《本日のフリーダムメッセージ 事実は事実のままで》

 

人間というものは、苦しい時

その苦しさを、他の何かで紛らわしたり

代行したりする場合がある生き物です。

 

そうした、苦しさの代行行為が

物事を複雑にしていて

自分の本来向かいたい方向から

遠ざけることになります。

 

苦しさの代行行為は

逃げの温床です。

 

人間は、強くも弱くもある存在ですから

誰しもが、時に、本来、向かいたい方向から

逃げていたりすることもあるものです。

 

ですから、決して、逃げていたからといって

自分を責めることはありません。

自分を責めることで、何かが軽くなることはありません。

責めることでは、解決しませんから、責めても

とても無駄だと知ると良いでしょう。

 

因みに、自責、責める行為をよく行っている人の

奥底に潜んでいる意識として見られるのは

 

こんなに責めているのだから、許されるべきだ。

 

というのがあります。

 

これは、反省というのとは反対の意識です。

許されるべきだと思っているので、責めます。

責めるのと、反省するのとは全然別物ですが

責めることしか出来ない状態の時もあります。

 

こうした責めの意識が、どうして発生するかというと

自分自身がとてもカルマを抱えて罪意識が

強いからです。自責が強い人は、漏れなく

抱えているカルマの質量も相当だと思っておくと

良いでしょう。

 

逆に言うと、そのままでは、治りません。

自責の原因になっている、カルマと

同時に溜め込んでしまっている

自責の感情をエネルギーレベルで

両方を同時に解き放っていくと

本当に終わってきます。

 

このあたりの自責の解放は

私は、非常に得意です。

 

何故なら、私自身が、生まれた時に

アトランティスの時のものや

リーダーだった時のカルマなどが莫大で

カルマの含有量が莫大だったから

自責に陥るプロセスを網羅しており

奥底まで手が届き、非常に掴みやすいのです。

 

少し、話は逸れましたが

責める必要は全くありませんが

ただ、自分がそういう方法で

別のもので引っ掛けていたのだという

事実を知り、本当に向かいたい方向に

自分が向かっていくということを

認識することは大切なことだと思います。

 

例えば、苦しさの代行行為の代表例は

両親に対しての被害者意識でしょう。

 

これは、両親を憎んでいる場合に

よく見られるケースですが

父親が憎い。あの時に酷かった。

というのが過剰に存在している場合

 

そのあとに、起こった不幸の全てを

父親のせいにしている場合があります。

 

大人になったあとに、自分が起こした

事象や出来事も、全部、父親のせい。

 

他には、この出来事が全ての不幸の発端だった。

というような、ひとつの出来事に全ての不幸

エネルギーを集結させようとすることも

苦しさの代行行為と言えます。

 

そうした状態になっている人は

これから、地球や宇宙のアセンションに伴い

こうした、過剰になってしまっている代行行為

というものを終焉させて、各々、ニュートラルな

状態に戻していく必要があります。

 

被害者意識というのは

とても苦しいですが、ある意味

誰かに代わりに自分の苦しみを負担して

もらっているから、楽なのです。

 

だから、辞められない人が

いるのです。

 

両親との関係性の修復を行う

フリーダムディスティニーのLOVING

修復改善をする時に、時々見かける事象としては

 

子供が両親のせいにして、両親を憎み

加害者扱いにしている時。

 

魂レベルでは、両親は子供を支えています。

本来は自分のものとして背負うものも

子供の分も、一部負担している形になっています。

 

親とは、親として存在しているだけで

時に加害者の役割を許し

そうした負担を抱えてまで

子供を愛するものなのです。

 

また、苦しさの代行行為の他の例としては

自分が技術的にも能力的にも

まだまだ、不完全であるという事実。

 

置いてきぼりになるのではないかという不安。

 

そうしたものから、目を背けたり逃れたくて

誰かと一緒に居ることで、満足させようと

する行為も良く見られる代行行為です。

 

ここで、重要なのは

共に、成長していく仲間と歩んでいくことは

本当に癒されるし、共に励ましあっていける

のは素晴らしいことですが

 

自分の未熟さということを見続ける。

これは、自分が本当に成長しないと

得られない、自分の向かいたい方向性ですから

それは、失わずにいることです。

 

自分の未熟さを受け止めるということ自体を

苦しいので、誰かと一緒にいることで

紛らわすことは代行行為なので

本当の意味では出来ません。

 

この場合の苦しみは

人間である限り、未熟さは常に存在するという

不完全の完璧性を受け止めていくことと

 

未熟が教えてくれている

苦しみが自分に教えてくれている

自分が向かいたい方向へ

実際に一歩でも向かっていくということで

ニュートラルになっていきます。

 

こうして、色々見ていくと

いかに、自責とカルマが

あらゆることに連動しているか。

ということもわかると思います。

 

自責とカルマが重すぎている場合というのは

何か、他のことを着手しようと思っても

さっぱり無駄なのです。

 

先ず、そうした重荷をあげて

過剰な自責を終わらしていくことで

 

被害者意識からも、解放されていきます。

 

被害者意識は、エネルギーレベルで

カルマと自責感情が多大に存在し

自分を責めに責めているので

これ以上、持ちきれず、抱えきれずに

誰かに負担してもらおうというものですから

荷物自体を減らさないと、辞めさせようと

しても無理なのです。

 

そうして、被害者意識からも解放

されていった時に、初めて未熟さ

というものを受け止めていけるように

なってきます。

 

それまでは、未熟さは、ただの自責に

成り代わってしまうから、それと

本当に向き合うということすら

出来ないのです。

 

ですから、代行行為が発生してしまい

自分が本当に向かいたい方向性としての

未熟さというところでは生きられず

随分、時間をロスして、向かいたくても

向かえないということが起こっているのです。

 

とてもよく言われることですが

どうして、Ayaさんが育てた方達というのは

愛を広げて活動していこうと思う方の割合がとても

多いのですか?

 

理由は簡単です。

会う度に、サポートをする度に

こうした、プロセスを理解して

自責とカルマをエネルギーレベルで

莫大に常に上げ続けているから

実際に、行動に向かうことができるのです。

 

愛が沢山あっても、自責があると

こうした行動力の全ては発動しません。

 

罪が、全てを阻めています。

 

事実を事実のままで捉え

人一人分の責任と常にある時

カルマではなく、自分を生きる

ことが出来るのです。