《本日のフリーダムメッセージ》

~被害者の近くにいる人〜

 

守ろうとするには訳がある。

1、責められているという幻想の大きさ(罪悪感)
2、どちらかが悪いという偏った責任の配分

被害者的な意識になりやすい人の多くは
この2つが要因になっています。

逆にこの2つが解けるだけで
随分激変します。

自分が幸せになれない原因を
自分以外のものにしている時ほど
不自由で苦しいものはない。

自分が幸せになるには
自分以外しかいない。

それだけを受けとめるだけで
人生は、変わる。

でも、それが難しい人がいます。

例えば、自分はそんな風に生きていたとしても
周りがどうかとは限らないよね。

パートナーがそうじゃないとか。
家族がそうじゃないということは
よくある悩みの種です。

自分の力で幸せになろうとして
実現してきた人からしてみたら

どうして、自分の力で幸せになろうと
しないのだろうというのが
よくわからなかったりするけれど

一つには、それを認めちゃうと
今までの自分がいかに愚かだったか。
というのを全部認めなくちゃならない
というのが怖かったり

苦しいんだけれど、今まで使ってきた
被害者という立ち位置が慣れていて楽。
というのがあると思います。

そんなの、超えちゃえばいい。
というのは、超えた人だから
そう思えるのであって

超えられていない人は
とてもそうとは思えない
時期もあるのだと思うのです。

家族とかパートナーとかで
被害者が発生しているということは
他の誰かがその役をずっとやらせてあげている甘え
が存在するということにも着目したいと思います。

被害者であり続けるには
あり続けられる温床があるのです。

周りの人は、その事実から
目を背けてはいけないと思います。

プライベートで、被害者を演じ続け
加害者の役をやらされることは
私は選択しません。

そこには、エントリーしません。

パートナーであれ、家族であれ
やはり被害者の人と一緒にいることの
悩みというのは、その被害者の人と一緒にいることを
選んでいるのは誰でもない自分ということを認めないと

気がつくと、その人自身も
被害者になってしまうのでは
ないのかなと思うのです。

自分自身がまさか温床だなんて
気づきたくないだろうけれど。

ミイラ取りがミイラにならないように
自分にとって幸せだと思う人と
一緒に過ごしていきたいですね。