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【Freedom Destiny】Shanti Veda シャンティヴェーダ®講習

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2019LOVING文字

 

人間は長いこと、被害者と加害者であることを繰り返してきました。

 

個人レベルで。
集団レベルで。
国レベルで。

 

そして、いつも絶えない争いを、
地上に生み出してきたのです。

 

被害者や加害者を終わらせたい。

 

そう思っても、中々完全に終わらせることが難しいのは
輪廻転生を繰り返していく中で

被害者か加害者のどちらかに当てはまって生きることの方が
当たり前になってしまったからです。

 

被害者の状態では、力を決して発揮することができないのは
<自己創造力>自分の人生を、自分の望むように生き
自分で切り開いていく力です。

 

責任と創造は一体ですから
完全に自己責任を放棄している被害者の状態では


その部分に関しては、自分自身は無力で
自分には創造する力が無い
と言っているに等しく
それでは、思うような創造はできません。

 

自分の思うような創造ができない。
思ったような現実にならないと
人生や現実がうまく進んでいきません。

 

そうすると、益々、被害者意識に陥り
被害者意識が根底にあるからこそ
連動して発生してしまう事象に苦しむことになります。

 

被害者意識の連動性について
幾つか説明していきましょう。

 

例えば、被害者意識が強い場合
連動して罪悪感と自己否定が強い場合があります。

 

このような状態になってしまうと
自分の間違いを認められません。

 

周りの人々は、その人自体を否定しているのではなく
『この部分について辞めてほしい』とか
『この部分について改めてほしい』というように
伝えているだけなのですが

 

被害者意識が強い人は
自分自身を責めているウェイトが強すぎるので
頑なに事実を拒みます。

 

謝罪もできない可能性があります。
そうなってくると、アダルトチルドレンという名称に
該当する状態になることもあるのです。

 

次に、被害者意識と加害者意識
それに加えて、依存の連動性について見ていきましょう。

 

 

被害者も加害者も、結局は、被害者のテーマがあります。

 

加害者の立ち位置に、ずっと立ち続けていると
とても不平等な扱いを受けて当然になります。

 

最初は気にしないようにしていたり
「うーん違うんだけどな。私はそんなことしていないんだけどなぁ」
と思いながら少し我慢していたとしても、段々蓄積してきます。

 

加害者は、「お前がやったんだからこれを受けて当然だ」
という酷い扱いをされます。

 

ずっと加害者の立ち位置にされ続けていたら
加害者の立場の人もまた「酷い」ということを
言わずにはいられなくなってきます。

 

「そんなこと、なんで言われなきゃいけないんだ」という風になり
加害者だった人も、被害者になっていきます。

 

加害者と被害者の構図は、いつも同じで
最終的には、被害者対被害者になっているのです。

 

これについては、一つ、国々の間の例をみてみましょう。

 

日本が、中国や韓国に第二次世界大戦の件で
「お前の国がやったんだ」と言われて
確かに悪いところがあったと謝罪をし続けたとします。

 

しかし、謝罪をしても、お金を何回も払っても
「まだ足りない。まだ足りない」という感じで、何回も催促されて
いつ終わるのか、先が見えないくらいに、謝罪を要求されたとしましょう。

 

そうなってくると、「うーんいつになったら終わるんだろう」
「いつになったら許されるんだろう」
という不思議な気持ちになってくる人や、

 

その当時、生まれていなかった人たちは
実際には関与していないことに対して、

謝罪し続けなくてはならないことを
終わらせたいと
感じる人もいるかもしれません。

 

もちろん私たちは、自分自身が
何かをしたことに対しての責任はあります。

 

もちろん相手の人間的な尊厳を
著しく損ねた行為に対しては心からの謝罪は必要です。

 

しかし、許す気がないのに、謝罪要求をしているという感覚
ずっと続いてしまう被害者と加害者の関係性は非常に不健康です。

 

それが続けば続くほど、非常に依存になります。

 

つまり、加害者と被害者の課題には
依存が大きく絡んでいるのです。

 

その依存は、常時ずっと定着している固定も発生します。

 

期待被害者+加害者+依存+固定期待となってくるのです。
依存=固定期待とも言えますね。

 

依存=固定期待は、「常時、相手がそれを私にしてくれるのが当然だ」
という傲慢さを含んでいます。

 

そういうのがあると、
正当な謝罪があったとしても
いつまで経っても
被害者でいることになります。

 

被害者というのは、利点があるのです。

 

「何かしてもらって当然だ」
という風に言える立場だからです。

何かしてもらっても当然なので、貰えます。
(固定期待、依存)

 

または、何かしてもらって当然なので、ひどい仕打ちをされて、
当然という風になります(憎しみと復讐)。

 

わたしたち、人類は
依存=固定期待、「常時、相手がそれを私にしてくれるのが当然だ」
という傲慢から抜け出していかなければなりません。

 

次に被害者と加害者と憎しみと復讐が
連動していることについて見ていきましょう。

 

復讐というと、大層なことに聞こえるかもしれませんが
実はこれは日常的に行われています。

 

復讐というのは、アニメやドラマや映画では
ヒーローのように描かれていることも多いのです。

 

こういうことをした存在に対して
敵討ちをするというのは、正義のように感じてしまうことがあるのです。

 

ある時期、とても流行ったテレビドラマで
「倍返しだ」のドラマが、何故流行するのかというのも
実は、多くの人たちが、被害者意識を抱えてるからです。

 

会社で上司に対して、
被害者意識を持っている部下が
本当は、上司に復讐したいのだけれど、
それを実行する勇気がない。

 

