《本日のフリーダムメッセージ》

~個性を受け容れる〜

 

人間ってのは
とっても不思議なもので
自分に無いものが美しく思えて
自分にあるものは醜く思えるものです。

普通に有るからこそ
それが特別なことには思えなくて
自然過ぎて素敵だとは思えない。

有るからこそ
実際に持ってみると
それは綺麗なことだけで
出来てるわけじゃないことが
身にしみてわかっているわけで

人からしてみれば
羨ましいと思われるそれが
自分にとっては
悩みの種であったり
トラウマになっていたり
することさえある。

どんな個性であるか。
というのは
それぞれ違うのだけど

綺麗に見えているのは
見えているだけなのであって
実態はそれが有るからこその苦労がある。
実際にその個性を生きてみると大変だったりする
というところにおいては共通なんだよね。

例えば、私のところに来られる方は
スケール感とかパワーを求めて来られる方も多い。

影響力とか、統率力とか、実現力とか
そういったものが素晴らしいという風に
見えるから、そういうわたしが
羨ましかったりすることも
あったりするんだよね。

しかし、張本人のわたしは
実は、影響力とか、統率力とか、実現力
の力の強大さがそのまま
トラウマになってたりするのです。

力の大きさというのはね。
成功するときも失敗するときも
スケール感大きく規模大きく
起こしちゃうということなんですよね。

国とか何回か収めてたりして
そこでめっちゃ失敗したって思って
罪悪感抱いて、責任を背負ってる場合。

全国民分背負うんだよね
(事実です 汗)

要は、関わってる人数が多ければ多いほど
カルマも莫大になることがあるってこと。
桁が違う重荷を背負うこともあるってこと。

アトランティスの時みたいに
自分が闇に堕ちてしまったら
それだけの規模を破壊してしまう。

大きくのものを焼き尽くしてしまう。

あまりにも、その力を受け入れられなくて
今世でも、とても慎重に生きてきました。

自分に国を治めてた時のカルマがあると
自覚してからも中々外せなかった。

外してしまったら、遊び呆けて
怠けてしまって、使命に生きなく
なるんじゃないかと恐れていたから。

ようやく、自分のことを信用して
自分以外の人の責任を背負うことなど
できないと理解して
外すことができたのです。

こういう風な傾向に出ちゃうのは
私だけじゃなくて
過去生でリーダーをやってたり
影響力高くて軍隊率いてたり
国を治める高官やってたりする人は
大抵、このトラウマがあるよ。

でもって、そういう人ってのは
どこかで、自分を出すことをセーブする。

自らの力を出すことを恐れていて
すごく中途半端に自分を顕現しようとする。

最後の詰めで抜いたりするんだよね。

そういった場合は
やっぱり、その過去生のトラウマを
癒していかなくちゃならない。

力を出すことを恐れているといえば
サイキック能力があるということについても
また別の意味でのトラウマがあったりします。

サイキック能力が高いと
中世とか中世とか中世とか。。。
(って中世ばかりだけど 笑)

魔女狩りとかさ。
よく殺されてんのよね。

殺されるのも
一度や二度じゃなかったりするわけ。

わたし、何回魔女として殺されてるか多すぎて
数え切れないもん♡(笑)

だから、こういったサイキック能力を
開くとか覚醒とかいった時に
理由もなく
殺られる。。。。むんむん。。。

ってのが沸いてくるわけです。
生命の危機を回避しようとする
抵抗が生まれるのは当たり前ということ。

あとは、サイキック能力持ってると
利用されたりとか、口封じ的に殺されちゃう
ことも多かったので、そのトラウマもある。

これは私の話じゃないけど
アトランティスの時なんかさ
サイキック能力が最後まで残ってた人なんかは
かなり悲惨で、研究対象として解剖されちゃったりね。

でも、そういった恐れさえ超えて
自分という個性を受け入れて
自分を顕現していかなくちゃならない時なんだ。

そうかと思えば
親切、真心、善行みたいな
わたしとは、全く正反対そうな
人生を歩んできた人はね。

お人好し
っていう自分が嫌いだったりするの。

でもって
自分の喜びを貫くっていう幸せを貫く
わたしみたいなタイプの人は
自己中心的な行為によって
周りの人を裏切ってしまったとか
傷つけてしまったとか
そういった罪悪感があったりする。

わたしみたいに
変人的な個性を持つ人は
変わってる自分というのが
とても孤独であるということを
嫌というほど知ってる。

いつも、みんなと混ざれない。
みんなと一緒でない自分を
受け入れ難かったりする。

そうかと思えば
みんなと一緒に居られるんだけど
突出した個性がない人は
自分は平凡だ
ということが、最大の劣等感だったりする。

こういう人は、日常にある幸せを
見つけたりするのは得意なんだけど
無いものを欲するのです。

こうして、こうして
すべての光には闇があり
すべての闇には光があって
誰かの光は光しか目に入らず。
自分のは闇がクローズアップされていたのです。

自分が絶対に得たくても
決して得られない幸せを
他の誰かは得ていて

それでいて、自分もまた
他の誰かには得られない幸せを得ている。

同じものが与えている
我という特性の闇を受け止めながら

光と闇のすべてを愛して
自分を愛していくんだ。

優劣遊びや
競争遊びをしてみても
いつかの今に
必ずわかる。

いくら不平等に見えても
すべては同じで平等であったと。

ワンネス的な自己実現に至っていけばいくほど
ただ、自分と他者を賛美するために
ここに居るんだってことに気づいていく。

私は、素晴らしい
あなたは、素晴らしい。

世界は、素晴らしい。