《 本日のフリーダムメッセージ 使命を生きる》

 

 

使命というと、今自分の求めるナビゲーションの正解に

自分を委ねてしまい制限してしまうことも多いですが

それでは、いつまでも自分を活かすことが

出来ないと感じることがあります。

 

 

ふらふら、彷徨うように、いろいろなところで

学んでも学んでも活かすことができない人に多いのが

『自分が求めているもの』

『自分が世界に与えたいもの』

この2つを勘違いしている状態です。

 

 

1、今、自分が欲している欠乏が、動力になっている場合

2、自分は既に超えている(持っている)ことを

  ただ、世界に対して愛を与えている場合

 

 

この2つは、大きく異なりますが

1番の場合がとても多いのです。

 

 

それは、一体何故でしょうか?

人間は興味があるもの、フォーカスしたいと思えるものは

<自分が今得たいと思っているもの、自分が欲しいと思っているもの>

なのです。

 

 

休みが多すぎて暇すぎていたら、活動や充実を求めます。

仕事を引退した人たちが、求め出すのは充実です。

逆に充実しているけれど忙しい人は、安らぎと休みを求めます。

 

 

非日常の世界ばかりにいる人は、日常に安らぎを感じます。

現実的ばかりを生きている人は、非日常に安らぎを感じます。

 

 

覚醒して変化し超えていくことをしている人は、リラクゼーションが大切と感じます。

変化せずに、停滞していると感じている人は、一気に変化したいと感じます。

 

 

人と交わってばかりいる人は、一人になりたいと感じます。

一人の時間が多い人は、人と触れ合いたいと感じます。

 

 

海ばかりだったら、森林へ。

山ばかりだったら、海へ。

 

 

都会ばかりだったら田舎へ。

田舎ばかりだったら都会へ。

 

 

わたしたちは、この瞬間、いつもいつも、自分が過剰に得ているものの逆に

フォーカスが良いと感じ出すものなのです。

 

 

これは、自分が求める今どうしたいか?

ということを教えてくれているナビゲーションであり

フォーカスが発生しているナビゲーションは、ずっと存在します。

 

 

こうした

『自分が求めている今どうしたいか?』という

ナビゲーションは、ずっと存在していて

その時々で、自分の生活をどうするか。

自分の取り組んでいくことをどうするか。

自分はどんなことを学んでいくか。

自分がそこから何を得ていくか

そういったことに役立ちます。

 

 

そして、この1番の『自分が求めている今どうしたいか?』ナビゲーションは

使命や誓願とは全く無関係に存在します。

 

 

使命や誓願を仕事にすること。

それは、2、自分は既に超えている(持っている)ことを

  ただ、世界に対して愛を与えている場合。

もしくは、未だ持っていないけれど、未来にそうしたいと感じる場合

(ライトワーカーだと、自分と他者を同時に与えたいと思う場合あり)

 

 

であるからです。

 

 

自分は既に超えている(持っている)ものをただ、世界に対して愛を与える

 

 

この動機は、愛です。

誰かの苦しみを解いて幸せにしたい

その存在故に、菩薩とも言われます。

ライトワーカーの特質です。

 

 

『あの時、自分も苦しんだから、同じように苦しんでいる人に対して

幸せを届けたい』と感じる、世界への愛です。

 

 

それを生きていれば

自分は既に得ていて十分なんだけれど

自分というスピリットや魂がどんな性質を持っていて

どんな愛を届けるのが自分らしいかを見定め

それを届け続けているのです。

 

 

非常に重要なことは

1、今、自分が欲している欠乏が、動力になっている場合

2、自分は既に超えている(持っている)ことを

  ただ、世界に対して愛を与えている場合

 

 

この2つは、全く異なるということです。

 

 

今、このタイミングで自分が欠乏していることに

人間は必ずフォーカスされます。

そして、その方向に正しさを感じます。

それと、使命とは全く無関係に存在するので

その方向と使命を重ねようとしても重なりません。

いつまでたっても、求めるばかりで世界に愛を届ける

というところに立つことが出来ない状態になるのです。

 

 

1番を追いかけ続けていて

成功した人を、わたしは見たことがありません。

 

 

次はこれ、その次はこれ。

結果的には、未だ使命がこれであるということが

確定していない状態とも言えます。

 

 

わからないということは

決して悪いことばかりではありません。

不確定さは、可能性でもあります。

使命に開かれていない状態は

最も可能性に満ちている状態とも言えます。

 

 

自分という存在が確定してきて

自分という存在がわかると

使命も確定して変わらなくなる領域があります。

 

 

そうなると、新しいことに着手することもあるかもしれませんが

今行っていることを、より違う層に届けようとしているとか

より違う方法で届けようとしているだけに過ぎず

行っていることの、本質は変わらなくなります。

 

 

自分という存在が確定してきて

自分という存在がわかり

使命も確定してくると

自分が求めていることに

もはや、振り回されることはありません。

 

 

自分が今求めていナビゲーションと、使命は完全に分断され

はっきりと、各々が独立して存在するようになるからです。

 

 

あなたが、世界に与えたいものは何ですか?

あなたが、世界に届けたいものは何ですか?

あなたは、どんな愛として世界に表現したいでしょうか?

 

 

スピリットドリームマスターでは

このあたりをエッセンスレベルで確立するので

自分という愛を現して生きること以外の

一切の可能性が無くなります。

 

 

それは、強制で無くなるのではなく

本人がそれ以外、全く興味が無くなるからです。

 

 

そうなると、一過性の通りすぎる

自分の欠乏のナビゲーションに

振り回されることは二度とありません。

 

 

自分という存在の確定。

自分というエッセンスレベルの存在の愛の覚醒であり

霊的レベルの誓願の成就を今生きることに繋がります。

 

 

『 これが、わたしだ! 』

 

 

自分という愛を、瞬間瞬間

現し続ける愛の体現者。

 

 

その時に、善悪や光と闇という二元性を超えた

あなたという存在の使命に開かれるのです。