《本日のフリーダムメッセージ》

~逆効果〜

 

今日の記事は
読み手によっては
否定や怒りが沸き起こる可能性があります。

はっきりバッサリ
辛口です。

そんなことない!
そんなわけない!
って思う人もいるかもしれない。

でも、真実を書いていこうと思います。

スピリチュアルを学ばれてきている人って
みんな一生懸命。

他の誰でもなく、自分のことだもの。

一生懸命に、みんな取り組みます。

沢山本を読んだりして。
沢山努力して。
沢山時間かけて。
沢山お金かけたりして。

それはそれは、みんな一生懸命に頑張るんだよね。

でも。
まさかとは思うけど。

取り組む内容によっては
逆効果を生むことも沢山ある
ってことに、みんな気付いてない。

例えば、ある時に来られた方は
随分、本やブログを読まれて勉強して
こられた方でした。

軸がぶれない。

ってことが、素敵で大事だと思っているようで
こう話されました。

『わたしは、色々学んできて、感情も揺さぶられなくなってきたし、大分軸がぶれなくなってきました。』

ところが、わたしが、その人を見ると
軸がどうちゃらとか
そんな次元では無い感じになってたのです。

どうなってしまっていたか?

感情を感じないようなガードをつくっていて
自分の感情を三分の一くらいにしか感じれない壁を
構築していたのです。

感情に揺さぶられない人→覚醒している人
軸がぶれずに揺らがない人→覚醒している人

それに成ろうとして
をつくってしまったのです。

ああ。逆効果。

でも、こういう時って、本人は気付いてないわけさ。
何年かかけて、ようやく出来るようになってきたという
自信さえ、抱えてやってくるわけ。

最初の軸ぶれぶれの感情ゆさゆさの段階で
来てくれたなら
本人の自覚もある状態から
癒しをかけていきながら
変容をサポートするだけで良かった。

でも、こうなっちゃうと。
ややこしくなった。

つまり、わたしは
本人が何年かかけてつくってしまった壁と
本人が何年かかけて出来るようになったという自信
その両方をぶち壊すというところから
スタートするしかないということ。

そんな役目は、楽しくも何ともないけど
でも、本質的な変容をしていくには
偽物の壁を壊さないとならない。

頭で、マインドで、そう成ろうとして
取り組んでる人に、このパターンはとても多い。

本来の自分に還るというのは
剥がすのであって付け加えるわけじゃない。

この超重要項目。
それを、声を大にして言ったとしても
実は、本人は付け加えている自覚が無いのです。

剥がすのと付け加えるのの
違いがわからないから。

実は、わたしも、これ、やりました。
潜在意識開発とか自己啓発とか心理学を学んでいるうちに
つくってしまっていました。

しかも、やる気があって真面目だったものだから
ベルリンの壁かよ!ってくらいの
超スーパーバリケードつくりました。(エヘヘ♡)

でもって、わたしは、随分出来るように
なってきたということを一ミリも疑ってませんでした。

おまけに、プライドもあったものだから
手がつけられない。
よく、ここまで来たものだと思うけれど
そうなるには、やっぱり超スーパーバリケード
を壊してくれる愛の存在がいたんだよね。

何も取り組んでない→ここから頑張ろう
と思えるけれど

苦しいところから必死に全力で取り組んできた→ようやく出来るようになってきた(でも、ベルリンの壁つくってるだけ)→全破壊

という、超絶絶望的プロセス。

ゼロからスタートどころか
マイナススタートのようで

超スーパーバリケード壊す時って
ガーン、ガーン、ガーン

って気が遠くなる感じがするかもしれないけど
何故なら、自分が時間もお金も努力して
やってきたことって、全部無駄どころか
逆効果だったってことが
わかるということだから。

それでも、そこで諦めるわけにはいかない。
何故なら、自分のことだから。

剥がすといえば
他にも色々な定番があるけど

理解っていう絆創膏

理解は、終着駅ではなく、途中駅であるということを
知っている人は、どれくらい居るだろうか。

要するに、人間ってのは
何か、傷ついたりした後に

酷い!許せない!

って思うんだけど
そのままだと苦しいから
理解しようとする行為に走ります。

しかも、それは
こうこう、こうだったんだろうな。とか
相手はこうだったに違いない。とか

憶測に憶測を重ねて
憶測という理解というところから

色々な理由つけて納得させようとするんです。

それはね、苦しいから
時に、必要な行為かもしれない。

本当は、その場で傷を癒して
辛かったね。嫌だったね。という
気持ちに寄り添ってあげられたらいいけど
中々癒えない深手の傷もあるから。

でも、理解ってのは、あくまで絆創膏。
傷自体と取り組めているわけじゃない。

それだけは、覚えておいて。

そうじゃないと、傷はさっぱり治っていない
絆創膏貼ったままの身体になってしまう。

このケースも同じで
傷を本当に治癒していくには
先ずは絆創膏を剥がすところから始まります。

でも、傷口だからね。
とても、優しく、丁寧に、そっと。

色々な傷薬を塗って。
全部治らなかったら、また絆創膏を貼って。

でも、完治した時には
もはや絆創膏はいらなくなってるのです。

本当に終わった時
統合された時というのは
何の努力も必要なく
理解しようと思っているのが無くなるのです。

理解が消え去るのが終わりの証。
愛という統合の前には理解はいらない。

それまでは、絆創膏貼った傷があるんだ。
という自分の状態を知って大事にしてあげて。

まだ、そんなに傷があったの?とか
まだ、こんなに傷があるの?とか
こんなに頑張ってきたのに?とか

そう、思うことがある人は
長い間、人間やってきた自分と自分の歴史を
こころから労ってあげて。

それだけ、人間(とか他の星で)頑張ってきたんだから。

傷がある自分を嫌っている人は
弱さをさらけ出せないところがあるから
弱さということを受容していって
自分の強さも弱さも愛していくこと。

こうして、自分の弱さを受けとめていくと
途方もなく、際限ない傷が自分にあって
人間、みんな、傷だらけだったんだ。
という真実に気付いていくのです。

でも、傷は必ず愛によって癒える。

自分の愛と、他者の愛。
その両方によって。

自分だけで、癒そうと思わなくていい。
他者との関わりで、いっぱいつくった傷は
やはり、他者の愛によって癒えるのだと思うから。

癒されるということは、弱いことじゃない。
自分に傷があるという真実。
弱さを直視する強さをもっているということだからです。

愛によって解けろ、溶けろ。

こんがらがった糸も。
凍り付いた氷も。

解けろ、溶けろ。
愛によって、己を蘇らせよ。