けれども、ドラマの主人公は、
実際に復讐をしていくので

それを見ていると、自分が出来ないことをしてくれるので
すっきりして快感が起こります。

 

他にも、復讐をテーマにしたドラマや映画やアニメは
本当に山ほどあります。

 

わたしたち、人間の歴史上の、争いや戦いは
憎しみと復讐の連鎖によって、繰り返されてきました。

 

被害者になることを全員が終わらせていった時
地球は長い間起こり続けてきた悪夢から抜け出せるのです。

 

更に、こうして、地上で長い間、
被害者と加害者のループが続いてきたことにより
わたしたちは、有利であるのかを考え、
利点から被害者を選び取るようにまでになってきました。

 

それは、『被害者になっていれば、
加害者に該当しなくて済む』
という利点です。

 

被害者のもう一つの利点としてあるのは
「被害者でいれば安泰」なのです。

 

我先に「被害者」と手を挙げたから、もう加害者が他にいます。
加害者が既にいるのですから、自分自身が「加害者」と言われる確率は減ります。

 

学校や職場のいじめが起こる原因の一つに
安泰の立場を得るために、被害者になり、
加害者を設定するということもあるのです。

 

被害者は、優遇されて同情されるのが当然なので
「いろいろ、貰ってズルいわね」とは、あまり言われません。

 

被害者から脱却できにくいのは、それだけ被害者には利点があるのです。

 

さて、ここまで被害者であることの利点を見てきました。

 

自分に一部でも該当する部分があるならば
すべて脱却できていない側面があると感じるならば
ここからお話ししていくことを、是非、読まれてください。

 

被害者であり続けることは
同時に、非常に辛いことでもあります。

 

被害者であるということの不利点は、
現実で嫌なことや
酷いことがいっぱい起こることです。

 

「あの人からあんなことされちゃった」というのが起こらないと
始まらないですから、酷い事象がいっぱい起こります。

 

2020年から先は、被害者であることのリスクが
今まで以上に、高くなります。

 

どんなことも、コントラストが大きくなるからです。

 

良いことも悪いことも
もの凄く両極端に現象化する現実になってきている今

被害者の自分をどこかに抱えていると
今まで以上に酷いことが大掛かりに
沢山起こるということなのです。

 

被害者の利点を得たいために
正当性を得たい為に

「酷い」「辛い」「悲しい」「苦しい」
「大変なことがいっぱい起こる」
ということを、

自分自身が起こしている
ということを認めましょう。

 

被害者を終わらせていくことができるのは
他の誰でもない自分自身であり

本当に終わらせていきたいという
ご自身の本気の心からの決意です。

 

これらのすべてのメカニズムの叡智を入れ込んで
構築した、超自信作、LOVING、シャンティ ヴェーダで

決意された皆さまが、本当にそこから抜け出していく
お手伝いをさせていただきます。

 

ずっとずっと繰り返してきたことを完全に終わらせていくには
被害者と加害者の両方と、被害者と加害者であったこと

それらのメカニズムごと、叡智レベルで理解し
完全に終わらせていくことが必要となります。

 

あらゆる、被害者を終わらせていくことに取り組んでいても
人というのは、心のどこかにイレギュラーを創り出します。

 

心のどこかで、あの事象だけについては、特別あの人が悪いとか
あの出来事に関しては、あの人のせいでこうなったなど

すべて片付いていないものが、
ふとした瞬間に思い出されて過ってしまうのです。

 

それが、あなたの自由と創造と
幸せを阻んでいます。

 

 

心からの感謝を抱けない時、

一部被害者である自分は
未だ終わってはいません。

 

被害者加害者を終わらせていく際には
罪悪感の解放の許しとは異なる
別のレベルの赦しが必要でした。

 

それは、被害者であった自分、加害者であった自分
それに加えて、加害者も被害者のどちらも繰り返してきた人類。

 

それらのすべてへの赦しです。

 

想像してください。
完全に被害者と加害者の状態から抜け出すことが出来たなら
わたしたちはどれほど自由になるでしょう!

 

完全に被害者と加害者の状態から抜け出すことが出来たなら
わたしたち個人レベルにおいても
国という人格を持ったアイデンティティーレベルにおいても

絶え間なく行われている、加害者と被害者のやり取りに
影響されることが無くなります。

 

シャンティヴェーダは、別世界に誘われるかのように
加害者と被害者というものが存在しない次元世界で
構築したLOVINGです。

 

シャンティとはサンスクリット語で、
平和と静寂。
ヴェーダとはサンスクリット語で、聖典。

 

平和と静寂の聖典を体験してみると
非常に重厚感あふれる内容でありながら
とても優しく癒される要素が満載のLOVINGです。

 

このLOVINGは、フリーダムディスティニー LOVING開発体験会の場で
構築させていただきましたが、受講された皆さま、赦しが起こり優しいと
涙される方が多かったです。

 

シャンティヴェーダは
今、現在、被害者意識である側面がある方のみならず
過去に、被害者、或いは加害者に立たされた経験がある方にも
非常に効きます。

 

わたしたちは、被害者加害者を超えていくのと同時に
こうした体験や経験をしてきたこと自体に
大きな傷を抱えています。

 

それが、大いなる赦しによって、
赦されていくのです。

 

いま現在、被害者の側面を抱えていて
それに気付いて超えていかれる方はもちろんですが

前の段階がそういう段階だった、前に被害者をやっていた方は
過去の被害者であった自分がどこかに存在してしまっているのですが

「わたしはもう今は違う」とプロセス着地することもできる要素もあります。

 

「今のわたしはもう、そこに囚われない私になった」という確信と共に
その自分から、始めていけるのです。

 

被害者、加害者、固定期待、損得勘定、依存、憎しみ、復讐
これらのすべてに関して、概念ごと、世界観ごと、赦され、超えていきましょう!

