《本日のフリーダムメッセージ》

~出来ない時の慈しみ〜

 

何でも出来るようになりたい。
ある一定の時期までは
出来るようになることが
大切で重要です。

ところが、ある一定の時期を過ぎると
出来ることと出来ないことの両方に
慈しみを感じるようになります。

何でも出来るということは
頼れる機会がありません。

何でも出来るということは
教わる機会もありません。

ところが、出来ないと
頼れますし、教えてもらえるのです。

出来ることが増えれば増えるほど
こういった出来ない時間
ということ自体に癒しと慈しみを
感じることになります。

このように
人間というのは
ある一定の時期に求めていたこととは
別のことを求めたり
別のことに喜びを感じたりする生き物です。

暇でお仕事がない時
もっと充実して忙しくなりたいと望み

お仕事が多すぎると
休息が欲しいということのように

実際にその場に立ったときには
別の極の望みを抱いたりするものです。

出来る出来ないというのも同じで
出来ない時には想像出来ないかもしれませんが
出来るということが増えると
出来ないということがあるところに
慈しみや恩恵を感じるようになるのです。

また、出来るというのは
同時に何かが出来なくなる
ということを含んでいます。

苦しみも同じです。

本当に終わってしまうと
もう、苦しむことが出来なくなります。

何もかも。
いつも、わたしたちは何かが出来ています。

出来るということを、もっと大きな目線で
捉えてみた時、今出来ていることが
自ずと観えてくるかもしれません。