《本日のフリーダムメッセージ 求める それが明日をつくる》

 

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本日は、ライトワーカー育成プログラム 上級2日目でした。

 

望み

 

ということについて、そして現実化について

かなり色々お話しさせていただいた回となりました。

 

もう、皆んな、求めるということを

抑えなくてもいいんじゃないかな。

 

世界に、これが欲しいということを

どれくらい素直に言えてる?

 

どんなに制御しても

どんなに無いふりをしても

誤魔化すことなど

出来なくなってきているのだから

求めている自分を許してあげたいね。

 

そもそも、求めるということは

いつから、一体、悪になってしまったんだろう。

 

欠乏しているからとか

満たされていないように見えるからだとか

誰かに言われたり、何かで読んだりして

だから、辞めてしまったのかもしれない。

 

悪だと誰かが言っている。

それが、どうした。

 

求めるという行為の中には

確かに癒されない過剰な欲が

混ざっていることもある。

 

でも、それを嫌って気にしすぎた結果

求めるということ自体を失ってしまい

大切なものを失ってしまっている人もいる。

 

世界全体に対しての願いも尊いけれど

人一人、最も個人的なことの望みもとても尊い。

 

願いや望みや求めることに

優劣は無いのだから。

 

望み、求めているのは、ある愛の形。

いつもいつも、何処にでも愛はあるけれど

それでいて、どんな愛を体験したいか。

 

それを決めるのは、自分。

 

とても逆説的で、パラドックスに満ちているけれど

全ては愛であると受け止めれば受け止めるほどに

求めることが、より、できるようになってくる。

 

人間が本当に満たされた時というのは

完結的で固定的になりはしないんだ。

 

いのちを見てみるといい。

地球も、宇宙も、いつも動き続けている。

つまり、いのちは『動』なんだよ。

 

カルマや我欲の衝動的な動力から

カルマがどんどん落ちていって

何もしなくていい、ニュートラルがあり

新しい動力の源である愛が発動していく。

 

いのちである限り

わたしたちは、愛さずにはいられない。

 

与えているように見えて

与えることが出来る愛である自分を

わたしたちは、誰もが、潜在的に求めている。

 

愛であること。

愛である自分を体現することを、誰もが求めている。

 

だから、求めるものは色々あったとしても

どんな人も、求めるという行為自体から

離れたことは、一度も無いのだから。

 

求めよ

さらば、与えられん。

 

最高のあなたを

あなたが、求めていく。

それが、覚醒。