シャンティヴェーダのLOVING施術を
実際に受けられた方々から頂いた生の声です。
ご感想アンケートを元に集計しました。
多くの方々が効果を実感されています。
シャンティヴェーダ円グラフ-1シャンティヴェーダ円グラフ-2シャンティヴェーダ円グラフ-3シャンティヴェーダ円グラフ-4
・被害者の状態からの脱却を促進します
・加害者の状態からの脱却を促進します
・被害者と加害者のメカニズムを叡智レベルで得ることで自分の中で終わっていないことが腑に落ちます。
・被害者と加害者の状態から抜け出していくので、非常に自由になります。
・被害者,加害者を創り出していた自分への気づきが起こります
・被害者加害者だった過去の自分に対しても、赦しが起きます
・自分にとっての幸せになることへ許可が出ます
・気になっていた事象について、ニュートラルな状態に立てます
・自己肯定感が上がります
・被害者、加害者という囚われがなくなります
・エネルギーや愛を違った形で受け取っていけるようになります
・事実を淡々と受け止められるようになります
・対等な関係性を選択できるようになります
・自分を愛せるようになります
・被害者,加害者というコントロールの状態から解放されます
・人間関係で傷ついた心が癒されます
・復讐というメカニズムがわかり、抜け出しやすくなります
・過去の嫌な思い出に対して、癒され赦されます
・今までどうだったかとは関係なく、ここから新たな人生を歩めます
・心にゆとりと穏やかさが生まれます
・やさしい気持ちになれます
・心に平穏を取り戻します
・過去に他者から受けた傷が癒されます
・フェアな視線で相手を見ることが出来るようになります

・被害者・加害者が、未だ一部解決していない方
・これをされたのだから、相手から何かをもらって
 当然だと思っていることがある方(依存)
・酷いことをされたのだから、相手に何か酷いことが起きて
 当然だと思った事がある方(復讐)
・過去も含め、無意識に被害者になってしまう方
・過去も含め、無意識に加害者に立たされる方
・相手の言うことを我慢して聞いてしまうことが多い方
・起こる現実を誰かのせいにしてしまうことがある方
・自分が出来るという可能性を否定している方
・心のどこかで愛される自信がない方
・自分には力がないと思っている方
・常に、可能性を感じながら生きたい方
・何処かで被害者である自分を許せていないと感じる方
・加害者にされた経験に傷を抱えている方
・濡れ衣を着せられたことがある方
・いじめられた経験のある方
・いつも嫌な事ばかり起こってしまうという方
・過去に加害者となってしまった自分を赦したい方
・人との関わりの中でついイライラしてしまう方
・被害者意識に陥りやすい方
・他者に過剰に期待してしまう方
・他者とフェアな関係性を築きたい方
・物事の悪い面ばかり見てしまいがちな方
・自分がかわいそうだと思っている方
・被害者・加害者における、悲しみや怒りを抱えている方
・孤独感に悩んでいる方

 

シャンティヴェーダ®2023講習

シャンティヴェーダの施術を
ご本人と二親等の家族に対して施術ができるようになる講習です
(プロとして第三者に提供をされたい方は、
別途LOVINGプロヒーラー講習、
またはアセンションライトワーカー覚醒プログラムの受講が必要です)

 

      ~ シャンティヴェーダ2023講習の概要 ~

1.シャンティヴェーダ施術
(施術者の方が、ご自身で出来るようになる部分です)

シャンティヴェーダの施術がご自身で出来るようになります。
施術は無制限に幾らでも、ご自身と二親等のご家族に行っていただくことができます。

 

エネルギーを取り扱ったことがない方でも
事前に必須講習である、ラブプロテクション講習をお受けになられてから、他の講習を受ける流れになりますので、確実にエネルギーを取り扱えるようになります。

 

すべての受講者が、確実にシャンティヴェーダのエネルギーが取り扱えるように、シャンティヴェーダを伝授して、取り扱い方を指導しますので施術できるかどうかの不安は無用です。

 

*講 習 代 金 132,000円
*事前LOVING開発準備ワーク 4日間
*講 習 時 間 90分(人数によっては時間が多少伸びることがあります)
*受 講 資 格 ラブプロテクション講習

★2020年5月からは、遠隔Zoomでの開催となっております。

 

【 銀行振込をご希望の方 】

【 クレジットカード支払いをご希望の方 】

~ シャンティヴェーダ 講習 受講生の声 ~

シャンティヴェーダのヒーラー講習を
実際に受けられた方々から頂いた生の声です。

講習を受講されると、ご自身で施術ができるようになるだけでなく
エネルギーレベルで叡智伝授を行いながら
指導していくため、概念のメカニズムを体得できます。

ご感想枠2上ブルー

1.被害者と加害者のメカニズムについての質問です。被害者と加害者のテーマは、非常に根深く世界中のあらゆる課題に関与しています。シャンティヴェーダ講習では被害者と加害者のメカニズムについて説明がありました。講習では言葉による情報だけでなく、被害者加害者のメカニズムの叡智伝授が行われています。シャンティヴェーダ講習を受けて、被害者と加害者のメカニズムについて、どんな新しい発見や気付き、より深いレベルの理解がありましたか?

