《 本日のフリーダムメッセージ 事実と差別は違う 》 

 

事実と差別は違います。

差別を嫌うあまりに、事実さえも消してしまう

ことがあります。

 

 

事実を消すと、あらゆることが歪みます。

 

 

実力がある、無いというのは

どの世界においても、事実として、存在するものです。

 

 

板前でも良いですし、大工でも良いです。

実力というのは、どの仕事においても

存在するものです。

 

 

ところが、スピリチュアルにおいては

急に、平等というヴェールによって

覆い隠されてしまうことがあります。

 

 

平等なのは、当たり前。

それとともに、事実として実力がある無い

というのも、存在します。

 

 

それは、優劣でも無く、不平等でも無く

平等の上に、事実が存在しているだけです。

 

 

嫉妬深い人は、自分の現時点での

力量を心底、受け止められていない人です。

 

 

嫉妬の対象の人と、自分を比較して

気休めの一律感で、地ならししようとします。

 

 

だから、嫉妬するのです。

 

 

気休めの一律感によって、同等に立っている

という傲慢さが、未熟さに立ち切れない要因となって

その人の成長を押しとどめてしまいます。

 

 

わたしは、サイキック能力は後天的に開きました。

こうしたお仕事は、ほとんど、先天的に能力を

すでに開いている人が主体となっていて

力量も、実力も、比較すると

 

 

全くもって、足元にも及ばない。

あまりの実力の無さに途方もないくらいに

未熟の塊でした。

 

 

とことん、未熟であることを受け止めきった時。

目の前の、選択肢は2つしかありませんでした。

 

 

このまま、諦めるか。

我武者羅に、必死で学んで、出来るようになるか。

 

 

とことん、己の現時点での力量を受け止め

未熟さを受け止めた時というのは

選択肢には、嫉妬は現れないのです。

 

 

わたしは、我武者羅に、必死で学んで、出来るようになる

ということを選びました。

 

 

未熟に行き切るためには

今まで、どうであったかという経験も

プライドも、全て捨てなくてはなりません。

 

 

何も通用しない。裸一環になること。

スピリチュアルを、本当に学ぶ始まりは

裸一環になることからであると感じています。

 

 

裸になる前の、それまでは、全て序章。

長い長い序章があっただけ。

 

 

何もかも、通用しない世界がある。

 

 

裸一貫の、未熟を受け止めきった

その意識からでないと、始まらないのです。

 

 

平等とは、何もしなくても、常に存在しています。

差別とは、出来ないものを排除したり不公平に扱うことです。

事実とは、出来ないものを出来ないと認めること

又は、出来ていないものを、まだ出来ていないと

お伝えすることです。

 

 

差別を嫌うあまりに、事実を受け止め切れない状態。

それこそが、実は、自分自身が、差別や優劣という

課題にかかっている状態なのです。

 

 

事実としての実力のある人が、偉そうに見えたり

感じたりすることが発生するからです。

 

 

差別はやめましょう。

事実は受け止めましょう。

誰のためでもなく、自分のために。

 

 

事実を受け止め切れない人は、嫉妬深くなります。

何故なら、自分の力量の無さを受け止め切れず

過大評価によって、気休めの一律感を生み

実力的に、同等に立っているという傲慢さが

未熟さに立ち切れない要因となって

その人の成長を押しとどめてしまい

成長の機会を失っているからです。

 

 

実力を等身大で受け止めることが

自分自身をもっとも成長させる秘訣です。