《本日のフリーダムメッセージ》

~嘘と偽善 〜 その1確信犯的偽善〜

 

自分が数々の悪を過去生で行っていたため
悪らしい悪というところでは
反応しなかったわたしですが

長い事受け容れられず
忌み嫌っていたのが偽善です。

偽善者を見ると
虫酸が走るくらい苦手でした。

『あなたのためです。』とか
『世界のためです。』という感じで
真っ白とうたいながら
エネルギー的にはグレーを出す人に
いつも違和感を感じてきました。

苛立ちや違和感や憤りを感じているなら
感じている側に原因がある。

という事実がありますから
時間をかけながら、偽善ということと
向かい続け、研究し続けました。

そもそも、偽善とはどうやって起こるのでしょうか?

偽善とは『本当の状態より良く見せようとしている』
ということが起こった時に発生することです。

研究していくうちに
偽善にも幾つか種類があることが
わかってきました。

1、確信犯的偽善
2、本人無自覚偽善

このうち、わたしが苛立ちを感じるのは
2、本人無自覚偽善であるとわかったのです。

1、確信犯的偽善
2、本人無自覚偽善
について見ていきましょう。

 

1、確信犯的偽善

これは、偽善を行っている本人が
『これは偽善である』ということを自覚しながら
行う行為です。

要するに、嘘をついていることを
自覚しながら、偽善とわかりながら行うことです。

例えば、詐欺などもここに入ります。
以前、友人が勧誘系の連鎖的商法に引っかかった時
わたしに勧誘してきたことがあります。

怪しい感じがしない、スタイリッシュな雰囲気を
感じさせる商法でしたが、嘘の匂いがしたので
わたしは彼女を止めました。

しかし、彼女が熱意をもってどうしてもというので
彼女が脱退する気になるかもしれないと思い
人生経験の一つだと思って出向いたことがあります。

会場はスタイリッシュな感じで
説明をしてくれる人は上手に話すのですが
嘘がその都度みえてしまい、それをつついていくと
説明の人がついに対応出来なくなってしまいました。

実は、当時、わたしは嘘をつくのが超絶得意でした。
傷害と殺人と薬物以外の犯罪については
一通り完全犯罪的に悪さを行ってきたので
→→当時の経緯の詳細はこちら
嘘をつくのがもの凄く得意だったのと同時に
人の嘘を暴くのも、もの凄く得意でした。

わたしだったら、もっと上手く騙せるのにとさえ
思いながら話していると、説明者がおろおろし出して
どうやら、ボス的存在を出してきました。

そこでも、一歩もひかないわたしを見て
主催者側はどうやら、わたしと関わるのを
諦めたようでした。

結果、友人はわたしのところに話をする前に
既に35万円ほど、その会社(?)に
投資をしてしまっていましたが、わたしが出向いたことに
より、その会社に対して迷いが生じて、それ以上の投資は
行うことはありませんでした。

それから、2ヶ月後、その会社は
誰かがお金を持ち逃げして無くなった。
あの時にAyaが言っていたことは本当だったと
友人から感謝の電話がありました。

友人からも感謝される一件にもなりましたが
この事象によって、わたしは自分以外の犯罪者の
意識状態、犯罪の現場を体験することが出来たのでした。

1、確信犯的偽善 は、このように詐欺の場合も
あるでしょうし、詐欺まではいかなかったとしても
真実と言っていることに差異が生じたときも
確信犯的偽善に入ると思われます。

例えば、たいして商品が良い商品だと
売り手の本人は思っていないのに売り続けている。
これも、確信犯的偽善に入るでしょう。

本当に良いと思っていないものを売っている。
もしくは、本来の価値よりも高くで売っていることを
自覚しながら、売り続ける。
これは確信犯的偽善に入ります。

何人か話をきいたことがあるのは
外貨や株のトレードをクライアントに
サポートする仕事をされていた方が
本当に良いと思っていないのに
クライアントに勧めなくてはならず
辛くなって辞めたという話です。

これも、確信犯的偽善という行為を行うことが
辛くなったということです。

確信犯的偽善を行っている人の特徴としては
実際に確信犯的偽善を行った人や
若き頃の自分の実体験からの臨床を研究すると
以下のような意識状態であることがわかってきました。

1、自分が偽善を行っていると自覚しているので
罪の意識がどこかに発生している。(罪悪感の形成)

2、そうした偽善として利益を得なくてはならないほど
誰かから搾取しなくては豊かになれないとしか
思えない程度の意識レベルである。
つまり、本質的な自信や価値が存在しない。無価値観。

3、確信犯的偽善を行う側は、『騙される前に騙せ』
というような意識が存在する。
つまり、人を信じられないのです。

4、何処かで、そんな自分を止めてほしいという
意識が存在する。つまり、自分を見てほしいという願望

通常、確信犯的偽善を行った側は加害者として
騙された側は被害者として扱いを受けますが
犯罪心理も含めて捉えてみると
加害者もまた、とても傷ついた意識状態で
幸せからはほど遠いという事実

そして、例え完全犯罪で捕まらなかったとしても
誰かが罰しなくとも、いつか自分でそれを清算する
ということ(カルマの清算 わたしも漏れなく起こりました)

誰も見ていなかったとしても
自分はいつも、自分を見ているのです。

確信犯的偽善の場合、何処かで清算が起こります。
こうした確信犯的偽善が終わっていくためには
犯罪を起こすほどに傷ついているその人の心が
本質的に癒されていくことによってしか
本当には終わらないとわたしは思っています。

犯罪は愛を欲する行為です。

罪の意識を蓄積するのを辞めて
本質的な自信や価値を見出し
人が信じられるようになって
世界は自分を愛していると感じられる時

確信犯的偽善が必要なくなり
その人の世界から消えるのではないでしょうか。

明日は2、本人無自覚偽善について話していきます。