《本日のフリーダムメッセージ この手に宿ったもの》

 

昨日は、春分の日特別講演会

触れ合いの空 虹色の橋に

起こしくださりありがとうございました。

 

 

皆さまと同じ場所で、同じ時を

過ごさせていただいたことを

心から感謝しております。

 

 

忘れていたもの、それは何だろう。

もう一度、手を触れることで

それは、蘇る。

 

虹色の橋が架かった時に

あなたの手に宿るもの。

 

それは、何だろう。

 

 

そんな風に問いかけをしておりましたが

ご感想を沢山頂いておりまして

各々、ご必要なものをお受けとり頂いた

ご様子が伝わってきました。

 

愛がテーマの回。

余すことなく、ただただ、ありのままのわたしを

現すことが出来たように思います。

 

情けなくて未熟なわたし。

そんなわたしですが、わたしに出来る最善を

行わせていただけました。

 

最善とは、全力を尽くした時にだけ

初めて本当の意味を知ることができる

発することができる言葉だと

わたしは思っています。

 

だからね、わたしは

全力で取り組んで、全身全霊で愛しただけ。

 

全力を尽くすとは、どういうことか。

完璧じゃない。パーフェクトとは違う。

それを体感していただけなら本望です。

 

様々な愛について、一部は、愛の成就のLOVING

そして、星について、これから起こってくることについて

お話しさせていただいき、太陽神界や、その他

金星や木星の応援を呼んで降ろしていきました。

 

第二部までいらっしゃった方たちには

急遽、わたしがやりたくなってしまったから

つい、行ってしまったLOVING

 

『負けてもいいから、愛を選べるワーク』

 

についても、かけさせていただきました。

一部で準備が整ったからこそ

かけさせていただくことが出来た

二部のLOVING。

 

いつも、人と人との触れ合いって生だな。

生き物だ。とそう思います。

 

対話によって、生まれていく。

 

今、目の前に起こっている問題の

根元を見抜き、それに対しての対応をするのは

個人でも、団体であっても同じこと。

 

この<今という空間に集った目の前のわたし>

それに対応していくのみであり、代金によって

権限の違いはあれど、その姿勢は変わらないと思います。

 

こうして、自分の出来うる最大限を行い

気を失いそうになるほどに、愛を出し尽くしても

それでも、その愛に対して、疑問を持たれることも

あるかもしれません。

 

そうした時に、自分自身が

<自分としての最大限の愛である>

ということを、しっかりと見定めながら

生きることが大切です。

 

いつも、愛を見つめれば

そこには、光も闇もあります。

光だけの場所は無いと知るまで

光を探し求めます。

 

自分にとっての愛。

それが、各々で存在しているだけであり

自分にとっての愛を叶えるのが重要なのは

他の人ではなく、自分自身なのです。

 

愛は、平等とは思えない時もあります。

それは、Aに向けての愛が発動すると

Bに対しての愛ではないということになるから

平等には思えないものです。

 

しかし、これもまた、平等に愛することなど

出来る人は誰もいません。

誰もに、大切な人や、大切にしたいと思う層が

存在するからです。

 

一人の人に、平等を求めるからおかしくなります。

多くの人が癒されていったとき

平等を求めずに、全員が、それぞれにとっての

愛したい人と愛し合っていけば

そこには、ワンネス的には平等と感じるように

なっているのです。

 

わたしが、わたし自身の手に宿ったもの。

それは、自分自身に対しての愛です。

 

わたしは、自分自身をとても愛していますが

今回の講演会を通して

今まで出来ていたけれど

もう出来なくなったことを感じました。

 

それは、アセンションの分離の影響が

多大に発生したため、同じ方法が

取れなくなってきたことを

実感したとも言えます。

 

新しくなっていく自分の喜びに

もっと忠実になろうという

想いによるものでもあります。

 

また、一つ、終わった。

そう、感じています。

 

それは、新しくなるための終焉。

ここから、新しくなっていくための。

 

全力で愛し、虹の橋をかけ、繋いで

生まれ変わり、また、ここから生きてゆきます。