《本日のフリーダムメッセージ 受け継がれるもの》

 

とても深く傷ついてしまった

憎しみや悲しみによって表現されたものが

親から子へ、人から人へ、受け継がれ

連鎖してしまった憎しみや悲しみを解く

お手伝いをさせていただいておりますが

 

そうしたお手伝いをさせていただく度に

連鎖がいかに起こってしまうか。

連鎖してしまったものを解くのが

いかに大変かを、実感しています。

 

どうして、これほどまでに

人類、人間の傷は深く

どこまでも果てしないんだろう

と感じることさえあります。

 

範囲についてもそうです。

日本全体、世界全体で捉えてみると

本当に、一握りの人にしか

LOVINGを届けられていなくて。

 

そうした時に、自分の無力さを

感じることもあります。

 

無力さを感じれば感じるほど

無力さの中に湧き出てくるものがあります。

 

わたしは、無力を最も感じる時

自分のことを見つめてみると

今までだったら、満足していたことに

もう、満足出来ない自分の不満を見ます。

 

実は、無力を感じている時というのは

内在している本当の自分の力を見ている時なのです。

 

完全に内にないものは、感じることも出来ません。

分相応というところで、折り合うので、無力と

感じることもありません。

 

しかし、無力と感じるということは

内在する自分の力を何処かで知っていて

それを今、出せていないと感じるから

無力と感じるのです。

 

無力というのは

こうした性質があるので

無力さを感じる時というのは

今までと違うステージに行く前に

感じることが多いです。

 

何しろ、自分に納得がいかない。

自分の未熟さや、実力不足を感じる。

 

そうした時には、現状のままでは留まらず

もう、心は、次の自分を見ているから

強く無力さを感じるのです。

 

無力さが強ければ強いほど

次の自分とのギャップが大きければ大きいほど

向かう先の距離を感じて苦しくなりますが

それが、自分の向かう先であることを認めましょう。

 

果てしなさを感じるほど、遠い距離。

到底、届かないような場所。

 

そう、感じるならば

実際に届くように、近づいていくように

超えていきながら、意識や行動を伴って

向かっていくのです。

 

 

春分の日は、こうした新しいステージで

ギャップを感じるところのままで甘んじず

無力さを感じてしまうほどの

恋い焦がれるその場所へ

虹色の橋を架けていく日に相応しい日。

 

触れ合うことでしか、生まれない空で

共に、虹の橋を架けましょう。