《本日のフリーダムメッセージ 共に歩む人》

 

出雲に日本神界の封印解除の

ライトワークに出向いていました。

 

かなり、内容が濃かったので

それについては、また、明日以降

ご報告させていただこうと思います。

 

***

 

今日の話は、出会いと別れ。

どなたにも通じる話ですが

特に、スピリチュアルティーチャーの方に

向けてのお話しをしてみようと思います。

 

このお仕事をしていて

幾度となく、人と出会い

そして、人との別れを経験してきました。

 

お仕事においてもそうですし

プライベートにおいてもそうですが

人が人と関わりたいと思う時には

様々な動機があるように思います。

 

例えば スピリチュアルティーチャーとして

活動している時に、相手が求めてくるものは

 

* 持っている能力や技術が欲しい

* 好奇心旺盛で、未知を知りたい

* 自分を認めて欲しい

* 安らぎが欲しい

* 愛して欲しい。

* 解放して欲しい。

* 活躍できそうな場を求めている 等。

 

様々な理由で、来られます。

 

そして、その中で

* 持っている能力や技術が欲しい

* 好奇心旺盛で、未知を知りたい

というだけを、求めてくる場合は

自分の目の前を、通り過ぎていく人です。

 

逆に、共に歩んでいく、深く愛し合っていくことを

望まれている人だけが、そのまま自分の目の前の景色に

残っている人です。

 

その場合、ティーチャーが愛するだけでなく

相手もティーチャーを愛したいと感じています。

この時だけ、関係は深く長くなるのです。

 

わたし自身が、指導者に求めるものが

愛し合うということであったため

そうでは無い人を見る度に

不思議で仕方なかったのですが

同じである必要もありません。

 

スピリチュアルティーチャーに求めてくるのは

能力や、技術だけが欲しい人も

沢山いるのですから、そういう人には

欲しいものを与えること以外に出来ません。

 

安らぎだけ。解放だけ。

欲しいと感じているものだけを与えると

その人たちは、自分から去っていきます。

 

求められるものに応えることしか出来ないのが

スピリチュアルティーチャー。

望んでいることにしか応えられません。

望んでいないことを与えるのは

どんなに素晴らしいことであっても

コントロールになってしまうからです。

 

故に、その人が、本当に奥底に求めているのが

愛し合うことであったとしても

本人がそれに気付いていないうちは

愛が響かないこともあるのです。

 

能力や技術は、とても煌びやかで

誰もが欲しがります。そうしたものだけでなく

内面を整えたり、愛も育てていくことの

大事さを説いているのですが

本人の覚醒段階においては

話が通じないこともあります。

 

そうした難しさを感じながらも

気がつけば、自分の目の前には

<共に愛し合いたいと願っている人>とか

<愛し合いながら、共に世界に愛を広げていく人>しか

自然に残らないわけですから

自分から人が去っていった時に

嘆く必要はありません。

 

愛されなかった、選ばれなかったと

嘆く必要は無いのです。

世の中に、自分に<愛し合う>ことを

心から求めてくる人間は

そんなに多くは無いからです。

 

中には、<自分は指導者を愛している>

と思い込んでいる人の中で

実は、<自分が愛されるために、愛している>

という見返りが多々混ざっていることもあります。

 

そういった場合、例えば、わたしの側で働いている

スタッフさんなどは、徹底的に<見返りを剥がされる>

ということが起こりますから、それが剥がれても

なお、愛したいと望んでいるかどうかによって

共に歩んでいけるかどうかが決まります。

 

見返りの愛は、とても傲慢です。

<こんなにしてあげている>と思っているものです。

従って愛することさえ<愛してやっている>と思っています。

もしくは<選んでやっている>と思っています。

<選んでやっている>と感じる時というのは

独特の高揚感があります。

それは、相手に対して優位性を感じているからです。

 

恋愛でも同じです。

選んでやっているを感じやすいように

誰かをキープしておいて、あちらこちら

目移りしている状態、それは、もっと良い商品があれば

そちらに何時でも移動するような意識状態で

それは、<利用>と言われる意識状態ですから

愛とはかけ離れています。

 

利用を恐れないことです。

自分がその人にとって役立つ何かがあって

使っていただけるところがあるなら

大いに使っていただければ良いのです。

 

そして、ティーチャーである自分の方は

利用されることを恐れず

全力で愛することを躊躇わずに

目の前の人を愛し続けることです。

 

そうして愛し続けていく中で

時々、向こうのほうからも

あなたを愛したいと望む人がいるでしょう。

 

そうして、愛し合いたい人同士の時に

ずっと、愛し合っていくことが起こるのです。

 

あなた自身が、もし、好奇心や能力だけを

欲していたとしたら、目の前にも同じ人が現れます。

あなたを選んでくれる人は現れません。

 

そうではなくて、ただ、純粋に

自分自身の選択基準が愛し合うという状態の時

愛し合いたい人が、目の前に時々現れるのです。

 

見返りがなく、純粋な愛の完結の連続が

愛し合いながら、共に歩んでいくことを

叶え合うということなのです。