《 本日のフリーダムメッセージ 最弱と最強 》  

 

 

昨日の家族の記事を書いていて

わたしが『世界の全てに愛を届ける』ということが

誓願になった一つの理由に

母の存在はとても大きいなと

しみじみ感じました。

 

 

『ああ、この人、本当にもうどうしようもない。』

『世の中に迷惑ばかりかけて生きている。』

『良いところを見出そうとしても、出てこない』

というような人っていませんか?

 

 

これまで、何千回とあらゆる方のセッションを拝見して

そういう人が家族にいるというケースを

時々見かけることがあります。

 

 

何というか、もはやフォローのしようが無いくらいに

どうしようも無いんです。

 

 

わたしの場合、母ほど弱い人を見たことがありません。

純粋な愛を殆ど持ちあわせておらず

愛を人に与えている割合は

雀の涙ほどしかありません。

 

 

以前、『純粋な愛発見器』みたいなワークをつくった時に

自分が関わる人とのあらゆる人との間にある愛を

見ていったことがあるのですが

母がわたしに対しての愛といったら

想像を絶するくらいの少なさで

お米一粒くらいしかなくて唖然としました。

 

 

いくらなんでも、母親なんだから

子供に対して少しは愛情があるだろう

という私の想像をはるかに超えすぎて

夫にも見てもらったところ

『え?マジで?』と驚かれてしまったくらいです。

 

 

愛を数字にするのもどうかと思いますが

例えるなら、わたしが母に対する愛が『1万』だとしたら

母がわたしを愛している愛は『1』くらいといったほどの違いです。

 

 

自分が母を愛するのと

同じように自分を愛して欲しいという

小さい頃のわたしの望みは

幾度となく砕け散り、そのうち平等を求めなくなり

諦めたというか、事実を受け入れたという形で

平等じゃなくとも愛するということを決めて

自分が出来うる最善を尽くしてきましたが

正直、ここまでの差があるとは思わなかったので

びっくりしたものです。

 

 

世間的にも社会的にも魂的にも

愛の絶対温度的にも最弱の母を

霊的指導者に遠隔で状態を見せる時に言われることは

いつも一致しています。

 

 

『お母さんって、よほど美人だったんでしょうね。』

『だから、お父さんは、こんなにもお母さんを一途に愛しているのでしょうね。』

 

 

実際は、美人とか、そんなことは無いのですが

逆に言うと、他に母に何も見いだせなかったというか

取り柄が全く無いというか

フォローのしようが無勝ったのです。

だから、父がどうして母のことをそれほどまで

健気に愛し続けるかが、指導者の誰もがわからなくて

首を傾げるという事態が発生してきたのです。

 

 

そんな母を母として生まれた子どものわたしは

母と自分との問題を解決した後に

『母の存在』を問うようになりました。

 

 

『世の中の誰もが尊くて素晴らしい存在』です。

 

 

ということが、誠であり真実であるとして

母もそれに該当するとしたら

どういう風に捉えれば、そうなるだろう。

という問いかけです。

 

 

多くの人が、自分という存在や自分という愛に目覚めて

自分らしい愛を世界に現していくということが

ゴールだと思っていると思います。

それは、確かにゴールの一つだと思います。

 

 

しかし、母の場合、『母単体』で

『世の中の誰もが尊くて素晴らしい存在』

『光である』というところを見ると

どうしても行き詰まります。

素直に、そう感じることが難しいのです。

 

 

ところが、母が父に与えた影響や私に与えた影響

というところの全てを含めた存在である

というところで見ると、途端に母の世界に対しての

存在意義と影響は絶大であり、光そのものに見えます。

 

 

わたしは、こうした母を持つという体験を通して

その人単体の価値基準だけで判断するのではなく

その人が世界に与えた影響の全てを捉えた『愛』の部分を含めて

全体で世の中に何らかの影響を与え合っているという風に

物事を捉える目を養ってきました。

 

 

光は闇であり、闇は光である。

最も愚かで弱き者が最も賢者で強き者である。

 

 

という矛盾している両方の特性は

いつも、同時に存在しているという捉え方と

ワンネス的自己実現で物事を見る視座です。

 

 

一人、一人という単体でのパフォーマンスを見るのではなく

関わりあう集団でのパフォーマンスというところで見た時

世界におけるその人の存在は、まったく別ものに見えます。

 

 

『何一つ変わらずとも、そのままでありえないほどの愛であり光である』ということが、どんな人にも既に起こっているのです。

 

 

それでいて、自分が他の誰でもない

自分のために幸せになる努力は

幸せになりたい人はする以外無いのだと思いますが

幸せになることだけがゴールではありません。

わたしが目指すのが愛や幸せなだけで

そしてそれに共通する同じテーマの人たちが

集ってくるだけで、何をゴールにするのかは

委ねられているのです。

 

 

全ては、絶大な愛の中で繰り広げられているとして

物事を捉えた時には、連携プレーの中で

大いなる宇宙の中での一欠片を担う自分を

見出すことができます。

 

 

世界から、沢山のバトンをもらいながら

世界から、沢山のバトンを渡しながら

自分が目指す、たった一つのゴールに向かって進んでいく。

 

 

最弱であり最強の母を持つわたし。

母が、わたしに与えた影響は

とても強い『想い』であり『願い』であり『動機』です。

 

 

愛への欠乏が最もあったわたしだからこそ

『全てへ愛を届ける』という動機が生まれます。

 

 

純粋に愛し合うということが

最もなる幸せと感じるのは

純粋に愛し合うことが当たり前に出来なかったからです。

 

 

今の幸せは、かつての絶望が生んでいます。

その時には、絶望も含めて

全てが愛であったとわかるのです。

 

 

いつも、どんな時も

世界は『あなたの幸せ』『あなたという存在』を

あらゆる形で教えてくれているのです。

 

 

***

 

3月3日からケンタウロスの封印を解除する

ライトワークに出向きます。

3月3日と3月13日に、生きている中で

どうしても解けなかった星レベルでの関与における

生きにくさや生き辛さを解放する

一斉LOVINGを行いますのでお楽しみに!