《夜エッセイ 光を認める》

 

本日は、錬金術的箱庭療法のトレーを

8トレー、サポートさせていただきました。

 

一つ、一つ、とても濃いので

8トレーもサポートすると

ほとんど、時空間をワープしたような気になります(笑)

 

とても感動的なセッションで

それぞれが、ご自身の光を

見出していかれるご様子を

拝見させていただき

とても幸せな気持ちになりました。

 

自分の光を受け止めるって難しいね。

闇より、光認める方が、よっぽど難しい。

 

でも、実は、光認めないことが闇になるって知ってた?

 

何故なら、自分の光を認めないってことは

自分の才能を閉じ込めておいてるってことですね。

才能を活かしきれていないのです。

 

つまり、出し惜しみしてるってこと。

出し惜しみしている人間は

全力出し尽くしている人間に

嫉妬するか、制御するかしようとする。

 

自分の才能を活かせない人は

心底、誰かの才能を伸ばそうとは思えない。

 

無意識に、誰かの才能を潰そうとする。

 

だから、自らの光を認められないってことは

そのまま、闇となるんだ。

 

光も闇も、認められない時に闇となる。

光も闇も、認めた時に光となる。

 

光か闇か。どんな要素かどうか。

というところではなくて

在ると認められるか、認められないか。

 

全ては、我に在りとした時には

恐怖は、存在しないのです。