《本日のフリーダムメッセージ 叫べない苦しみ》 

 

わたしのように

明らかに母との関係性が悪く

憎しみ合い、恨み合う仲なのも

とても苦しいことだけれど

 

叫べない苦しみ。

これもまた、なんと苦しいことであろうか。

と、フリーダムディスティニーのセッション

を行わせていただく度に、しみじみと思う。

 

特に、今日は、それを感じさせるセッションだった。

本当に酷い!とか

本当に憎い!と恨めるということが

いかに楽かとさえ思った。

 

決定的証拠があるようなケースで

本人が、両親との問題を

はっきりと自覚しているケースは叫べる。

 

しかし、決定的証拠もなく

一見、問題が何もないケースでは

相談しに行ったとしても

あなたはご両親から愛されていたのに

何を不満に思ってるんだと

言われて終わりだったり

 

問題が存在しているのに

その問題に気付かず

苦しさという当たり前と同化し

慣れてしまって

泣けもしなかったケースも

存在するのだ。

 

わたしは、恨めたし、憎めたし、叫べた。

それはそれの苦しさがあったけれど

思いっきり叫べたという点においては

楽だったと思わずにはいられない。

 

フリーダムディスティニーのセッションを

行わせていただけば、いただくほどに

顕在意識に表面化している

本人が自覚している問題だけではなく

 

本人の息の根を止めるほどに

致命傷を負わせているのは

本人が自覚していない

潜在意識にある問題だと思う。

 

本人には問題に

自覚がない問題に

気付きなさいと言っても気付けないから

パラドックスを秘めていることになるけれど

 

確かなのは

自分でわかる自分のことなど

ほんの、一握りにすぎないということ。

 

それが、事実であり

神秘に満ちた自分自身への

敬意表明であり、謙虚さの現れだ。

 

フリーダムディスティニーの

臨床は、増えれば増えるほど

何が起こるか、もっともっとわからなくなる。

 

それほどまでに、人間は多様性に満ちていて

これほどまでに、人間は奥が深く

予想がつかないものなのだ。

 

今までも、わたしは、何もわかっていなかったし

これからも、何もわからないことは変わらないけれど

それでも、朝目覚めた時に、まだ、人間でいるならば

一つ、一つ、人間の神秘に触れて生きるのだろう。