《本日のフリーダムメッセージ》

~嘘と偽善 〜 その3、嘘〜

 

嘘と偽善の記事を連載で書いています。
確信犯的偽善と本人無自覚偽善
について書いていきました。

その1 確信犯的偽善
その2 本人無自覚偽善

本日は、最終回。
についてお話ししていきます。

嘘をついている。
または嘘をついたことによる
罪悪感を抱えている人非常に多いです。
(隠しているも入ります)

気にしないようにしても
心の奥の奥でずっと気になっていたり
自分は罪を犯したとして責めていたりします。

そもそも、嘘を好んでつきたい人は
あまり多くありません。

仕方なくついているという状態が
95パーセント以上と言っても
過言ではない気がします。

いろいろな嘘が存在しますが
本日はそういった
仕方なく嘘をついたことにより
罪悪感を抱えているケースについて
お話ししていきます。

その1確信犯的偽善でも書いていきましたように
嘘をつくのが得意だった私でしたが
そんな風になったのにはいきさつがありました。

わたしが、最初についた嘘として
非常に記憶に残っている印象的な嘘は
小学生低学年の頃でした。

わたしは思ったことしか言えない純粋な子供で
それは、他人にとっては都合が悪いことも
あったのです。

ある昼下がり、台所でわたしは母と口論になりました。
母は、私がこうだったのではないか。
という決めつけをしました。

私は当時から自分の意見や主張を
はっきりと持っている子供だったので
頑として譲らず、自分にとっての真実は
こうであったということを負けずに
発言したことで、意見の食い違いからの
口論となったのです。

口論がヒートアップしていった時。
ふと、目の前に、包丁が現れ
母は包丁を突きつけながら
私にこう言いました。

『お前が言っていることは嘘に決まっている。
嘘であったと認めろ!』

私は、全力で必死に包丁を止めながら
どうするかを早急に決断しなくてはなりませんでした。

刺されてもいいので、自分の真実を貫くか。

本当は嘘ではないけれど
自分が言っていたことは
嘘だということにして
命が助かるようにするか。

わたしは、後者を選びました。
痛いのは嫌だったし
死にたくなかったのです。

母に、わたしは言いました。
『ごめんなさい。わたしは嘘をついていました。』

母は、急に機嫌が良くなり
包丁は取り下げられました。

別の選択をしていたら
母はわたしを殺していたか。

それはわたしには分かりかねますが
当時母は、エクソシスト含めて
霊障まみれでしたので
何が起こっても不思議ではなかったと思います。

包丁という同じアイテムによって
わたしが小学校中学年くらいの時に
母は自殺未遂を起こして自分の腹部を大きく
切ったからです。

わたしにとっては、とても大きな出来事であり
自分の純粋性を失ってでも生き延びる
ということを選んだのです。

その後も、母は、時々わたしを疑い続けました。

ある時、わたしは風邪で体調を崩して
熱を出していました。

幼少の頃、熱を出すことは多かったのですが
いよいよ熱が高くなって
震えが止まらなくなりました。

熱がとても高くなる直前に震えが起こる。
まさにそれが起こっていました。

ところが、それを見て
母は私に言いました。
『何を演技しているんだ。早く止めなさい。』

しかし、私は演技をしているわけではなかったので
震えを止められるはずもなく
無理な母の要望と信じてもらえない悲しみと
体調の悪さで、泣くことしか出来ませんでした。

こういう話をすると
母が、相当悪そうな人だったり
異常者だと思えると思うのですが
そうではありません。

ちゃんとした理由があって
起こることが起こっていたのです。

当時の私は知りようもありませんでしたが
母は当時酷い霊障にかかっていました。

それと共に、母と私は
幾度か過去生で出会っていました。

お互いに黒魔術師だったこともありますが
それだけでなく、今回の『母が信じられない』
という理由は、私が過去生で母を裏切った
ことがあるから発生した事象でした。

過去生の一つで、母と付き合っていた男性を
わたしは奪ってしまったことがあるのです。

そのため、お互いに
裏切る設定
というところからしか観ることが出来ず
私がどんなことをしていても
母は娘としてのわたしを純粋に見ることは
出来なかったのです。

過去生のカルマ越しにしか
私を観ることができず
理由もなく、娘が嘘をついている。
そして、言いようもない裏切りによる憎しみ
というところから、関係性が構築されていたのでした。

