければ成せないことがあり

今の私には出来なくなってしまったことがあると

常々感じています。

 

そうして、世界にとっての自分の今の立ち位置を

慈しみ、優劣から脱却して生きていると

自然と、能力の開けていない側面の自分を受け入れ

認めることが出来て、能力や覚醒や実力について

事実を受け止めることができるのです。

 

優劣から脱却していないと

事実さえも、歪めてしまいます。

プロセスの先、後という事実と

優劣をごちゃ混ぜにするからです。

 

自分の最高の素晴らしさは

いつも、今、存在します。

 

そして、矛盾していることですが

もっと素晴らしい自分にも成り得るのです。

 

既に存在している完璧性と

未だ達成していない不完全性の両方が

私たち、人間であることの醍醐味そのものです。