▶過去の自分はいかに被害者と加害者の関係性の中にいたのか分かるようになった。今まで何となく周りの人と話していて無意識だったが、周りの人が発する言葉に、被害者意識、加害者意識が含まれていることが解るようになった。
▶今までは単純に『相手を攻撃等している人とそれを受けている人』という図式が成立する事象とその関係者を加害者・被害者というように思っていましたが、人の発言や行動などを見て『これの根の部分は被害者・加害者の意識だな』とすぐ気付くようになりました。
▶自分の創造に対して、100%の責任をとり、全ての出来事を、被害者でも加害者でもない、創造した者としての視点で観る事ができると、出来事に翻弄されず、とても心穏やかに生きられることが改めてよくわかりました。また、講習を受けて、加害者の立場の人ですら、結局は自分を被害者だと感じるようになることが理解でき、たくさんの人が、自分が創造者ではなく被害者の立場を無意識に選択し、内なる闘いから脱却できないでいるというメカニズムがわかるようになりました。
▶講習の中で「被害者」「加害者」という状態が内なる戦いを引き起こし、体調不良を引き起こすこと、過去の戦いの跡が、多かれ少なかれ体に刻まれていて、ハートに負担がかかっていること、シャンティヴェーダは、過去から現在にいたるまでの、全ての戦いについて、自分と他者に赦しを与え、戦いの影響を解消し「被害者・加害者」からの脱却を可能にすることが印象に残りました。そして、受講後、体調やハートの状態が、とても軽やかになりました。
▶講習を受けてすぐは、他者の話を聞いていて、被害者加害者のメカニズムだとすぐにわかり、気づきが早くなった。自分に関しても、このメカニズムから抜けれたわけではないが、そのパターンが出たらすぐに気づくことができて前に比べて切り替えが早くなってはきている。

2.被害者意識、加害者意識についての質問です。シャンティヴェーダは被害者と加害者から脱却し、被害者と加害者の両方をやめて行くLOVINGです。シャンティヴェーダ講習では受講された方が被害者と加害者を超越した存在になるよう叡智の伝授が行われています。講習を受講された後で、被害者意識、加害者意識についてどのような変化がありましたか?

▶被害者と加害者の影響を受けないで自由になれる自信が湧いてきた。被害者意識と加害者意識を超えた所から目撃する感じを楽しんでいる。
▶最初のスタートはとても素晴らしい所から始まっているのに話が進んで広まっていくうちに『我こそは被害者』という人たちが雨後の筍のように沸いてきて、最終的に被害者と名乗る人達同士で言葉の殴り合いになっている場面を良く見ます。以前であれば参加まではせずとも、同じように被害者・加害者の視点であーだこーだ物を申していただろうなと思いますが、今はただ、この話の芯はそこじゃないよね?と冷静に物事を判断出来ている気がします。
▶どのような経験に対しても、被害者や加害者という意識にならずに、創造に対して自分1人分の責任をとり、そこからまた、自分の望む創造をしていけるというシンプルな意識と静かな確信が生まれました。
▶回想してみると、自分の思いどおりにいかなかった時に被害者意識を感じたり、自信の無さを隠すように、加害者意識全開で、怒りや指摘により相手を従わせようとしたりしていたと気づき、全て受けとめて、自分自身に赦しを与え解放することができました。その結果「被害者意識」「加害者意識」から脱却した、新しい軽やかな生き方ができるという希望を見いだすことができました。
▶過去の自分は被害者意識がとても強く、そしてそれを怒りとして出してまた加害者になっていく、人も親からパートナーへと飛び火のように移ってやっていたことに気づいた。今でもまだ起こるのが正直辛く感じるが、以前なゆり起こる内容がわかりやすかったり相手が少なくなってきたー無意識に色々な人とやりとりをしないようになった。そしてさらに新しいテーマに気づけた。抵抗からか罪悪感を認識できなかったが、やっと納得?できてきた。アークレジェンド講習を受けると決めたときから事前課題をしているのかここにフォーカスされた被害者加害者のやりとりがでてきている。これは本当に超えたい、という強い意思がでたからこその課題だと感じる。

3.人類に対しての赦しについての質問です。シャンティヴェーダは被害者と加害者から脱却し、過去に被害者であった自分、加害者であった自分、加害者と被害者のどちらも繰り返してきた人類への赦しが起こるように促します。講習を受講された後で、赦しについての感覚はどのように変化しましたか?

▶過去に被害者や加害者をやってきた自分をそのまま受け止めて赦せるようになった。長い闘いでしたが、本当にお疲れ様でしたと自分に言えて嬉しい。自分を癒す位置に居る事が不思議。
▶過去の事でこれも加害者・被害者の意識が絡んでいたなと思える事も、思い出してもそこから怒りなどが沸かなくなりました。
▶外側の出来事に翻弄され、被害者や加害者として、自分の内面で常に闘いを起こしていたかつての自分自身も、どちらの立場の人にせよ、それをして闘ってしまう他者に対しても自然と深い赦しが起こりました。また、復讐をしている人が実はどれだけ辛い状態なのかということもよくわかり、赦しが広がりました。
▶「被害者」も「加害者」も、それぞれが、一時的な状況で相互創造した結果で、そこに善悪はなく、ただ愛の表現が歪んでいただけと思えるようになり、シャンティヴェーダにより、自分を赦せたように、自分と同じ人間である人類全体も赦すことができると思えるようになりました。
▶被害者加害者のメカニズムのループにはまると、全てが投影されて、マスコミや政治など全ての人に対して被害者意識からの怒りがでてきて絶望もしたりとエネルギーを消耗していたが、他者には目的がありそれは私とは違うだけなんだ、と気にしなくなってきた。

4.ご自身やご家族の変化についての質問です。シャンティヴェーダ講習を受講されて施術者になられた皆さまは、ご自身やご家族にいつでもシャンティヴェーダの施術を行うことが出来ます。ご自身やご家族に施術を行うことで、ご自身やご家族、または環境にどのような変化がありましたか?

