《本日のフリーダムメッセージ 手作りごはん》

 

 

今現在、わたしの家庭では

夫である努さんが、食事をつくってくれています。

 

 

これが、とても美味しい。

 

 

あらゆる外食で美味しいものを沢山食べてきましたが

愛の絶対質量が違うので、素朴なものでも美味しいのです。

 

 

美味しくなるように、工夫している様子が伺えるし

わたしが、飽きないように、新しい味にもチャレンジしていたり

わたしの好みになるように、常に研究している様子も伺えます。

 

 

以前、フリーダムディスティニーのスタッフの方が

努さんが、とても、難しい顔をしてパソコンと睨めっこしていたので

てっきり、ライトワークのことなどを調べているのだろうかと

何気に後ろから覗き込んで見たら、料理のページを眺めていた

という逸話があります。

 

 

どんな形でも、全力の愛は表現出来る。

全力の愛を表現しているというのは

相手はわかるものです。

 

 

わかってもらおうとするのではない

ただ、相手のために行った行為は

形に関係なく、相手に伝わるのです。

 

 

以下、わたしが感じる同義語

 

 

覚悟

本気

 

 

これは、全部同義語です。

愛している時、余地などありません。

それで埋め尽くされています。

 

 

覚悟している時、躊躇いなど関係ありません。

起こることに対して、何もかも抱きとめているからです。

 

 

本気の時も同じ。

出来なかったらというリスクを抱えてでも

その闇ごと抱きとめている状態です。

 

 

わたしたちは、一瞬先の未来を知らない。

 

 

チャネリングしたり、予知したり

予測したり、色々出来るかもしれませんが

現実レベルで、未だ起こっていないことについて

本当の意味で、知ることは出来ません。

 

 

だとすれば、わからない中で

起こりうることのすべてを抱きとめて生きるしかない。

それが、覚悟であり、本気であり、愛を生きることなのだと思います。

 

 

覚悟の仕方は、様々です。

努さんのように、何もかも委ねて、サレンダーして生きて

流されているように見えても、起こることのすべてに

責任を取って生きている人もいます。

 

 

私のように、自分の決めた、世界の中で誰も知らない

ただ、一点の答えという、ある意味狂気にも似た

境地に向かっていくことに決意をもたらし

それを達成すること、己の望みを叶えることについての

あらゆる影響や発生する現象のすべてを抱きとめて生きる。

これも、覚悟しながら、起こることのすべてに

責任を取って生きている生き方であると思います。

 

 

愛、覚悟、本気。

暑苦しい熱血漫画のような台詞のようですが

侮るなかれ。斜めから物事を見ているうちは

決して辿り着けない場所があるのです。

 

 

生き方や愛の表現は

何も特別なことをしなくとも

料理一つでも滲み出るし

生き様全体に反映されます。

 

 

輝かなくてもいい。

そのままで、あなたは光だから。

 

 

それでも、やっぱり、輝きたければ

自分のいのちを輝かせていくしかありません。

 

 

愛を燃やせ。

燃やしても燃やしても

また、熱く燃えてくる、止めどない泉よ。

 

 

情熱の炎が、わたしたちを生かし

明日の地球という舞台をつくり

踊る演目を決めて行くのだから。