《本日のフリーダムメッセージ 神と人 人為的からの脱却》

 

4月1日からのライトワークの旅のことを

もう少し綴っていこうと思います。

 

とある有名な神社にて。

境内に入ると、研ぎ澄まされた清涼感に満ち溢れて

とてもわかりやすく、パキっとした、神聖な

エネルギーに満ち溢れていました。

 

ところが、不思議に思ったのは

実際に、参拝に参ったところでは

そんなに強いエネルギーを感じなかったのです。

 

むしろ、柔らかく、優しいエネルギーでした。

 

おかしいな。と私は思いました。

 

決定的だったのは、帰り道です。

お参りを済ませ、帰り道に

背中に神のエネルギーを感じてみると

柔らかく、優しいエネルギーの方であったのです。

 

その時、私は わかりました。

『パキっとしたエネルギーの方は人為的につくられており

優しく柔らかい方のエネルギーの方が

ここにいらっしゃる神様の本当のエネルギーだ』

 

帰り道、前を向いたり、後ろを向いたりすると

それは明らかに異なり

私がわかるレベルということではなく

同行者の人もわかるレベルで

それは起こっていました。

 

とても名高い神社において

それが起こっていたということに

とても驚きながら

 

神というものが、人為的に歪められ

本来の姿ではなく、女性的なエネルギーが

男性的なエネルギーとして崇められるように

つくられていることもあるのだ。

 

ということを知ったのです。

 

それは、まるで、テレビのコマーシャルのように。

 

いつも流しておいている方のエネルギーを

良いエネルギーだとして

人々が認識するように。

 

良いエネルギー。

それがたとえ、その神のエネルギーでは無かったとしても。

 

男性的なエネルギーにする必要があって

女性的なエネルギーではなってはならなかったのだと。

 

そこは、大がかかりに

そのような状態になっていたので

わたしが、何かを行える

レベルのことではありませんでした。

 

きっと、わたしが何かしても、また、すぐに

元に戻されてしまうだけ。

 

ここでも、わたしは、また、無力を感じました。

 

でも、また自分が出来ることを

一歩一歩していこうと思い直しました。

 

神と人との繋がりが軽薄になってしまったのは

神が悪かったわけじゃない。

 

神と人との間に

利権や人為的な都合が

いっぱい押し寄せてしまい

 

それに人々はうんざりして

 

いつの間にか

神と人とが触れ合うという

本来の目的から離れてしまった。

 

神の本来の姿や

神との繋がりさえ失って。

 

でも、もう、それは終わりの時代。

人間の誰かが始めたことを

誰かが終わらせていかなくちゃならない。

 

神と人とが触れ合い

共にあることは

とても自然なことであり

とても大切なこと。

 

私たちは、神との繋がりを

もう一度、回復していく必要があるのです。

 

それと共に大事なのは

純粋な神と人との繋がり。

 

純粋な繋がり。

そこだけを復帰させるのであって

人為的な、策略的な

誰かの意図が入ってしまった形ではない方法で

 

純粋に神と人とが触れ合う機会をつくる。

そこが、大切なのだと思っています。

 

わたしは、神と人との間を仲介する

神官、巫女の役目があります。

純粋に神と繋げる役目。

 

4月29日の女神の祭典イベントでは

女性性のことだけではなくて

そうした、神との純粋な繋がり

そのままの神の姿ということを

もう一度、人々に伝えていこうという願いもあります。

 

ここから、大事になってくる

概念をお伝えしていこうと思います。

 

失った伝統のものの中にある

本当に大切なものだけを取り出し

 

それを、もう一度、取り戻していく。

 

それがそのものが嫌だったわけではなくて

本当に嫌だったのは、そこに混ざってくる

様々な混ざり物であり

それ自体ではないということを知るのです。

 

セパレート。

 

分ける。分ける。

本当に得たいものだけ得て

得たくないものは得ないということを

行うためには、分ける作業が必要です。

 

神と人との繋がりも、その代表例。

 

それだけじゃない。

わたしたちが、失ってしまったものの中には

失ってはならなかったものも沢山含まれています。

 

それに気づいていくプロセス。

 

個々が、本当に大切なものを、取り戻して

もう一度、大切なものを手にしていく。

 

そんな時代になってきた。

 

諦める必要がなくなったんだ。

 

課題を終わらせ

失われた大切なものを取り戻していく。