《本日のフリーダムメッセージ 共通理解から波動レベルでの引きつけへ》

 

通常、世間で呼ばれている理解は

幻想に満ちていることも多いもの。

 

一般的に人間は、よほど、トランス的な

実体験をしていなければ

自分という人間しか体験していないから

自分というヴェールと同一化していて

そこからしか物事を見ることはありません。

 

だから

『きっと、こうかもしれない。』

という淡い期待は、すべて憶測と呼ばれる

部類に入ります。

 

そうなってくると

共通理解というジャンルが

いかにあやふやで、曖昧かが

伺いしれると思います。

 

同じと違うということについてもそうです。

 

同じだと嬉しい。

違っていると悲しい。

 

もし、同じと違うということについて

そうした感情が湧いてくる場合

そもそも、どうしてそうした感情になるのか

改めて考えてみると、とても不思議です。

 

特に、

違っていると悲しい場合には

どうして、悲しく感じるのか

自分に問いかけてみると良いでしょう。

 

違っていて、当たり前。

世界には、自分と全く同じなのは

自分だけであるというところが

完全に腑に落ちている場合には

そうした感情は発生しません。

 

単に、違うんだな。

同じなんだな。

という感覚でしかないからです。

 

悲しい場合には

理解されないのが悲しい。

というのがあるかもしれません。

 

他には、自分に自信がなくて

答え合わせをしようと思っていたのに

世界との答え合わせができなかったから

悲しいと思っているのかもしれません。

 

そうすると、その悲しみは

癒していく必要が無い悲しみかもしれません。

 

悲しみには、癒す必要がある悲しみと

癒す必要が無い悲しみがあります。

 

癒す必要の無い悲しみは

勘違い、もしくは、存在自体の矛盾から

生じるものです。

 

理解されないのが悲しい。

人間は、皆、唯一無二の存在です。

絶対的な孤独だから、『これが、わたし』

として、個としての体験を感じられます。

 

悲しい場合は、孤独の概念をネガティブだけ

闇だけに染まっているものから、ポジティブな

側面を表すように変換し、光も闇も両方を抱えている

新しい孤独として捉えられるようにすることが大切です。

(世に届けていくため、これが起こるパーフェクトパートナーのLOVINGの施術者を育てる準備中)

 

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自分に自信がなくて

答え合わせをしようと思っていたのに

世界との答え合わせができなかったから

悲しいと思っているのかもしれません。

世界に確証を求めない。

外側に認証を求めない。

自分がそうだと感じたことなら

それが答えだと決める強さを養うことが大切です。

(世に届けていくため、これが起こるコミットワーク(仮)のLOVINGの施術者を育てる準備中)

 

答えは、自分がどう在るかという存在定義や

自分がどう生きるかという生き方

さらには、自分がどんな人生を歩むかという

道を指し示すことに置き換えられるかもしれません。

 

それは、自分にとっての答えなのです。

ただし、カルマや存在認証パターンからの

自分ではないところから発生してしまう

答えがありますから、それは解き放たないと

自由なようでいて、全く自由ではない

クリエイションになってしまいます。

 

カルマや存在認証パターンかどうか。

ここが、自分自身では同一化して見抜けないから

むしろ、他者に見抜いてもらうと良いところです。

 

純粋になればなるほど

自分の答えに自分じゃないものが

くっついていませんから

そのまま自分から沸き起こる答えを

答えとしても良くなります。

 

答え探しをする必要もなければ

答えの認証もする必要もない人は

どうなっていくと思いますか?

 

遊ぶように、個性的に生きていきます。

 

承認が必要ないから

現象で確認する必要もありません。

 

自分にとっては答えなのが間違いないから

他の人が何と言おうと、自分にとっては答えだ

というものは失われません。

 

そうして、自分にとっての答え。

ある意味、自分そのものを表して

必要な人に届けていきます。

 

周りの人は、その人が、何を言っているのか

どんどん不明になっていくかもしれません。

 

共通理解というレベルでは

さっぱり引きつけは起こりませんが

人間レベル、霊的レベル、宇宙レベルで

その人が、自分自身を生きていればいるほど

とてもリアルで霊的に光っていて、愛の絶対温度や

波動で他者を引きつけるようになります。

 

こういう状態の人は

自分にとっての真実であれば

共通しているしていないに関わらず

他者の胸に響くものを与えられるのです。

 

これから、益々、共通かどうかというところだけでの

引きつけだけでは脆くなります。

 

理解や、共通を超えた、つながり。

それは、ただ、愛によってつながっていくのです。