《本日のフリーダムメッセージ》

~腹トーク 覚醒における人間のエグい話 2〜

 

本日は、腹トーク。
腹トークってのは何かって言うと
わたしが、昨今、腹の底から思ってることを
そのまんま、ぶっちゃけてくというもの。

時々気まぐれに勃発する
王様の耳はロバの耳的な企画。

でもってこれってどうなのよ?ってのを
バッサリぶった切っていきます。

注)昨日に引き続き
本日の話は人間のエグい部分に
触れる話が、かなり混ざります。

昨日の記事はこちら
覚醒時における人間のエグい話 その1

本質的なヒーリングLOVINGに出会ってから
ずっと疑問だったことがあります。

それは、何でこんなに素晴らしいものが
そんなにまだ大流行していないんだろう
という疑問です。

こんなにも本質的に変容するものがあるのに
何故だろうというのがとっても不思議でした。

段々、何故そこまで流行らないのか
研究するうちに謎が解けてきました。

2つ目の理由としては
指導されていたり
サポートされていたという
事実、過去をすべて葬り去り
最初から出来ていたように装うからです。

これは、結構やり方としては凄いです。
人間というのは、苦しかったり辛い時は
助けてほしかったり、すがったりしていても
元気になって、状態が良くなったら
途端に変貌する人というのもいます。

どうしてそうする必要性、メリットがあるのか。
それは、自分が活動する際に
今まで恩師だった人の存在が邪魔になるからです。

事実であったとしても
教わっている身であったり
サポートされている身であったりすると
都合が悪いのです。

良く見せたいから。

そういう事実があったことさえ
あっては都合が悪いのです。

等身大の自分よりも良く見せたい。
良く見せなければ
仕事やお金が巡らないと思っている
すごく自信のない人が陥ります。

仕事となると、お金が絡んでくるから
人間急に変貌することがあります。

仕事をする際にその方がやりやすいから
そういう風な見せ方でやっている
という風に割り切って行えている人は
問題は無いのですが

そうではなくて
本当に記憶を歪めて
最初から出来ていたというように
思い込むのです。

そういう人は
泡を吹いているエネルギー
が出ます。

守るために
嘘をついていることは
深いレベルでは、一番自分が知っているから。

こういう人は、一体、事実を歪めてまでして
何を手に入れるか。
何が欲しくてそういうことをするのか。

これに関しては答えはとてもシンプル。
目先の金と上部の名声とチヤホヤ
が欲しかったんだよ。

そして、感謝という言葉を本当にはまだ知らない。

こうなってしまうことを終わらせていくために
消費者側の意識も変わっていく必要があると
私は思っています。

つまりさ。

等身大よりも大きく見せる
人間のところにたかるのをやめる。

こういうのに惹かれる人ってのは
自分以外の何処かにパーフェクトな神
見たいのを探し求めているからなんだよね。

人間ってのは
全員が不完全な側面がある
ってことを認められない。

心の何処かで、全知全能の神みたいな
人間がいるんじゃないかと期待してる。

そういうのを期待している人が
先ほどの等身大よりも
大きく見せる人と引き合うのさ。

見事に凹凸みたいにセット
になってるんだよ。

過去を葬り去ってまで
自分の大きさを大きく見せたい人が
この先どうなっていくかはわからない。

何故なら、みんなが見抜き出したから。
一時よりも随分騙されなくなってきた。
というよりも、言い方を変えると
いっぱい騙されて賢くなってきたのかもしれない。

この先は、益々着ぐるみは
剥がされる時代になってくる。

裸になってくる。

私は、立場で言ったら
ライトワーカー育成や
スピリチュアルティーチャーの
ティーチャーをしている立場です。

そういった立場ではあるけれど
全くもって不完全で、全くもって未熟。
パーフェクトとは程遠い
ただの一人の人間です。

覚醒道半ば。

沢山のフォローを受けていて
沢山の愛を受けていて
私が成り立っています。

わかることが増える度に
わからないことも沢山増えていって
今の私にピッタリな課題というのが
いつもあるから、今の課題というのに
対峙しています。

そんな、未熟で愚かなわたしだけれど
ありのままの自分であること
等身大で生きること
正直、誠実であること
人間であること
これらに関しては
腹の底から受けとめて生きています。

もちろん、私が知りうる限りだから
これについても気付いてない
私がいると思います。

いつだって自分のことは
自分が一番見抜きにくいから。

正直に生きていても豊かさは巡る
ということを伝えたい。

正直者は馬鹿を見る
っていうことわざは過去の遺産。

これからは
正直者の時代。
言葉と体現と状態が一致しているところに
エネルギーが集結してくるから。

正直の頭に神宿る