《本日のフリーダムメッセージ それ、本当に出来なかったことですか?》

 

人間の感情は複雑だといつも思います。

 

世間一般で言うように

『それは嫉妬ですね』とか

『それは執着ですね』とか

『それは依存です』といったように

一色で染まるほど、単純じゃないと

セッションをする度にいつも思います。

 

一色に無理やりしようと思うから

無理がかかる。

 

いつも、もっと人間の感情というものは奥深く

一つの答えなどに、断定などできない。

 

断定しようと思うから

どんどん本当からはずれてきて

ずれてきて、自分を否定することに

なってしまうのでは、本末転倒です。

 

きっと、わかりやすい答えが欲しいんだよね。

自分がどうしてこうなっているのかという答え。

 

そのままのその人の感情を丸ごと

総合的に捉えてみていくと

結局のところ、愛にたどり着く。

 

だから、あえて、一つに限定するのではなくて

そのままのわからないままを

見れる人に見てもらったならば

愛であったということが

わかるんじゃないかと思うのです。

 

それと同時に、矛盾とも言えることですが

とてもシンプルなことを

複雑怪奇にしてしまうということも

時に起こります。

 

今日のタイトルは、複雑怪奇にして

しまったものをシンプルにした時に

微妙にずれている答えになって

しまっていることを記したものです。

 

人は時に、すごく落ち込んで

『出来なかった』

『成しえなかった』

『選んでもらえなかった』

 

というように

本当はやりたかったのに出来なかった

と思い込んでいるものの中に

出来なかったんじゃなくて

やりたくなかったのでやらなかった

というものが潜んでいることがあります。

 

まあ〜 これは厄介。

厄介すぎるくらいに厄介です。

 

何せ、本人はやりたくないわけ。

だから、『どうぞ♡』と言われても

やっぱりいらないです。と言うのですよ。

 

それなのに、自分はやりたかったのに

もらえなかった。。。というのを抱いているのです。

 

そうして、自分が選び取らなかった

人生を生きている人のことを見て

羨ましいとすら思っているのです。

 

人間というのは、とても不思議なものです。

 

本当はやりたかったのに出来なかった

と思い込んでいるものの中に

出来なかったんじゃなくて

やりたくなかったのでやらなかった

 

もし、そうしたことが発見できたなら

どうして、そうであるのに

未だに未練があったり

羨ましいと思っているのか

自分に問いかけてみるといいですね。

 

実は欲しくない環境やものや人に

いつまでも拘っている場合

自分が取らなかった方の現実を

生きている人が不幸になればいい。

 

と思っていることすらありますから

自然に呪ってしまわないように

意識を向けてみると良いでしょう。

 

欲しいものが得られなくて

嫉妬してしまう、不幸を願ってしまうなら

人間だからそういう時も

あるだろうと意味がわかりますが

 

欲しくないものが得られなくて

思った通りになっているのに

誰かの不幸を願っているならば

その自分を責めたりはせずに

どうして、そうしてしまうかを

問いかけてみてください。

 

もしかすると、そういう人は

自分が選んだ道の方が正解で幸せな道だった

ということを、自分の正しさを

証明したいのかもしれません。

 

選ばなかった方の道の人や状況が

不幸になっていたら

わかりやすいですからね。

 

そうした意味では

誰か不幸を願う呪い体質の人は

自分がびっくりするくらいに

自分にとっての最高の幸せを得て

幸せになっていくことでしか

本当の意味で呪いを

なくすことはできないかもしれません。

 

この先も、ずっとずっと先も

どんどん幸せにしかなっていかない人が

誰かの不幸を何時までも願い続けることは

きっと、無理だと思うから。

 

呪ったり、嫉妬したりしているのは

まだ、あなたが、不幸だから。

 

『そんなに不幸じゃないんです。』

そんなんだから、くすぶっちゃって

誰かの不幸を願うようになってしまっているのです。

 

不幸である自分を認めちゃおう。

そこからでしか、開けない道があります。

 

出来なかったんじゃなくて

やりたくなかったのでやらなかった

 

自分がそれを望んでた。

そのことに気づくたびに

自分の現実力に気付いていきます。