《夜エッセイ 未熟を感じる》 

 

エジプトから、無事、帰国しました。

一斉LOVINGのイベントも

とても順調に行わせていただきました。

早速、事務局にご感想をくださりありがとうございます。

後日、ご報告と共にご感想を一部ご紹介をさせて

いただこうと思います。

 

帰国直後から、次の展開の話が舞い込んできています。

ギリシャとか、4月の一斉LOVINGとか、色々。

 

とても有難いことに、こうした展開が目まぐるしいのですが

エジプトから帰国直後なので、本当に心から休みたい。

一息つきたいなと思いました。

 

今日も、久しぶりのお休みの日だったのに

日本に帰国して溜まっていた案件とかの

打ち合わせや対応をしていたら

一日終わってしまいました。

 

展開に身を委ねていると、本当に休む暇が

無くなってしまうので、気をつけなくては。

自分だけのプライベートな時間をつくる。

目下、私の課題です。

 

今年は、世界的なライトワークを手がけることになり

今までのライトワークの内容とは、変わってきているので

最重要項目として、そこに意識を向けています。

 

アトランティス関連やシリウスからの依頼や

シャーマンの育成や銀河神界関連や

神々と人を繋いだりと盛り沢山です。

 

『お仕事は、Ayaさんを中心としたスタイルとしないと

全てがうまく回らなくなる』と、兼ねてから

アドバイスをいただいていましたが

いよいよ、本当にそんな感じになってきました。

 

ライトワークが、一体、いつになるかは読めません。

そういったライトワークの仕事は、高次元レベルで

世界的な情勢のエネルギーを読みながら随時更新されて

決まっていくスタイルなので、日時も全くわからないのです。

 

ライトワークが入った時には

必然的に、講習なども移動していただく必要があるし

クライアントさんに関しても、時間やエネルギーを

極度に割いてくるような方は、お断りするか

他の方に見ていただくことにしました。

 

一方的な私の都合ですが、私が最も大切なことを

私が成していくことを成すために、必要なことで

『対、人々』に向けても、今まで通り

出来る限りの、最善を尽くして、全身全霊の愛を向けて

いくということを行いますが、今までと同じように

求められたことに対して、全て行っていくということは

出来なくなると感じています。

 

人間というものの限界があるからです。

 

世界的なライトワークを最重要として動いていくため

組織の方や、仕事で関わる人たちにおいては

当初、こう言っていたけれど、あのように変更になった。

という変更多発が予測されますが、変更がありうるという

前提の元、関わっていけたらと思っています。

 

そういった変更多発が起こると

私に合わせている感じがすると思いますが

関わること自体で覚醒や学びが加速することや

仕事内容や立場を考慮すると、フェア、もしくは

素晴らしいチャンスに恵まれていると受け取れます。

 

しかし、それらを考慮できなければ、フェアと

受け取れないと思いますので、「合わせてやっている」

という傲慢に立てば、負担に感じるでしょう。

 

〜してやっている。というのは、勝手に抱いている

被害妄想に過ぎません。

責任を取れる同士であれば、してやっている

という意識はありません。

 

ただ、やりたくてやっているだけです。

要するに、そういった私の状況や立場を含めて

丸ごと愛してくれる人、関わること自体に

心からの感謝を抱ける方たちとだけ

関わっていくことになるのだと思います。

 

行為的に、一見、奉仕的に見えたとしても

『やってやってるのだから、返せ』

という見返りが強い意識状態の人

被害妄想が強い意識の方とは

関われなくなるようです。

 

こういう風に書くと

『組織内部とかで、何かあったのだろうか』

と思われがちですが、何もありません(笑)

 

大体、世界に宣言することによって

世界が動いてきます。

 

いつも、そう。

それと共に、アトランティスのライトワークを

行うにあたり、自分の未熟さを痛感する場面がありました。

 

『出来ない。わからない』

そんなことだらけの場面。

 

これもね、いつも、そう。

 

そうして

いつだって、わからない中で

いつだって、さっぱり見えない中で

いつだって、未熟を感じる中で

努力して、一歩一歩、出来るようになってきました。

 

でもさ。

未熟を感じてる時というのは

挑戦して、成長しているということ、そのものだよね。

 

未熟を感じる場面を失い

全部出来たと思った時

勘違いの道に走り出すのだと思います。

 

二元性を超えていて

事実を見極められる人は

『これは、ここまで出来ている』

『これは、ここまで出来ていない』

という事実を同時に丸ごと受け止められると

いうことなのですよね。

 

二元性を超えていて、事実を見極められていると

自分の状態は、常にパロメーターみたいに

感じるものです。

 

そういう風に受け止められていれば

誰かからの指導の厳しい声も

成長のためと受け止められるし

極端に劣等感や自己否定にも至らないし

極端に自分はもう全部出来たみたいな

勘違い恍惚感も持たないし

未熟な側面は、未熟なんだと受け止められる。

 

肯定と否定を両方巧みに使いながら

覚醒していくサポートをするのが

スピリチュアルティーチャーなんですよね。

 

否定だけじゃ、しおれた花みたいに

いつまでたっても、何も出来ない

活躍できない人が育ちますし

 

肯定だけじゃ、全部出来た気になってきちゃって

実力的には、未だ未だ、出来ていないのに

出来ている気になってる

裸の王様みたいな人が育ちます。

 

これは、よほど愛してくれている人以外

誰も教えてくれなかったりします。

本人気づいてないけど、大抵、スルーです。

 

両方ありながら進んでいくのが

覚醒が進んでいくということだし

人間そのものであるのだけれど

 

人間って、いざ、仕事として、活動する時になると

『もう、到達した!』みたいな感じだったり

『わたしは、もう、卒業しました、それ』

みたいな感じになって、光ばかり見せる人が

多いから、そういう人は、覚醒においては

そこでストップするかな。

 

今まで、何人も育ててきて、本当にそう思います。

人間の本性がわかるのは

1、学んでいる一方の時ではなくて

(ここのフェーズは、皆んな全員謙虚です。)

2、学びながら、活動し始めた時

(ここになると、光だけになる人が出てきます)

3、学びながら、活躍し始めた時

(ここになると、全部自分は出来た気になって、勘違いする人が出てきます。酷い場合は妄想に至ります。)

 

3の、活躍し始めた時だから。

その時にもなお、謙虚さを忘れずに

自分の至らなさや、未熟さに挑戦し続けていけるか

というのが、分かれ目ですね。

 

そういった意味では、今のわたしは、これほどの未熟さを

感じているのだから、覚醒の王道〜ロードからは

外れていないなというのだけは、わかる(笑)

 

わたしは、未熟さを感じる人や場所と

触れ合うようにしています。

それは、成長を与えてくれる場だから

わたしにとっては、とても貴重です。

 

傲慢になったり、浮かれて裸の王様になっていないかは

未熟さを感じているかどうかを

指針とすると良いかもしれません。