▶主人が私のせいにして被害者を装っていて、今まで当たり前過ぎてその関係に気付かずにいたが、今回、被害者意識・加害者意識に覚醒してしまったので、あれっオカシイなと思えた。以前は「ごめんなさい」と対応していたけれど、講習後は「私のせいでは無いですよ。」と言えて、そうしたら、もう私のせいだと言わなくなったので、それも不思議。
▶家族の言動が少しずつ変わって来ています。以前であれば相手を責めるような言い方などをしていただろうなと思う場面でも、それがなくなっているように思います。
▶自分自身にはハーモニーブリージングとセットで施術をすることで身体も楽になります。遠隔で施術している家族には、以前は時々あった被害者的な発言がなくなりました。
▶「被害者意識」「加害者意識」は自分も家族も共通したテーマなので、受講後、ほぼ毎日、家族全員に施術しています。施術によって、ニュートラルな気持ちで、世界と向き合うことができ、世の中がどんな状況になっても動じることがなくなりました。また、離れて暮らす家族について、穏やかな気持ちで幸せを願える状態になっています。
▶元々、被害者加害者のメカニズムがあまりないパートナーとのやりとりでは脱却がはやくなり生きやすくなった。しかし母とのやりとりが施術をしてもまだまだでてくる…という感覚もある。これは綾さんも講習でおっしゃっていたように、毎日のように新しいのがくるのでうみだしができているんだと思って根気よく施術を続ける。

5.シャンティヴェーダ講習を受けようとご検討している方に向けて、一言メッセージをお願い致します。

▶シャンティヴェーダの叡智を伝授して頂けて脱却出来るということは、とっても楽だということです。家族に施術することで、家族もどんどん楽になっていきます。今いる場所からジャンプしてみませんか?
▶被害者・加害者の意識から脱却した状態であればこんなにも話がこじれる事はないだろうに、と思う事がとても多いです。お互いを尊重して生きる調和の世界を作るためには多くの方に必要なLOVINGだと思いますし、施術を受けるだけでももちろんいいと思いますが、受講で脱却された方が増えていけばご自身だけでなく、その周りの人達も多くの人が言動の変化から何かを学び取って、少しずつみんなが生きやすくなっていくのではないかなと思います。
▶叡智の伝授を受け、被害者加害者のメカニズムを理解し、そこから脱却できると、現実的にも大きく人生が変わりますし、いつでもシンプルに自分1人分の責任をとるだけになるので、生きることがとても楽になります。私は創造する者としての意識で生きられるようになりました。被害者加害者のテーマから完全に脱却し、自由に人生を創造していきたい方にとてもおすすめの講習です。
▶シャンティヴェーダを受講し、施術者となることで、自分自身にとても大きな赦しが起こり、重い足枷を外したような自由を感じました。日々の暮らしで、人間関係に疲れていたり、自分を取り巻く環境に不信を抱き身動きが取れない状態であったり、自分が創造した世界への責任を受けとめられないと感じられている方は、シャンティヴェーダによる「被害者・加害者」脱却が打開策となるのではと思います。
▶一斉LOVINGを親子で受けてとても楽になってはいましたが、これは入り口に立てたのであって、講習を受けてみて、やっと扉の中に入っていけた感覚でした。そのくらい私と母にとっては大きなテーマでした。結婚で新しく深い人間関係をもつタイミングであるのに、色々な騒動がおきて、なかなか始めることができないのですが、大切なパートナーと近くなることで被害者加害者のメカニズムにハマりたくないから…その抵抗だったんだなぁと、講習を受けてよりわかるようになりました。この講習を受けたことでやっとその抵抗と対処ができるんだし、なにより自分が施術したい放題なのがとても大きい。自分自身で根気よくテーマを扱いどんどん抜けていけるのはとてもありがたいです。ラブプロテクション講習と同じくらいの必須講習だと感じました。是非多くの方に受けていただきたいです。そして私的にはこれはセット講習だろうな…と感じるアークレジェンド講習をこれから受けるのでとても楽しみです。いつもありがとうございます!

ご感想枠2下ブルー

~ シャンティヴェーダ 一斉LOVING ご感想 ~

シャンティヴェーダの一斉LOVINGの
施術を受けられた方々から頂いた生の声です。

ご感想枠2上ブルー

1.被害者意識についての質問です。被害者意識がある、或いは過去に被害者意識があったことがあると、自分にも確かに省みるところがあるのに、謝罪することができなかったり、許す気がないのに謝罪要求を続けて固定期待と依存をしているという状態に陥ったり、酷いことをされた相手に対して今に良くないことが起こると復讐の意識に陥ったり、加害者にされないように保守的に被害者に陥ったりします。シャンティヴェーダをお受けになられると、被害者であった自分を赦すことができたり被害者であった自分に気づいて行けたり、相手を責めていることを終わらせていくことが促進されます。シャンティヴェーダを受ける前と後では、現在あるいは過去における、ご自身の被害者であった体験に対してどのような気づきがありましたか?どのような例であったかも教えてください。

