《本日のフリーダムメッセージ 愛は奥深い》

 

スペインから帰ってまいりました。

数日お休みをとっておりましたが

ゆっくり休んで万全な状態に戻りました。

 

一斉LOVINGのご感想を沢山いただき

本当にありがとうございます。

 

とても濃いワークでしたね(笑)

それもそのはず、自分の受け入れがたい闇を受け入れ

愛に転じるシャドーワーク的な要素が大きかったからです。

 

その時、起こりうることは、愛の拡大です。

 

悪とは、自分が定義しているもの。

それだけが、悪です。

 

人が決めた悪を鵜呑みにしている場合で

自分にとっての真実と一致していなかった場合

自分の表現したい愛を押しとどめていることにもなります。

 

誰かの決めた悪であっても

自分にとっての愛であれば

それを揺るぎ無く表現してもいい。

 

もう、そういう時代に突入しました。

 

癒されていないと思ったり

愛されていないと思っている時というのは

それが、自分にとって、どれほどの愛であるかが

見えていない時です。

 

一度たりとも、宇宙が望みを

叶えなかったことはないからです。

 

わたしは、全然叶っていない!という人は

カルマがかかっているか

それは自分の望みではないか

もしくは、魂とマインドの望みが一致していないかの

どれかであることが殆どです。

 

その時々、ピンポイントでは愛ではないとしか

思えないことですら、後に振り返ると愛でしかない

という風に出来ているのが人生です。

 

人間だから、愛そうとしても

傷つけ合ってしまうことだってある。

 

到底、愛とは思えない愛だってあります。

 

例えば、わたしは基本的に諦めない人間です。

しぶとい。だから信念を通して貫き通す力がある。

どんなに裏切られたり、傷つけ合ったりしても

最後は絶対に愛し合えるとしか信じていません。

 

どうして、そのような能力が身についたか?

それは、母です。

 

母は、問題が有り過ぎました。

霊障を何十体もつけており

悪魔さえ呼んで、呪詛を毎日唱え続けて

わたしを呪いました。

 

極度の憎しみと呪いと戦いの上に

母がわたしを愛そうとする、それは

『常に、愛して欲しい』

という現れでしかなく

常に、愛を求められることが通常で

所有や依存といったものが殆どでした。

 

わたしは、母から与えられる

殆ど、純粋な愛ではない真っ暗闇の中から

純粋な愛という光を見つけなければならなかったのです。

 

物凄く傷付いている人が

愛そうと努力している時点で愛である

という事実を捉えてからは

闇に光を見出すのが劇的に上手になりました。

 

何故なら、わたしにとって最も難関だったのは

母だったからです。

 

母以外は、容易く感じます。

 

諦めなくしぶとく

どんなに裏切られたり、傷つけ合ったりしても

最後は絶対に愛し合えるとしか信じていない

能力を身につけられたのは、母がわたしの母だったからです。

 

最も弱き者にも寄り添おうという

意識が途絶えたことがないのも

母がわたしの母だったからです。

 

それは、わたしが行いたい使命そのものであり

先陣としんがり。意識の橋を世界に架けるためには

とても必要な能力だったのです。

 

誰でも諦める場面でも

絶対に諦めることがないという資質は

時に、奇跡を生みます。

 

奇跡とは、幾度も諦めなかった信念という

水が、いつか岩をも溶かしてしまうものなのです。

 

わたしたちは、人間で闇も沢山経験してきました。

光もありましたが、闇の方が多い感じがする人は

これまた奥深い恩恵です。

 

それは、どういう愛であるかというと

わたしたちが、闇をやり尽くした後は

光に真っしぐらに進めるようになっているのです。

 

闇をやり尽くしたと決めきった後は

光にしか進めなくなっています。

 

闇を与える相手は、その時はとても酷いと思ったり

許し難かったりしますが

だからこそ、わたしたちは

自分にとって光と感じることを

自分にとっての愛を見つけることができ

その自分を生きることが出来るのです。

 

愛は、奥深い。

絶望の深さだけの、光もまた、有り。

 

あなたは、どんな愛を見つけましたか?

見つけた時、時は意味を失います。

時を超えて、過去も未来も全てを超越して

愛の拡大は起こり続けるのです。