《本日のフリーダムメッセージ 厚かましいお願いで恐縮です》

 

 

図々しい人。

 

 

厚かましい人。

 

 

嫌われる代表例である、図々しい人間と厚かましい人間。

 

 

今日は、もうちょっと

図々しい人間と厚かましい人間を解剖してみようと思います。

 

 

タイトルにも入れた『厚かましいお願いで恐縮です』

という風に言ってきた人がいたとしたら

この人は、果たして厚かましいですか?

どうでしょうか?

 

 

『厚かましいお願いをする』ということは自覚していて

それを実行しようとまでしています。

 

 

しかし、そんなに嫌な感じはしませんよね。

それは一体どうしてかというと

自覚と配慮にあります。

 

 

厚かましい、図々しい、自己都合が絡んでいる

お願いであることであることを自覚しつつ

相手がどう感じるかということへの配慮もあります。

 

 

嫌な感じがしないのは『迷惑かけてご免なさい』

の精神を受け止めているからです。

 

 

十分、自分の行おうとしていることを自覚し受け止めた上で

そのことに責任を取りつつ、物事を進めようとしている姿勢です。

 

 

つまり、皆んながよく思い込んでいる

図々しくて厚かましい人は敬遠される。

 

 

という思い込みは、一部は合っているけれど、全部は合っていないのです。

 

 

敬遠されて嫌われる厚かましい人間というのは

厚かましいということを自覚しておらず

相手への思いやりや配慮に欠けており

厚かましいことであるのに『してもらって当然だ』と勘違いし

自分が他者に迷惑かけていることに

無自覚で無責任な状態である時に発生しているのです。

 

 

 

言い方を変えれば

自覚して、他者に思いやりも持ちつつ、責任を取った厚かましさは

『そうまでして、この人はどうしてもやりたいことがあるんだ』

ということを他者は感じるだけです。

 

 

ここがね、皆んな勘違いしちゃうポイントなんですよね。

 

 

図々しくて厚かましい人は敬遠される。

 

 

こういう鉄則中の鉄則があるから

遠慮人間になってしまうんです。

 

 

これは、厚かましいお願いだ。。。とか

これは、図々しいお願いだ。。。ということが気になってしまって

他者に、自分がしたいことを言えなくなってしまうんです。

 

 

遠慮人間を辞めるには

自分勝手で相手に迷惑かけてしまうことであっても

それをどうしてもやりたいので、やるという選択も

時には取れるようになっていくということですね。

 

 

厚かましく図々しいお願いはするけれど

厚かましく図々しい人間にならないためには

* 自覚する

* 思いやりや配慮を持つ

* 責任を取る

 

 

ということが重要だということです。

 

 

更には、もう一つ、この行動を起こすためには

必要なものがあります。

 

 

それは、勇気と覚悟です。

 

 

どんな勇気と覚悟でしょうか。

それは、相手に断られたり

嫌な顔されたりする可能性があることも

丸ごと受け止めて覚悟する勇気です。

 

 

断られることが苦手な人って多いですよね。

 

 

どうしてだか、知っていますか?

 

 

それは、断られるということと

自分が拒絶されたということが

一緒になってしまうからです。

 

 

拒絶される恐れがある場合

断られること自体を無くそうとするので

自分がしたいことであったとしても

相手にとって厚かましそうなことであれば排除してしまいます。

 

 

こうなってくると

コミュニケーションに一部、不具合が生じますので

その人と関わることは、とても難しくなるということです。

 

 

 

私たちは、生きているだけで、失敗したり、間違ったり

色々な人に迷惑をかけてしまうこともあります。

 

 

純粋な自分の思いや願いが

自分にとって都合の良いことだったりすることもあるでしょう。

 

 

それでも、全てを信頼して

自分の願いを伝えられた時

開かれる扉があるのです。

 

 

もう、一歩、世界に踏み込んでみる。

もう、一歩、世界に身を委ねてみる。

もっと、世界と対話してみる。

 

 

他ならぬ、自分の幸せのために。

 

 

自分をもっと幸せに出来るのは

他ならぬ自分自身だからです。