《本日のフリーダムメッセージ 敵か味方かの優位性》

 

 

愛をベースにした人間関係。

フェアな人間関係を築いていく際に

必ずと言っていいほど出てくる課題が

パワーバランス、優位性です。

 

人間の歴史において

支配する側と支配される側を

余りにも沢山経験してきたため

 

劣位には立ちたくなく

優位に立ちたいという

奥底に潜む生存本能があります。

 

知らず知らずのうちに

個人レベルにおいて、そして

集合無意識レベルにおいても

私たちは、優位性に取り憑かれて

いることがあるのです。

 

例えば、集団において

いつも集団の中で意見が違っていたり

集団の中で、反発精神旺盛

もしくは対立ということが

起こっている場合

単に意見の違いというところだけでは済まず

優位性の問題が絡んでいる場合があります。

 

こうした場合、権力に対する怒りも

複合的に絡んでいたりもするのですが

今日は、優位性についてのところを

見ていこうと思います。

 

先ず、集団においての優位性の発動から。

集団において、いつも、意見が同じだったり

同調ばかりが起こるとは限りませんが

反発や対立ばかりを繰り返しており

単に意見の違い、隔たりが多いというだけでなく

独自性、考えがはっきりしているというだけでなく

優位性が絡んでいる場合があります。

 

集団の場合

団体>個人というところで

パワーバランスの課題を抱えていると

その団体に同調するということは

劣位性の自分を感じることになるので出来ません。

 

ですから、全く同調せず、反発や対立の

自分を感じることが多いなら

パワーバランスの問題にかかっていないか

確認してみると良いでしょう。

 

一見、逆のように思えますが

集団において、恐れから起こる同調ばかり

している場合も、パワーバランスの課題に

かかっています。

 

こちらは、イメージしやすいかもしれません。

ゴマをするタイプ。ジャイアン集団に従うスネ夫といった

ところでしょうか。

 

さて、ここで、前者の集団といつも意見を対立させている人が

後者のジャイアン集団に従うスネ夫を見ると、どうなるでしょうか。

とても、イライラしてきます。

 

イライラして、『わたしは、そんな風にはならんぞ!』

と決意さえしたり、同じ者同士で、集団を隠れて

批判したりしますが、ここで、衝撃的な発表です。

 

前者の組織といつも意見を対立させている人と

後者のジャイアンに従うスネ夫。

 

この2人の抱える課題は、全く同じです。

表現方法が異なるだけで、劣位に立たないようにしているのです。

 

前者は、集団に対して優位性を感じているので

自分の尊厳が脅かされる恐怖を感じ

これ以上、集団の威力が増さないよう

意見を違えることで、自分も優位性を得よう

自分の優位性を保とうとしています。

 

後者は、集団に対して優位性を感じているので

劣位に立たないよう、優位性の方に便乗することによって

自分の優位性を保つことを選んでいます。

 

両者とも、優位性を掴み取ろうとしているのです。

 

どんな時も、いつも、そうなのですが

イライラする時というのは

表現は違えど、奥底に潜む

抱えている課題が同じだから起こります。

 

完全に、パワーバランス、優位性という

ところから脱却した時というのは

前者からも、後者からも抜け出している時です。

 

こうした光景を見ても

イライラせず、ただ、怖いんだね。

として、他者の課題として捉えることが出来ます。

この時、自分はパワーバランスの課題から抜け出しています。

 

優位性の衝動ともいえる反応は

人間の生存本能にかかっている問題なので

とても根深く、存在しています。

 

優位性の課題にかかっていると

人と愛し合うということが出来ません。

 

優位か優位じゃないか。

というところでの衝動、反応が先行してしまい

愛し合うというところからはかけ離れてしまうのです。

 

集団においても、そうですが

パートナーシップの関係性においても

パワーバランス、優位性の問題がかかっていると

フェアに、愛し合うということが出来ません。

 

パートナーシップにおいて

相手に対して、ぞっこん、ベタ惚れであるということは

実は、劣位性の可能性に立つという危険性があるのです。

 

お互い、劣位性に立つ危険がありながらも

全てを手放して、全身全霊で愛した時

お互いが、愛し合うということが出来ますから

そこには、パワーバランスは、存在しません。

 

パートナーシップで、主導権というものを

両者とも手放した時、その時々で

必要な人が主導していく

自由自在な在り方になります。

 

お互いが、お互いの得意な場面において

交代したいなと思うと

主導を手放すことが出来るのです。

 

優位性に囚われている限り

愛し合うということからは

かけ離れていって

真の平等も得られません。

 

今、わたし達は、人間の歴史における

優位性においての恐怖を手放し

超えて、ただ、愛し合っていくときなのです。