私の幼少期の
こういった日常は
悪夢という日常を終わらせ
設定を終えて超えていける。
生きながらにして
ゼロから関係性を紡ぎ直せる。

というわたしの誓願。
オリジナルワーク
フリーダムディスティニー
を構築する要因となっています。

多くの方が
過去生からのしがらみによる
家族関係の構築ではなく
純粋な愛に還した関係を
築いていかれることは
わたしの深い深い望みです。

わたしのように
命がかかってまではいなかったとしても
止むを得ず嘘をついている方
とても多いです。

包丁事件からの後
わたしは母に真実を語るということを
ほとんどしなくなり
嘘ばかりつくようになりました。

当たり障りのない
母が気に入る母の話しか
しなくなりました。

嘘をつき続けたことで
罪悪感が蓄積していったのですが
ある発見をしてからは
罪悪感を抱く必要がないことに気づきました。

嘘をつくという事象は
AとBという二人の人間間で発生します。

AがBに真実を語った時
Bが肯定し受けとめてくれたら
AはBに嘘をつく必要はありません。

問題は、AとBの意見が異なった際に
BがAにAがしたい行動を阻止しようとする
流れが起こった時です。

この場合、最初は
理解してもらおうと思ったり
話し合ったりして
Aは平和的な解決を実行しようとします。

ところが、Aがしたいことを
Bが絶対的反対をした際には
段々争いが生まれてきます。

つまり、Aが行いたいことに対して
Bが絶対的反対を起こした際には
Aのとれる方法は、大きく分けると
以下の3つしか選択肢がありません。

1、AはBの言いなりになる
Bは譲らない。
(争いは起こらないが、Aは自分に嘘をついている)
2、Aも譲らず
Bも譲らない。
(誰も嘘はついていないが争いによる消耗が起こる)
3、Aは自分の真実を貫き、Bに嘘をつくか隠す
(AはBに嘘をつくことになるが、自分には嘘はつかずに、争いも起こさずに済む)

1、2、3を見てもらえばわかるように
どれも嫌ですねえ。。。笑)

そうなんです。
楽しいなと思える選択は
どれ一つとして存在しないのです。

1も2も3も一通り全部やったりして
そこから、どれを選択するかということを
行っていたりするのですよね。

こうして1と2と3を見てみると
3ってそんなに悪くない。
と思ってしまうのは
私だけでしょうか。

1をね、やり続けた人は
すごく大変ですよ。

何せ自分に嘘ついてるわけだから
体に出ちゃったり
怒り溜めちゃったりね。

どれも選びたくない選択肢の中で
わたしが最もおすすめしない選択肢は
1番です。

1番の人は、1番であることを
辞めていかなくちゃいけない。

なぜなら、自分を生きるってことが
出来てないってことだからね。

2番もね、消耗するんですよね。
続けていくと疲れちゃいますよね。
わかってもらおうとしても
他者ってわかってくれないからね。

3番もできれば使いたくない方法だけど
場合によっては使わなくちゃならない時も
あるかもしれません。

でも、その時に
変な罪悪感見たいのはいらないですよね。

だって、自分が自分の幸せを生きるためには
それ以外の方法がなかったからだから。

だから、もう許しちゃいなよ。
嘘ついたってのは、究極の選択の中で
自分の弱さとかがあって
大切にしている何かがあって
守ろうともしたかもしれないけれど

自分に嘘はつかずに
平和的解決をしようとした。
という行為なんだから。

最後に、意識レベルが上がると
4番が現れます。

4番というのは
支配とかコントロールが存在しない世界にいる
ということです。
自分の真実を言った時に反対されようが
何だろうが、自分がやりたいことだからやる。

あんまりにも反対する人って
こうなってくると現れなくなると思うけれど
もし現れたとしたら
そこにエネルギーを注ぐのが面倒なので
そういう人とは関わらなくなるかもしれません。

自分がやりたいことだからやる。

ということについて、それ以上でもそれ以下でもなく
それを行なっていくということについて
誇りを持って行動できている状態で偽りも存在しない。
他者が例え何か言ったとしても何とも思ってない。

そうなると、1、2、3のすべてから脱却できます。

嘘って、深い。
弱さとか、脆さとか、守ってることとか。
誠実さという自分を知るために
愚かな自分が明らかになる行為。

そう、嘘は世界のすべてに正直である
自分を体現できるまでの。

誠実であるという自分を現すまでに
誠実の真逆を知るプロセスなのです。