《本日のフリーダムメッセージ 欲の尊さ》 

 

欲を欲であると認めていない時、欲は嫉妬となり

欲を欲であると認めている時、欲は望みと成ります。

 

 

何を、どう、変化させるか。

それは、認めるという魔法にかかっているのです。

 

 

我に在り。

と認めるという行為は

あらゆるものを、光に変える魔法なのです。

 

 

言うなれば、欲を中途半端に感じ続けている時にしか

その中途半端さに匹敵する嫉妬は生まれません。

 

 

極限に行き切るということによってしか

欲が望みに変わることは無いのです。

 

 

欲を忌み嫌いすぎた人が

欲の中途半端ゾーンで立ち往生。

 

 

忌み嫌ったばかりに

欲をセーブして

感じないようにし過ぎて

欲を望みに変えられずに

嫉妬のままで止まっています。

 

 

欲をそもそも嫌ってるということを

もう少し見てみるとすると

 

 

欲は、満たされているかどうかのパロメーターで

自分の意識状態を知ることにもなるから

確かに満たされれば満たされるほどに

欲は自然と減少していくものです。

 

 

自然に減少するのは

消そうとして、消すのとは違います。

 

 

一方、欲がある素晴らしさというのもあって

無欲の菩薩はある意味、欲や望みがある人間らしい人間に

生かされているとも言えるのです。

 

 

欲自体を否定し排除することは

私たちの存在自体を排除していることになります。

 

 

それは、まるで、性行為を忌み嫌いながら

命である自分であるというのと

同じくらい、矛盾している行為です。

 

 

欲は望みを生み出します。

そして、望みが私たちをつくっているのです。

 

 

欲は悪者じゃない。

悪と忌み嫌われてきた闇を

光に転じられるかどうかは

欲した者の、力量にかかっています。

 

 

欲する自分を真に受け入れられれば

欲することを恐れなくなり

欲は望みに変幻し

本当の意味で欲を超えられます。

 

 

闇は光を生みます。

望みが世界を創ります。

最も求め合う行為が命を生むのです。

 

 

欲を愛しましょう。

愛した時、欲があなたの味方になってくれます。

 

 

すべての者と

すべての物と

すべての行為と

愛し合いましょう。

 

 

すべてがあなたの味方になってくれます。