《 本日のフリーダムショートメッセージ 全身全霊の愛と罪悪感と犠牲と責任と矛盾 》 

 

 

2月22日~23日に行います

ゾロ目一斉LOVING222

天命啓示 百合の花 全ては我に在り

の一斉ワークの準備の影響で

 

 

わたし自身も

今まで生きてきたことに対して

全ての出来事のジャッジを無くし

全ての出来事を許してゆき

全ての出来事に感謝してゆく

学びが発生しています。

 

 

全身全霊の愛と罪悪感と犠牲と責任と矛盾

 

 

非常に長いタイトルですが

自分自身に対して許しが起こったので

シェアさせて頂きます。

 

 

わたしは、全力で生きることしか出来ず

ほどほどにという事が出来ない

不器用なところがあります。

 

 

出し惜しみしたり

セーブしようとすると

自分を生きれなくなるのです。

生きている感じがしないのです。

 

 

ほどほどに出来る人が

羨ましい時もありましたが

途中からは全力でしか生きられない

不器用な自分を受け止めるようになりました。

 

 

愛に対しては自分の重要項目で

『 最善を尽くせただろうか。』

と問いかけを常日頃しています。

 

 

そういう傾向のある自分は

どうしても全身全霊で生きていて

ふと気がつくと、つい、頑張りすぎてしまっていたと

気付くことがあります。

 

 

頑張りすぎているのを放っておくと

そのうち犠牲になりやすいですから

自分の喜びに沿っているか

自己責任の取れる範囲で行うかは

常日頃良く気をつけている事項です。

 

 

それでも、頑張り過ぎちゃってた

なんて事も良くあります。

 

 

ここでですね。

わたしのようなタイプは

更に追い討ちをかけられる事があるんです。

 

 

『 無理した事自体が依存でしょ?』

『自分の喜びに責任を取りなさい』と

手厳しい声を頂いたこともあります。

 

 

確かに自分の喜びに責任取るの

とっても大事です。

 

 

被害者にならないために。

 

 

ところが、わたしのようなタイプの人は

自分をセーブしてみると

セーブすると、どうやって生きたら良いか

自分を生きれなくて不明瞭になります。

 

 

全身全霊の愛を生きる時

わたしの場合、ちょっとだけ今の自分を超えて

自分の愛を拡大しようとしています。

 

 

犠牲にならないギリギリのラインを

責めるのが好きなんです。

そこが一番『今の自分にとっての最高の愛』

を感じやすいですから。

 

 

更には、『今の自分にとっての最高の愛』を現すことは

わたしにとって重要なんです。

 

 

後で自分が後悔しないように

後から自分が自分に罪悪感を抱かないように

するには、これが一番責任取れてる状態なんです。

 

 

生き方に責任取ってるというか。

 

 

ですから、頑張り過ぎたり

無理していたと気付けた時に

別の方法や別のスタンスに

切り替える事が出来れば

 

 

犠牲にならないギリギリのラインを

責めるのが好きな自分を

そのまま許してあげても

良いんじゃ無いかと思うのです。

 

 

タイトルにある矛盾は

何時も何時も、自分の喜びに

責任を取っている状態をキープさせようとする事では

成長も無ければ、全身全霊の愛を表現出来ず

罪悪感が発生するので、生き方に責任を取れないんです。

 

 

そうすると

『一体、何処に行けば責任を取れるんですか?』という

矛盾の疑問が湧いて来ます。

 

 

このままでは、どちらに行き着いても

何かしら、責任取れて無いですという項目や

ジャッジが発生します。

 

 

矛盾を超えるためには

努力家で熱心で一生懸命で

不器用な愛し方しか出来ない自分を

そのまま丸ごと許してあげること。

   

   

頑張り過ぎちゃってたことに気付いたら

頑張り過ぎちゃったねと

労ってあげること。

反省は要らない。それだけでいい。

 

 

ずっと、時速50キロで走るのは不可能で

120キロ出して、疲れちゃったら

20キロの低速の時期もあっていい。

そんな自分を許したい。

 

 

そうしたら、とても心が楽になりました。

 

 

コミカルで不思議な生き物の自分。

善も悪もなく、光も闇も無い時代に

入っています。

 

 

わたしと似たような人

いらっしゃいませんか?(結構いるような。。。笑)

 

 

もう、その自分を嫌う必要はありません。

自分らしさを愛していきましょう!