▶ いつも自分を被害者にしていて、いつも自分ばっかり損な悲しい役目を請け負っていると思っていました。今は、そういった感覚が軽減した感じがします。
▶ ずっと長い間、変われなかった事に対して大きな決断が出来るようになった。
▶ 被害者にならないようにとか、加害者に仕立てられるのを回避するためにという理由で、押し付けてくる人をものすごく避けていたり、悪くないのに自分から謝るなどのパターンが多かったことに気がつきました。そして、昔の経験を思い出して怒りがわいても、以前よりヒートアップする度合いや時間が減って、許せるようになってきました。特に、若い頃に絶交した友達のことを、ようやく終わらせることができたようでとても良かったです。以前は、彼女のことを時々思い出しては、相手が悪いと責める思いでいっぱいいっぱいだったのが、相手も一人の人間として受け容れることができるような感じになり、寂しさがたくさん出てきて、あんなに責めていたのは寂しさの裏返しだったんだなぁと自分の思いにも気づいて泣けてきたりして、背中のしこりからたくさんの許せない思いのエネルギーが抜けていって小さくなり、肉体的にも痛みや重さが楽になりました。
▶ 過去自分が受けた事に対して、「私にも至らない点があったが、ここまでの事をされる覚えはない。」「圧倒的に相手の方が酷い」などと被害者になり、挙句、「こんな酷いことをしたんだからきっとバチがあたる」と復讐の意識にもなっていたことを思い出しました。シャンティヴェーダを受けた後、その経験を思い出してみましたが、取り立て何の感情も湧かなくなっていました。以前感じていた、悲しく、腹立たしい思いはもうなく、ただ事実としてそんなことがあったのだという事しか感じません。被害者意識、復讐意識になっていた自分に対しても、「そう思ってたよね」と感じるだけです。まさに赦しが起こったのですよね。本当に不思議です。
▶ 被害・ 加害の概念自体が喪失した感覚です。昔、自分が被害者を演じてきたことに関しても、特に残念な気持ちも起こらなくなり、ただ、被害者をやっていた事実があるなぁと思うだけになりました。
▶ 義母との同居開始から半年になりました。開始から3ヶ月余りの間に味わった苦しみと心の痛みが消えず、傷だらけの心はいつ癒えるのかと思っておりました。施術後は生々しい痛みや苦しみが消えて、数ヶ月前の辛さが蘇らなくなりました。今は目の前の義母との課題に取り組むのみになりました。
▶ 施術前、霊障のような症状があり、施術を受ける前に準備してるのかな?と思い、眠たくて仕方なかったのもあり寝てしまってました。深い意識に入ってた感じでした。施術後の3日間は、過去の加害者と被害者の体験を回想しているような感じでした。しんどいなぁと思ってたのですが、たくさんの癒しがあり3日目から、あれ、記憶がなくなったような、すべて忘れてしまったような、なかったことになってました。フラットな感じで、今までいた世界より少し上がって見渡せている感じで、凄く、凄く嬉しかったです。去年の夏くらいから、軽い目眩や耳鳴りが頻繁にあり、去年の年末から今年は耳鳴りがあったのですが、施術後、耳鳴りがおさまりました。なにかが変わったような感じがします。私は、昔から癖だと思うのですが、集合無意識と繋りやすく、そのためか?集合無意識からの情報量が多いので自分で何かできないので諦めてました。凄くスッキリして楽なんです。施術前は、私は、被害者意識が強いなぁと思ってるくらいでしたが、施術後、あるコミュニティで今までの尊重してもらえてないなぁと言う悲しみや諦めがあったのですが、不思議なくらい、凄く尊重してもらえる体験をして、私は、恥ずかしいですが被害者意識だったんだと気づけました。
▶ 過去、実家で暮らしていた頃の父へ対する、複雑な怒り苛立ちが、シンプルになり、過去の自分を客観的に見れるようになりました。実家で暮らしていた頃の自分は、今のように心理学などの勉強をしていたわけではなかったけど、自分を守るために精一杯やっていたのだと感じます。
▶ 被害者だった時は相手に対してなんてかわいそうな人だろうと思った。相手が責めてきても気にならなくなった。本当に和み、という感覚で満たされるようになった。
▶ たしかに過去に問題があったという感覚は残っているのですが、それを責める、責めたくなる気持ちに戻らない、戻れないという感覚です。
▶ 被害者で居続けた自分に対して、本当は後ろめたく思っていて「被害者ではいけないのに…」と罪悪感がいっぱいだったのですが、今はそんな自分を責める私が少し攻撃を弱めてくれたり、明らかに攻撃の数も減っていますし、もしも自分責めに陥っているときには客観的にその状況をみれるようになった気がします。自分を責めないということは、開き直って「だって仕方ないじゃん!!」と被害者で居続けることとは違ったんだなと思えます。依存的関係もまだあるのですが、「だって被害者なんだし(復讐)」ではなく、今では「ありがとうございます。助けてくれて嬉しいです。感謝!」という気持ちが自然と持てるようになりました。復讐の意識についてですが、昔はもっとドロドロした重たい感情だったのですが、最近感じた復讐心ではどちらかというと軽く拗ねているぷんぷんしている感じになりました。正直、まだこびりついているものもありますが、おおよその復讐の数値(ドロドロ感)は下がっています。その時、被害者になってしまった自分をすごく恥じていた気持ちが薄れたからかな、と思っています。
▶ 何か失敗したり悪いことがあると、自分だけで完結していることでも他者が悪いと怒りが浮かんでいましたがそれが無くなりました。他者からの加害行為と自分が思っていた記憶がループで思い出す事がほぼ減りました。
▶ まだ良くわからないのですが過去の嫌なことが気にならなくなりました。自分をかわいそうだと思わなくなりました。
