《本日のフリーダムメッセージ 許し》

 

許したいのに、許せない時って

とてもモヤモヤします。

 

対象が自分であっても。

対象が他者であっても。

対象が世界であっても、それは同じ。

 

どうして、こんな目に

合わなくてはならないんだろう。

 

そんな風にしか思えない時も

生きていればあります。

 

でも、確実に、自分の目の前の出来事は

自分が起こしている以外、他ありません。

 

自分には関係がないと思って

他者のせいにしたとして

場所を変えて、人を変えてみても

人間関係のひな形の設定が同じだと

悪夢が続いていったりするので

 

何処までいっても、自分の尻尾からは逃れられずに

疲労困憊しているのが、多くの人に見受けられます。

 

そして、こういう話になると、出てくるのが

『簡単に許せたら、苦労しないよ。』

『許せないから、困ってるんじゃないか。』

という声です。

 

わたしは、フリーダムディスティニー

という人間関係のひな形の修復。

設定を変えるLOVINGの開発者であり

数々の臨床を通して、実際に幾度も

施術をしてきた経験から

両親に対しての許しというテーマと

向き合う場面が、非常に多いです。

 

数々の許しの場面に

遭遇した経験からして思うのは

許しということことの質や

許しということの概念が、人によって

大きく異なるということです。

 

先ず、はっきり言いますが

許しというのは、他の誰かのために行う行為ではありません。

自分のために行う行為です。

 

誰かのために許すという許しは

根本的には未だ許せていない状態です。

 

許せていない状態のままでは

苦しいのは自分ですので

その苦しさを終わらすために

自分のこれからの未来を生きるために許すのです。

 

誰かのために許すというのは

恩着せがましい行為ですから

許すというよりは、許してあげる。

という風になってしまっているということを

知っておくと良いでしょう。

 

また、許すというと

とても大層な動機がいるように

思う人もいるようですが

 

動機は、大層な動機でなくて

全然、構いません。

 

許せる動機は

『何だか、ずっと恨んで生きてるとか疲れたし、飽きちゃったな』

というようなので、十分です。

 

他には

『何だか、ずっと憎しみを抱えてるとかって、消耗して

好きなことに意識を向けられないからもう終わりにしようかな。』

というようなのでも、十分なのです。

 

許せるようになるきっかけが得られたら

許そうと思っている時というのは

謝ってほしい願望が強かったり

しているかもしれません。

 

謝ってほしい願望というのは

正しさを主張しているということ

に気づいてください。

 

全然、許しとは、真逆のベクトルに

向いてしまっています。

 

許すために、相手は要りません。

相手に何かしてもらう必要もありません。

 

あなたが、あなたのために

自分の内側で、本当に終わりにしたい。

本当に辞めたいと思った時に

許しは起こるのです。