《本日のフリーダムメッセージ 自由を尊重するとしない。どちらが愛か》

 

自由を尊重することと、しないこと。

どちらが愛だと思いますか?

 

多分、99パーセントの人は

こう、答えるはず。

 

自由を尊重することこそ、愛である。と。

 

もちろん、自由を尊重することはとても大事。

しかし、時に、自由だけを尊重していては

どうにもならないケースがあります。

 

サポートをさせて頂く際に

相手の自由を尊重する割合が高く

教える割合が少なくなり

見守ることが増える時というのは

 

相手が、色々物事がわかっていて

自分のやりたいこと

成したいことがわかっていて

自らの進むべき道がわかっている時。

 

こういう時は

出来るだけ、自分の力で

物事を達成するように向かわせて

手をかけないサポートをします。

 

しかし、目の前の相手が

自分のやりたいことを成したいことがわからず

困っているけれど、どうしたら良いかもわからず

何も見えないまま、回遊している状態の時に

自由を尊重して、何もしないで

ただ、返したらどうなるか。

 

放っておいても、特に何も起こりません。

 

こういう状態の時は

むしろ、教えたり、諭したりしながら

その人にとって良さそうな方向へ

巻き込むことが必要です。

 

相手は何もわからないまま

それを行わなくてはなりません。

 

納得できたり、わかってから進ませるのではなく

わからないまま進ませなくてはならないのです。

 

そんなこと。誰だってしたくないけれど

LOVINGを受けた後でしか

本当にわかるということは起こらない。

 

そうだとすると、その前に、その効果を

本当にわかるということが不可能だから

わからないまま進ませるという

方法しかとることができないのです。

 

相手が、三次元的に固定されているような考え方だったり

カルマからの囚われから物事を捉えていたり

投影や統合していない要素から物事を見ていたり

マインドの主張に拘っていたりするものを

 

魂の方向へ進ませるためには

相手のマインドの願いを叶えないことも

重要になってくるのです。

 

願いを叶えないこと。

自由を尊重しないこと。

 

それらは、とてもとして

思われていることですが

目の前の相手の状態と、時と場合とタイミング。

愛によっての動機に基づいて行う場合においては

ポジティブに発動することもあるのです。

 

何が愛か。

どちらか一方を答えとするのではなく

両方が答えであり、自分にとって

愛であるという真実だけが、答えなのです。