《本日のフリーダムメッセージ》

~応援できる人 できない人~

 

特別な能力がなくても
今すぐに
誰でもできること。

それは、他者の応援です。

だから、自分の無力さを
感じている時ですら
今すぐに出来ることは
いつも用意されています。

しかし、人生を生きていくうちに
応援ということも
誰もが出来ることじゃ無くて
応援できるという才能があるんだ
ということがはっきりとわかってきました。

わたしは、サイキック能力は
後天的に開いた者です。

ですから、自分の無力さを
感じていた時は、それでいて一歩でも
向上しようと努力しながら
繋げる役目、応援するということに
全力を注いできました。

そうして、応援や繋げるということに
エネルギーを注いできたけれど
ある時を境に、ありとあらゆる人から
宇宙のすべてから
あなたは花の役目の人で
独り立ちをする時で
自分の成すことをする時だと言われ
そうなりました。

だから、どんなに
他者の応援を全力で行っていたとしても
クリエイションを行って
生み出す役割の人であれば
その時が来たら、応援ばかりではなく
自分で成すことをやらなくては
ならない時が来るものです。

ところが、そういった
他者の応援に
全力を注げるというのは
個を超越している
賛美の意識があるから
できることであって

劣等感が強すぎて
自分の凄さを感じられず
自分を打ち出していなくて
中途半端に生きてきて
分離意識が強ければ強いほど
応援も全力でできないということが
わかってきました。

自分の力量を謙虚に受け止めることは
大事なことです。
自分の未熟さを認められることは
大事なことです。
それは実力を養えるかどうかに
かかっているからです。

平等という聞こえの良い言葉を
掲げて正しさを主張しようと
している時というのは
劣等感を感じているからであると
知ることです。

本当に劣等感が無いというのは
プロセスの先と後を受けとめ
真摯に未熟さを受けとめて
成長しようとする状態です。

ここで引っかかると
ずっと実力は身につきません。

実力不足を感じていた時
わたしは素晴らしい誰かの応援を
全力で行うことにしました。
賛美をすることに関しては
自然と物凄く得意になっていきました。

自分自身に自信がない時でも
誰かの応援だったり
誰かを賛美することは
できたのですね。

世界がもっと良くなるために
人がもっと幸せになるために
そういった意識で動いていましたから

わたし自身が行っていることか
わたし自身が行っていないことか
そんなことは
どうでも良いことだったのです。

とても当たり前で動いてきたけれど
原動力は常にそこにありました。

個にこだわりすぎるのは
個性が無いからです。

個性が表されている時は
個にこだわりません。

何をやったって
個性的になると知っているから。

手放せば手放すほど
個性的になります。

世界はパラドックス。
個性、自分が成しているか
他者が成しているかと
いうことを手放した瞬間。

そういったことに拘らずに
世界へ貢献できる
ワンネス的表現であるという表現と個性が
手に入るのです。

自分の手柄とか
自分の凄さとか
そういったことを
超越している表現。

応援を全力で行ってきて
確かに言えることは
応援は他者の応援のようでいて
一番自分の力になったということです。

誰かに物を伝える能力。
これがどれほど素晴らしいものか
相手に伝えられる伝達力を
自然と身に付けていました。

今、わたしは、他者のことを賛美しつつ
自分の成すことも行い
沢山の人に応援してもらって
協力してもらっています
そして、どんどん応援と協力を
感謝して受け取りっています。

応援と協力を受け取れる
自分への許可が何故降りるか。
答えはとてもシンプルです。

応援をすること
というのが、いかに人を成長させ
応援する人間の能力向上になるか
実体験してきたからです。

いつも、自分は自分を見ています。
どんな時も。
人間はいざという時には
正直な生き物。

良いと思ったこと以外
なかなかできません。

許可というのは
自分が自分に出すのです。