《本日のフリーダムメッセージ 達成の先》

 

ずっと行いたかったこと。

ずっと見たかった景色。

 

そこに辿り着くために

一生懸命努力して

遂に到達した。

 

成りたい自分になれた。

達成したい事業を達成した。

見たかった景色が見れた。

力を入れてきた目標が達成した。

 

大きな達成であればあるほどに

そうした、達成の後に訪れるのは

混沌と共に発生する、喪失感です。

 

人によって、そうしたサイクルは様々なので

夏くらいに、何もしたくないという休息状態に

なっていた人も多いですが

 

秋分を過ぎて、多くの人に

また、大きな達成が起こったからでしょう。

達成と同時に、休息を必要とする状態に

なっている人も多いように感じます。

 

もし、そうした状態になってしまったならば

先ずは、無理をせずに、ゆっくりと休んで

長期スパンで物事を捉えて

自分がどうしたいかをじっくりと

感じてみることが大切です。

 

わたしは研究体質であることから

こうした極度な達成感と喪失感が

何故発生するのかということを

様々な角度において研究しました。

 

混沌や喪失といったことには

魂レベルで発動する覚醒のプロセスも

大きく関与していますが、それ以外にも

極度な達成と喪失が発生する原因が

存在すると考えられます。

 

逆に言うと、覚醒の要素以外にも

極度な達成と喪失という

プロセスになりやすい要素が存在しており

それが自分の人生のクリエイションに

大きな影響を与えているということです。

 

こうした極度な達成と喪失を発生させない

クリエイションをしている人は

日々、情熱的でありながら淡々としていています。

 

一体、何処が違うのでしょうか。

実は、極度なまでの達成と喪失に向かうには

以下のような原因があるのです。

 

1、欠乏からの動機(カルマからの動機)が強いかどうか。

2、日々の達成に目を向けているか、短期スパン、中期スパンの目標という点だけに目が向き過ぎていないか。

3、何でも選んで良い人生というところからいつの間にか外れて

しまって、無理をしてしまっていなかったかどうか。

4、望んでいたものの表だけではなく裏を知って、それでも、まだ、望み続けたいかどうか。

 

極度な達成と喪失は、使命に向かう際に起こりうる

スピリチュアルエマージェンシー的な魂レベルの

ものを除くと、ほとんどの場合1〜4に当てはまります。

 

1、欠乏からの動機(カルマからの動機)が強いかどうか。

カルマからの場合、失敗した。という意識が強いものです。

失敗、未達成。そうしたものが原動力として大きく

作用していると、達成までに物凄いプレッシャーをかけます。

 

責任感が強いというレベル以上のプレッシャーを自分に

かけますので、達成するまでに疲労もしているといった

ことも多くあります。そのため、達成すると一時的に

心身ともに、休息が必要になるのです。

 

2、日々の達成に目を向けているか、短期スパン、中期スパンの目標という点だけに目が向き過ぎていないか。

目標だけに目が向いていると、日々の喜びや幸せに

目がいかなくなることがあります。愛は今、いつも

何処にでも存在するものであり、今、ここにも存在しますが

そこに目がいかないでいると、目標だけに意識が向き過ぎて

しまって、それを達成していないことが苦しくなります。

 

よく考えたら、目標ということ自体が達成していないもの

だから、目標なのです。つまり、未熟、未完といった

状態のものが存在すると同時に、何か他のことにおいて

既に達成しているものが存在しているはずです。

そこに、目を向けていないと、目標にプレッシャーを

かけやすくなります。

 

3、何でも選んで良い人生というところからいつの間にか外れて

しまって、無理をしてしまっていなかったかどうか。

自分で選んだにしろ、他者から勧められたことを選んだにしろ

私達は、いつも、最終的には自分がそれを決めています。

誰から勧められたとしても、自分が選んでいる。

自分がやりたいからやっている。

逆に言うと、いつ、辞めてもいい。

そういった意識が自分に対しての自由を生みます。

朝、起きて昨日までやっていたことが、辞めたかったら

何時だって辞めてもいいのです。

 

それでも、やっぱり、続けたいみたいだ。

そういう気持ちを、丁寧に、随時見てあげているかどうか。

そうすると、無理やり感がありませんし、ましてや

誰かにさせられているという感もありません。

何時だって辞められるけれど、やりたいのでやっている。

そういう意識はプレッシャーを生み出しませんので

過剰な達成に向かいにくいのです。

 

4、望んでいたものの表だけではなく裏を知って、それでも、まだ、望み続けたいかどうか。

よく近くまで見えるまでは、美しく光輝くところだけで

近寄ったら、やっぱり、それは嫌だったということがあります。

これは、その物事に対しての光だけが好きだっただけであり

実際に近寄って嫌だったのなら、その物事自体を本当に

望んでいたわけではないのだとわかります。

 

例えば、自分は働かないで、何もしないで

好きなことをしていい。遊び呆けていいというのは

誰しもが一度はやってみたいと思ったりしそうなことですが

私も含め、実際にそれを行った人の多くは

何も自分はしないで働かないでいることに対して

社会的に活躍出来ていない無力感や劣等感を

抱えていることがとても多いのです。

 

自営業というと、自由な感じがしますが

自営業ならではの大変さがあります。

他の人にとって、素晴らしい生き方でも

自分とはさっぱり合っていないということもあります。

 

裏が見えて、それでは嫌だったのなら

対してやりたいことではありません。

苦楽を超越する喜びというほどのものでは

無かったのですから、大したものではありません。

 

恋愛も同じですよね。

 

魂の道を進むときに、今まで価値と感じていたものが

全く価値とは感じられないほどの、大きな大転換が

起こることがあります。そうした大転換で無い時でも

アップダウンがとても激しい人生を送りがちの場合は

1〜4に心当たりが無いかどうか、見てみてください。

 

アップダウンがあることが悪いわけではありませんが

消耗が激しく、ストレスも溜まりやすい生き方に

なりやすいです。

 

愛が原動力であることに着手していればいるほど

動機が愛ですから、内容が変わったり

発展していくことはあっても

その人の在りよう自体は変わりません。

気分によって、コロコロ変更は起こりません。

 

どんどん、長年の思いが達成していく今。

どんどん、幾多の人生の思いが成就していく今。

 

そんな、今だから、どんどん望める力も重要です。

達成しても達成しても、世界から求められることが発生し

それに応えていくという愛の循環を感じながら

遊ぶように生きた時、極度の達成感と喪失感は無縁になります。

 

今を生きれば生きるほど

達成感は、常に、毎日のように

起こっているのです。

 

*****

さあ、次は、どこに向かおうか?

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