《本日のフリーダムメッセージ》

~力を抜く〜

 

力が入っているときというのは
『何とか、させよう』
としているということなので

裏を返せば
『何とか、ならないかもしれない』
という、不確定さだったり

『何ともならなかったら、失敗になる』
という、失敗を恐れる気持ちだったり

そういった、恐れが
力んでしまう原因であることが
わかります。

わたしたちが
本当に愛、中心にいるとき
力みは発生しません。

力みが発生していない時に
最も実は力が発揮できます。

力みを緩め
力を抜けば抜くほどに
何事も上手く生きます。

他者のサポートにおいても
同じ事がいえます。

サポートし始めの時ほど
『頑張ろう』と思って
力んだりするものですが

そういう時は
サポートする側の
何らかの意図が
入ってしまっているものです。

変化させよう とか。
結果を出そう とか。

そういう、サポートする側の
意図が入ったセッションでは
限界があります。

最も限界が存在せず
もっとも限界を突破し
もっとも変化することが出来るというのは
サポートする側が、完全にそういったことを
手放している状態の時です。

何かをしている。
ということを凄く感じるときよりも

何もしていない。
という時のほうが
良いセッションが出来たりします。

自分にとっては
良くわからない
意味の無いことを
自然とチャネリングして
目の前の方が必要としていることを
お伝えするというのは
スピリチュアルティーチャーの語りの
1つの特徴ですが

そうなってくると
知っていることを話している割合と
自分の知らないことを話している割合が
激変してくるので
知っているか知っていないかにも
こだわらなくなってきます。

博識な知識をひけらかしたい
といった場合
それは、とても退屈です。

知っているところからの知識をきいても
知っているんだね。ということしか
伝わって来ないし、それだけ
知っているということを
大抵、本人が自慢したいためなので
のっているエネルギーは
自慢のエネルギーです。

自分は無知であるということを
ネガティブに捉えている時は
一生懸命知恵を得ようとして
知るということに価値が出てきますが

こういったように
知っていようが
知らなかろうが

それを使えるようになってくると
むしろ、知れば知るほどに
何にも知らないんだということが
わかってきます。

こうなってくると
何にも知らなくても大丈夫とか
知っていても知らなくても同じである
ということがわかってきますので

あまり、知るということに
貪欲になりすぎて
力みすぎることが減ってきます。

力を抜けば抜くほどに
自分という個の所有から
ワンネス的に共有している自己の状態へと
変容していくのです。