《本日のフリーダムメッセージ 創造力と罪悪感の関係性》

 

どんどん幸せな方向へ人生が好転する人と

幸せになりたいと思いながらも好転していかない人。

 

この差は、一体、どうして生まれるのでしょうか。

 

奇跡的に、実際に人生を好転したり

実際に、精神的に全く違う状態を

感じられりすることができる人は

共通することに取り組んでいるのです。

 

それは、自責、罪悪感の解放です。

 

罪悪感は、単に自分で責めているのを辞めようとか

罪を抱いている自分を終わりにしようとか

そういうことでは終わりません。

 

終わりにしようと思っても終わりにならないのは

根本的に終わっていないからで

それは、エネルギーレベルで本質的に解放する

必要があるのです。

 

多くの人が、幸せになれない理由は、ここにあります。

自責や罪悪感をエネルギーレベルで解放していないのです。

 

自責や罪悪感は、何処に溜まっているかというと

人間の意識の中でも、最も深く、最も奥底の

海溝の場所にあります。

 

そこにある罪悪感と自責を解放するには

それを解放する人が、最もなる罪悪感と自責を

抱えていて、それを解放した経緯がないと

それに触れることができません。

 

ですから、罪が沢山ある人ほど

光に転じた際には

許し、菩薩的な要素が強まります。

 

菩薩的なエネルギーによって

全てを許していくということを

行うことによって、自責と罪悪感が

劇的に減少し、自責と罪悪感に投じていた

エネルギーの分が、丸ごと本当に向かいたい

人生のクリエイション、創造性の方向へ

向かっていくのです。

 

こうした菩薩的エネルギー

自責と罪悪感の解放は

最も得意とするところの一つであり

こうした、自責と罪悪感の解放の要素は

フリーダムディスティニーのLOVINGであり

フリーダムディスティニー

ヴィーナスフォレスト

などのワークに入っています。

 

自責と罪悪感を解放せずに

新しい創造的なクリエイションに

向かえるかというと、出来ないのです。

 

全く新しい自分。

全く新しいクリエイションを求めるのであれば

エネルギー的に、本質的に

自責と罪悪感のエネルギー解放をして

終わらせていくことが大切なのです。

 

もっとも、重いものから外す。

 

これを、わたしは、鉄則で行っています。

 

どの感情の塊よりも、最も重い塊が

自責と罪悪感であり

これらが解放されていくことで

全てが好転していきます。

 

今は、何事も、無理が出来なくなっています。

無理というのは、言葉を変えると

制御であり、自制であるとも言えます。

 

無理や制御や自制を行った上で

出来たものというのは

結局のところ、いつしか、元に戻ります。

 

無理や制御や自制を行っていなくとも

力を抜いていても、出来ている状態。

それが、本当に出来た状態ということなのです。

 

幸せになりたいのに、幸せになれない。

どうしてなのか。

その理由がわからないから

多くの方は、途方に暮れています。

 

しかし、わたしからしてみたら

幸せになりたいのに、幸せになれない。

 

そりゃあ、当たり前だわ。

としか言いようがない状態で

現在の地球の人間は生きているのです。

 

それは、どんな状態かというと

自責や罪悪感を大量に抱えて

とてつもない重りを引きづりながら

鎖で雁字搦めになりながら

不幸せや不平等の設定のままで生きていて

 

視界は開けておらず、ダンボール箱を被っている視野で

光と闇のバランスが不調和で、愛を感じにくく

生きにくい設定になっており

 

高次元の自分と繋がれておらず、ワンネスも感じにくいように

分離感が強まるような状態になっている。

 

過去生の問題や未来の対応以前に、今世の中核である

内なる母性や父性や家族の雛形は、不確かさの状態のままで

集合意識的に傷ついている部分も多く、対世界への怒りや憎しみ

 

不平等を抱えており、コントロールし合うという関係性しか築けない。

宇宙存在だった頃のトラウマを抱えながら、地球でもアトランティスを始めとしたトラウマを抱えている。

 

。。。。。。

。。。。。。

 

このままの状態だから。

だから、やはり、このままの状態が

ずっと続いているのです。

 

いつか、自分も、何もせずに、このまま過ごしていたら

満たされるということは、起こるかもしれない。

 

そんな、細やかな薄ら寒い希望など

木っ端微塵に消え去った方が

むしろ、本当に向かいたい方向へ向かえるのだと

思わずには入られません。

 

すごく、厳しいかな。

でも、厳しいことを言わないといけない時期だよね。

 

ですから、結局のところ、本当に終わりにしたいかどうか。

という本気度が全てを決めているので

中途半端に迷っているというのは

迷える余地があるということで

終わらすという選択しか無くなるくらいには

絶望していないとも言えます。

 

自分の絶望の底に、タッチした人は強いよ。

もう、決めてるから、迷わないので

真っ直ぐに進んでくる。

 

自分の人生の底を決めているから

迷う余地がありません。

 

迷いとは、答えが出ていない状態を意味します。

答えとは、それしか無いという状態だから

答えがまだ出ていないのです。

 

それでいて、自分の人生の底は、時間ではなく

自分が決めることで、決められます。

 

絶対にやめる。絶対に終わりにする。

自分に対して、終わる終わる詐欺ではなく

本当に終わらせていくことができた時というのは

腹の底から決めた時なのです。

 

どんどん幸せになりたい。

それは、あなたの選択によって決まる。

 

あなた自身の大切な幸せのために。

あなたの望む未来のためにつくる道を

築いていこう。

 

過去も未来も、すべては今に集結し

今変われば全てが変わるスピードは

日増しに増しています。

 

どんなに不貞腐れていても

どんなに諦めかけてみても

心の奥底から、自分の幸せを諦めることは出来なくて。

 

どうして。。。?

こんなに何もかもうまくいかないなら

いっそのこと、幸せを望む自分を辞めて

求めることすら、無くなれば、いいのに。

 

かつての私も、そうだった。

母親が気が狂いながら

毎日、暴力と罵倒と呪詛を浴びせるなか

『わたしも、気が狂って訳が分からなくなりますように』

と願ったけれど、それすら、叶わなかった。

 

でも、そんな時ですら

ずっと叶い続けてきたのは、わたしの魂の願い。

わたしの魂は、気が狂うのは望んでいなくて

わたしの魂は、幸せになることを一度も諦めてはいなかった。

 

命を幾度も経とうとしても、出来なかったけれど

死んでいても、全く不思議じゃないわたしが求めていたのは

終わらせたかったのは、悪夢であり、夢自体ではなかった

のだということ

 

悪夢を終わらそう!

悪夢になってしまうあらゆる鎖を解き放って。

 

あまりにも、多くの傷を抱えてしまい

一歩一歩しか進まないかもしれない。

先が長く感じられるかもしれない。

 

それでも、進んだ先には

半年後、1年後、全く違う世界が現れる。

 

世界は、もっと、優しい。

どちらにしても、死ぬのなら、そんな世界を見てから

死んでみてもいいよね。

 

優しい、優しい世界。

その世界は、大切に大切に

花びらのように広がっていって

目の前の景色が、もっと優しい世界で

いっぱいになるように願いつつ

今日も、また、目の前の人と、愛し合うのです。