《本日のフリーダムメッセージ》

~回想記 2 【ナイトメア】~

どうして、このお仕事をしているのか。
どんな人生を送ってきたのか。

 

北海道の実家滞在中
期間限定で回想記を綴っています。

 

生まれてから、幼少期まではこちら
→ 回想記1を読む

 

重度の精神疾患の母と過ごしながら
祈っても祈っても
一向に好転しない母と暮らすうちに
次第に絶望していきます。

 

ここで一つ、不思議だなと思われた方も
いらっしゃるかもしれません。

 

それは、父の存在です。

 

一体、このような状況で
父は何をしていたんだろうという疑問です。

 

実は、あまりにも母の症状は酷かった為
精神病院に通うのはもちろん必須で
一時、入院を試みたこともありました。

 

ところが、入院生活が余りにも
牢屋のようなところで閉じ込めて
縛り付けるだけであった為

 

父が『あんなところに入れておいても良くならん!』
として、連れ出してきてしまったのです。

 

父は、筋が一本通っている人で
やり通すと決めたことはやり通すという
大変尊敬している部分もありましたが

 

母を病院から連れ出す件については
私は大反対していたので
連れ出してきてしまった父のことを
ある時まで、ずっと憎んでいました。

 

母は、父の前では調子よく振る舞い
それでいて、日中は地獄という日々が続きました。
わたしが父に本当のことを話すと
次の日に余計酷い仕打ちを受けるため

 

わたしは、次第に本当のことを
話さなくなっていきました。

 

また、ある時本当のことを
母に話そうとした際に
それは嘘だと言われ
本当だと言い張った際に
嘘だと認めないなら、
殺すと刃物で脅された際に

 

実際にあった事実を貫き通すことよりも
嘘をついて生き延びるということを決め
それが、日常となりました。

 

わたしは、嘘をつくのが
とても、上手になりました。

 

それと同時に、希望を幾千と打ち砕かれて
希望を抱けなくなっていました。

 

人間は、本当に希望を抱く度に
打ち砕かれると、希望を抱くことすら
出来なくなります。

 

あまりにも辛すぎる現実を
終わらせたくて8年ほど
毎日命を絶つことばかり考えていました。

 

または、母と同じように
自分も気が狂って
わけがわからなくなることを
切望していました。

 

学校でも人間関係を
まともに築けなくて絶望していました。

 

まともでいることが苦しくて
亡くなるか、気が狂うことでしか
救われない気がしていました。

 

そんな意識で生きていた
私の周りではその当時
次々に人が亡くなりました。

 

中学の際には
叔父が自ら命を絶って亡くなり
学校のクラスメイトが
自ら命を絶ちました。

 

死を願い、死と隣り合わせであった私が
死ぬことを思い留まったのは

 

身近で、自ら命を絶つという
亡くなり方を
目の当たりにしたからです。

 

叔父の場合は
何日も家族が泣きはらしている
悲痛な光景を目の当たりにし

 

いじめ苦による
クラスメイトの死は残酷で
首謀者のクラスメイトたちは
亡くなって反省するどころか
死んだことを嘲笑していました。

 

『死んでも、解決にはならん!負けるものか!』

 

という怒りが、わたしを生かしたのです。

 

こうして、死と隣り合わせの
8年でしたが
次第に、状況は、好転していきます。

 

つづきは、明日。