《夜エッセイ  監督とプレーヤー 》

立春になりましたね!

先ほどまで、認定ライトワーカーさんと
打ち合わせの件で、話していたんだけど
日付が変わった瞬間
『明けましておめでとうございます!』
と言いたくなるくらいに
空気感、変わりました。
第二部は
過去の私の体験などを交えて
監督とプレーヤーということについて
書いていこうかと思います。
昨日の一斉ワークでも
嫉妬された 
出る杭打たれた
能力を押しとどめられた
こういう経験を解き放たなければ
先に進めない方がいらっしゃいました。
そして、まさかとは思うけれど
とても、悲しいことではありますが
時に、人は、自らの指導者に阻まれることもあります。
最も信頼していて
最も心を開く相手である
指導者に、能力を押しとどめられたり
嫉妬されたり、出る杭打たれたという
経験をされた方は、決して少なくは無いのです。
そうした場合、皆さん、とても傷ついています。
どうして、そんなことが起こるのか。
実は、監督の才能とプレーヤーの才能とは違うのです。
技術があることと
人の才能を伸ばすこととは
全く別物なのです。
実は、私もあるとき
その葛藤を抱えたことがあります。
監督とプレーヤー。
その違いが見抜けなかった。
名プレーヤーであれば
名監督であるということを
疑いませんでした。
でも、その指導者の方は
自分よりも、かなり能力的に
下の立ち位置の人しか
決して、周りに置かない。
周りはあまり育っていかない。
周りには、自分と同じものは与えない。
自分と同じことができるようにはしない。
トップの人との高低差が
ある一定以上、絶対的に、必ず存在しているのです。
まさか。と私は思いました。
そんなはずは無い。
皆んなを伸ばそうとしている存在の人が
皆んなを押しとどめているなんて。
まさか、まさか、まさか。
そんなわけ無い。
何度もそう言い聞かせて
でも、目の前に広がる現実を
見せつけられました。
とてもじゃないけれど
押しとどめられていたという
その事実を認めたくなくて。
葛藤の末、ようやく、プレーヤーとしての素質と
監督(ティーチャー)としての素質が
全く別物であると受け入れ
自分は、決して上から押さえつけ
押しとどめる人間には成らぬと決め
真に人を育てるティーチャーに成ると決め
今に至ります。
そういう私だから
安心してくださる方もとても多い。
そこは、決めてるから。
決め抜いてるからね。
顕在意識レベルでは決めていても
潜在意識レベルでも、他者の成長を止めないように
常に、私自身が全力で自分を駆け抜ける。
これも、常に心がけていること。
常に、自らの覚醒と現実化を
全速力で推し進めている意味というのは
実は、ここに、あるのです。
周りの教え子たちのことを
決して、押しとどめる人間に成らぬと
決めているからです。
こういう生き様のおかげで(?)
Ayaさんについていくのが
必死です〜 という声は周りでよく聞きます(笑)
それを聞いては
少なくとも
押しとどめては居ないんだなと安堵する。
私にとって、指導者というものは
生徒の絶対的な信頼を
裏切らないことだと思ってる。
真のティーチャーは
プレーヤーとしての
自分も超えるプレーヤーを
生み出せる人間。
実践を生き抜いてきた
現役のプレーヤーでありながら
いつも、監督目線。
これが、私の生き方。
語ってたら、随分、遅くなっちゃいましたね。
第二部、こちらで終了です。
お休みなさい!
明日、お会いする方達
お会いすること、楽しみにしています!