▶ 〈まず、前提として〉質問文にある「自分にも確かに省みるところがあるのに、謝罪することができなかったり」という部分がまさしく当てはまります。大切な人と大げんかになったことが何度かあります。相手が穏やかな人柄であり、普段はめったに揉めないのですが、大げんかの時は「なぜ自分が悪いと認められないのか?」「揉める時は、いつも(私)が自分が悪いと認められないからだ」と言われます。たしかに、時間が立ち冷静になると自分の悪さも認められるのですが、最中は[私は責められているのだ]ということで自分を守ることに精一杯になってしまいます。〈ここからが本題です〉昨年、ある友人から連絡が来て、過去にその人との間で起こった複数のモヤモヤ体験が思い出され、なるべく穏便に済ませようと思ったのですが結局冷戦のような状態になりました。振り返ると、過去のモヤモヤ体験は自分がないがしろにされたように感じていたのだと思います。そして昨年のやり取りでも、私の立場や気持ちが理解されていないように感じて、その人に失礼なことを言ってしまいました。このワークを受ける前までは度々その出来事が思い出され、自分のしたことと友人の対応両方にモヤモヤしていました。ワーク後しばらく立ち、今はその出来事があまり気にならなくなりました。友人に対して「あなたも過去に私をないがしろにするような対応をしたのだから、私がこれをやっても許されるよね?」という気持ちが、ワーク前はあまり意識をしていませんでしたが確実にありました。年末に起こったことは、まさしくこの通りのことだと感じます。
▶ 過去の出来事に対して、「私は完全な被害者」と強く思いがありましたが、徐々に減っていきました。
▶ 自分が被害者意識をもってることを思い出させる事が起きても、いつまでもひきずることがない。
▶ 強烈な被害者意識を持つ母親を反面教師として、若く自立した時から被害者にだけはなるまい、主体的に生きようとしてきた自分が、30代半ば頃から酷いブラック環境や理不尽な扱いに当たるようになり、なりたくもない被害者になっていた。かつて酷い扱いを受けた人(上司や顧客など)に対して復讐心を持っていたが、その時の感情をあまり思い出せなくなっている。今でも不当な扱いを受けた時は腹が立つが、大して気になっていないのか翌日には思い出せないことが多い。
▶ 上司から納得のいかない事を言われても、わざわざ自分は被害者だと捉える事が減った。八つ当たりされたな、これは上司自身の問題を私に投影してるなと冷静に思うようになった。
▶ 身近な家族に対して被害者意識がありましたが、あの時は私なりにいろいろ頑張ってきたんだなと思えるようになりました。被害者意識はエネルギーレベルで解放しないとなかなか赦せないんだなと感じました。今回シャンティヴェーダを受けて、復讐心が私にはあったんだと認められるようになりました。以前は復讐心があると認められないくらい傷ついていて守りの鎧を幾つも付けて疲れ切っていたんだなと思います。被害者意識に付随していた罪悪感も解放されて軽くなったように感じます。
▶ 無意識に○○された、という言葉が多かったが、それは自分の選択でもあったとニュートラルに認めることができるようになった。過去の被害者意識を投影する内容の話をしても、その経験が今の知識や知恵や人との出会いのありがたさに繋がっているんだと思えるようになった。
▶ 加害者にされないよう保守的に被害者に陥ったり、、というのはまさにその通りでした。相手が悪いという思いが湧くことは今でもありますが、そこにずっと留まらず湧いてきた感情を感じる余裕が出てきたと思います。
▶ かつては他者の都合をこちらが勝手に汲んだ押し付けがましい選択をする事が多く、自分の望みとは違う行動をしたりしていたので、それで嫌な事があったりすると『私は相手のためを思って動いただけなのにどうしてこんな目に!』と自分の中で相手を加害者にしたりする事で自分を被害者にする身勝手さがありました。いろんなLOVINGのおかげでそれらはだいぶとましになりましたが、その過去について思い返すと、自分の愚かさが今度は嫌になっていましたが今はそれが軽くなっているように思います。
▶ わたしって、こういう時に被害者な気分になって人と関わってる!!というのがはっきり分かりました。被害者でいることが安全であると思っていることにも気がつきました。びっくりしました。
▶ 無意識含めて、被害者加害者という立場でしかかかわれていなかった関係性、何かの要求に常に応じて当たり前という期待値が、被害者意識から来ていたのだとわかり、相手に対してその意識がなくなり、感謝も湧いてくるようになった。また、自分ももっと自由になりたいと思うようになれた。
▶ 自分がいじめられたのは自分が悪かったからではないかとか、自分を責める気持ちがずっとありましたが、そんな必要はないと心から思えるようになりました。また、加害者を責める気持ちもありましたが、どうでもいいかと思えるようになったら、人事異動で向こうが4月からいなくなる事になりました。
▶ 私はずっと思ってきました。あの人は私にこうした。だから、きっと良くない事が起こる。起こればいいと。ばちが当たればいいんだって。実際に何かが起こると、ほらね!バチが当たったと思ってきました。そう願っていた事に気がつきました。まだ気がついた段階であって、実際にそう思わなくなったとは、まだ言い切れないかもしれません。
▶ 被害者的な体験や、そのような意識を持っていた事について、許しが起こったと思う。そのような状態であった自分を、今はただ受けとめているような感じで、あまりあれこれ思わなくなったように思う。今の自分が、そのような事も含め、自分を認めて受けとめていればよいと思った。
▶ 雇われているということに被害者意識があったことに気づきました。仕事の業績が悪くなった場合、こんなに頑張ってきたのに報われなかったという思いと、同業他社の相場からいけば、もっと給料高くても良かったはずなのにもらえなかった。残業代ももらえなかったなと過去を思い出しました。その頃は社会人に成り立てで、会社ってこういうものだと思っていたし、こういう経験をしてもいいと思っていたことに気づきました。これが当たり前になっていたことが恐ろしいですが、怒りなどはなく、ただ残念だったな。もうそんな体験はさせないと思いました。
