《本日のフリーダムメッセージ  感じたという事実を許す》

 

平等っていうのは

いつだって、自分がつくるんだ。

 

他の誰かが作ってくれるわけじゃない。

放っておいたら

どんどん不平等に流れていってしまうことだってある。

 

やさぐれて、もういいやと思ってしまったら

そこで、諦めてしまったら

やはり、それは、不平等を許してしまっているという

ことに他ならない。

 

そもそも、平等というラインは

人それぞれが違っていて

人それぞれに違う。

 

だから、他の誰かが

自分の平等を尊重してくれるなどという

期待を抱いていたら

期待外れに終わってしまう。

 

誰とでも存在している不平等があるなら

まずは、その不平等の設定を

解いていくところから始まる。

 

不条理さ、不平等さというものは

そういう設定になっているから

発生するのであって

設定自体を変えてしまえば

不平等では無くなるものだから。

 

そうして、不平等設定を解いていった後に

特定の状況下や、特定の相手によってのみ

起こる、不平等さというのも存在していて

 

今日は、その話をしていきます。

 

特定の不平等というのは

大きく分けて

2パターン存在します。

 

1つ目は

社会的弱者、精神的に若いと感じる人

傷ついていそうな人。病気の人など。

 

2つ目は

社会的権威、尊敬する人、立場的に上の人

感謝を抱いているなど。

 

2つともに共通しているのは

どんな場面においても

自分が劣位を許してしまうことが

起こりやすいということです。

 

平等だと感じる相手には

平等を求めやすい。

 

最初からフェアを求めやすいです。

 

ところが、社会的弱者、精神的に若いと感じる人

年齢的に下の人、病気の人などが相手だと

まだ若いのでとか、弱っているからということで

相手のワガママを許し過ぎることがあったり

 

社会的権威、尊敬する人、立場的に上の人

感謝を抱いている人が相手だと

こんなにお世話になったのだからとか

立場的に上なのでとか、素晴らしい方なので

という理由で、相手のワガママを許し過ぎることがあります。

 

どんなに、弱っていそうに見える人だとしても

精神的に傷ついていそうな人だとしても

それは、無いよね。

ということを、その人からされて自分が嫌だったら

やっぱり、それはありえんわけだから

嫌だったわとか、それは、ありえないわ。

という感じた事実を許すことで

自分を大切にできるのです。

 

生きてればさ。

『ありえーーーーーーーーーーーーーん!』

というような、びっくりすることを

する人っていますよね。

 

それは、やっぱり、単に

自分にとっては、ありえなかったという

事実が存在しているわけで

ありえなかったわけです。

 

こういう時に、無理に受容しようとするから

おかしくなってくるのです。

許せないということと、ありえなかった事実を

事実として感じることとは

全く異なることですよ。

 

ありえなかった事実を事実として

感じて受け止めてあげることが出来るから

自然に本当に許しが起こってくるのであって

 

そのプロセスを感じないように

してしまったら、自分の奥底で

どんどん、不満が溜まり

溜まったものは、いつか、怒りとして

爆発してしまうのです。

 

尊敬する相手や感謝している

恩人でも同じこと。

 

いくら大恩人であっても、人間だから

ありえーんというようなことを

してくることがあります。

 

そういう時は、やっぱり

そのことについては

自分は嫌だったわけで

嫌だったという事実について

感じることを許していくことが

大事になってきます。

 

されて嫌だったという気持ちを

伝えたくなったなら

嫌だったということを

そのまま伝えるということも大事です。

 

とてもシンプルなことですよ。

 

どんな相手であっても

嫌なものは、嫌。

そのことを受け止められて

相手にそれを伝えることが出来たら

その人自体が嫌になったわけではないから

ネガティブな積み重ねは無くなり

平等を生み出すことができるのです。

 

感じたという事実を許すこと。

それが本当の許しに繋がるのです。