《本日のフリーダムメッセージ》

~人間目線 宇宙視座目線〜

 

自分という個性を知り
個を確立していく際には
違い
が目に入ります。

自分が何者であるかを知るのには
他者との違いを知ることで
自分を知ることができるからです。

だから、違いに目がいくのは
とても自然なこと。

益々個が際立っていくから
だからこそ覚えておいてほしい。
個が確立していく際に
違いばかりに目がいった際には
争いを産んでしまうということ。

違いということにフォーカスがいくなら
同じ
というところにもフォーカスがいくように
宇宙視座で、世界を見ると
心の中に争いが生まれません。

よくある例で言うね。

例えば
我欲に満ちたガツガツした
承認欲求バリバリの人たち。

超苦手。
超嫌いって思っている人がいたとする。

物凄く毛嫌いするには
ちゃんとした理由があって。

自分は我欲に満ちた人になど
絶対にならないって決めてたりする。

ならなくっていいんだけど
我欲に満ちたガツガツした
承認欲求バリバリの人を
毛嫌いしている人というのは

大抵、対人間への
依存や甘えがあって
愛を欲しがっている場合が多い。

つまりさ。

我欲過剰バリバリの人ってのは
満たされてない。

そして、対人間から過剰に愛を欲するのも
(依存が怖くて、依存しないように、人との距離感をとってる人も同じ。自制なので)
満たされてない。

だから、何に出るかという
表現方法は違うから
違うように見えるんだけどね。

ただ、満たされてない。
それほどに傷ついている状態である。

というだけなんだよ。

自分が満たされている状態だと
どちらもさほど気にならない。

相変わらず得意ではなかったりするけれど
でも、ただ満たされていないだけな人を
そんなに責めたり毛嫌いしたりはしない。

逆に、社会的には活躍している人で
依存的な人や対人間に愛を欲している人を
毛嫌いしたり弱いと非難したりすることが
あるように思うけれど

これも、同じだよね。

満たされない思いが自分にあるから
そういう感情が湧く。

自分が満たされていて
統合されてくると

右腕が傷ついているか
左腕が傷ついているか。

そんな傷つきあった腕たちが
争いあっている景色に見えたりして
それは、ただ傷ついている
ということだけがあるだけで
それ以上でもそれ以下でもなかったりする。

表現方法が違うだけで
元を辿れば同じ。

そういったことは
本当に世界にはいっぱいあって。

違いを見ようとするのと
同じくらいに
同じも見てみようと思えたら
争いは減っていくと思うのです。

人間だから、人間としての個の意見が
無くなるわけじゃないし
好みとしては存在し続けます。

それと共に
パラダイムシフトパラダイスのワークなどで
宇宙視座目線を養っていくと

同じ世界に生きているとは
思えないくらいに
自然と愛や優しさが湧いてくるのです。

違うんだけど同じ。

人間とは、本来、違いだけを見て
争いたいんじゃなくて
その両方を観た時の
愛を感じたいんじゃないかと思うのです。