▶ わたしは加害者になることがこわくて、いつも被害者の側にまわっていました。そして相手を責める、自分を責める、状況や宇宙をうらむ、を繰り返していると、永遠に本質にはたどりつけないんだな、、ということに気づきはじめました。被害者と加害者のループから抜け出さないと、本当の意味で人生がスタートしないのだと。
▶ アルコール依存症の父親との関係性で、自分がもう被害者にならないように父親を何とかしようとしていた事や自分がしてもらって当然!被害者で傷ついているんだからと恨みみたいな気持ちで依存している自分に気づき、被害者意識の深さを素直に認め受け入れました。感情を味わいきり、過去も含めてそんな被害者意識を持つ自分も赦せた気がします。
▶ 過去、いじめにあった記憶が事あるごとに戻ってきて、人間関係を築く事を根底で恐れたり目立つことへの恐怖がありましたが、怖がらずに自然に自己主張できるようになり相手の反応にも過剰反応しない自分に驚いています。
▶ 母親を許せるようになりました。私は自分の期待に沿わない母を、幼少期の甘えたいのに甘えられない環境でこんなに辛い人生を歩むことになったのも、全て全て母のせいだから、私は母の言動と行動を見下し否定する、それらをしていい、攻撃的に責めてもいいと自分を正当化していました。施術後の翌日、車運転中にふと…あの時の母は精一杯やっていた、母は母なりに出来る限り私に愛をかけていた。。。それを受け取れなかったのは私、被害者になることで母に恨みを晴らしていた…と気づき涙が溢れ心のないで母に謝罪しました。それ以降、母と電話で話す機会があったのですが、いつも湧き上がってくる彼女に対する否定的な感情と攻撃的な口調は出てこず穏やかに話すことができました。その後、義理の母に対しても許しの感情がわき、今まで感じていた事柄等は義母が悪かったわけではないという思いが出てきて以前よりも彼女を認められるようになりました。5歳の息子を育てていくにあたり、この子さえいなければ、私の人生は楽なのに、この子さえいなければ…という思いがあったのですが、それが、私はこの子がいたからこそ今までやってこれた、この子がいたから生きてこれた…と思うようになりました。
▶ いつの間にか、気にならなくなってました。
▶ 前の職場での人間関係がつらく(パワハラなど)、体調を崩し、転職しました。その方たちも、私も、学びの途中だったりして、このようなことになったのかな、と思うのですが、そう思ってはいても、どこか胸が苦しかったです。ですが、施術後は、その人達のことを考えられなくなっていることに気づきました。
▶ ふとした瞬間に、いままで当然として行っていたことが、被害者意識からきていることがわかりました。以前が10だとしたら、5-6くらいまで気にならなくなりました。今までの人生ずっと根深く合ったのでとても楽になりました。受けてから、日々気づくことがあり、癒されてきているのだと感じます。前よりも被害者意識が気にならなくなったのと、自分自身に根深く赦せない気持ちがあったのが、だいぶ減りました。前よりも自分に優しくなったと思います。
▶ 被害者であった自分を思い出すと、嫌な気持ちになっていましたが、気にならなくなりました。
▶ 施術前は、自分に対する欠乏感から常に被害者意識がありましたが、施術後、それによる恐怖心がなくなっていることに気が付きました。家にいる間は実感できませんでしたが、他人と接したときに自分に対して静かな肯定感しかなく、私が今までなりたかった人の心はこんな感じかも、と思えました。思考の癖で自己否定しようとしますが、逆にできません。本当に不思議です。
▶ シャンティヴェーダ、4日に一回目を受けた感想です。まずは、申し込みした日から右肩、肩甲骨の痛みが始まりました。これはコミットしたことによる過去の痛みの追体験なのかもと感じ、その部位とコミュニケーションをとっていましたが施術日までひどくなるいっぽうでした。施術の翌日は、ハートの軽さとリアルさを感じました。何か重い靄みたいなものがまとっていたのでしょうか。肩の痛みも薄れはじめ、2日後にはほぼ回復しました。それからヴェールが剥がれるように、自分が被害者になる(自分のパワーをだすことを止める)裏に復讐の意識が(加害者になってる)あったことがわかりました。親に対して、夫に対して、私が好きなことができなかったのはあなたのせい、と思ってたことに愕然としたのです。痛みを自分に与え復讐することは、自分も大切な人を不幸にしてしまうことを、わかっていたつもりだったのに、深いところにパターンとして残っていたことに気づけてよかったです。
▶ 今回は入金をしたら、施術が始まる前に気付き感じられる事がありました。赦せる自分になりたいのに、自分の愛や思いが伝わらない悔しさから越える事が出来ず…とても悲しい気持ちでいっぱいだったのですが、「頑張ってね」と心から伝えることが出来ました。その後は、思い出す回数が減ったのと、思い出しても悔しさや悲しみを感じる事が9割ほど無くなったように感じます。
▶ 近所のひとにまだ幼い自分の子のせいにされたこと、今でも思い出すと腹が立っていました。でも、施術を受けてからは前よりは気ならなくなったように思います。
▶ 親友に息子のことを悪く言われて傷ついた経験があった。自分では親友が私の為に言ってくれた事だと思うようにしたが、別の事で親友の言葉が気になる時に、必ず息子に対しての言葉を思い出してモヤモヤしていた。シャンティヴェーダを受けてからはそれ程気にならなくなった。
▶ 一番許せなかった同級生に対して、気にならなくなりました。すでに若くして亡くなったのですが、「ざまみろ」という気持ちでしたが、それがどうでもいいというか、気にならなくなる。すごいです。
▶ 尊厳を傷付けられた気がして、思い出す度に腹が立ってとても悲しくなる事があったのですが、今回このアンケートを通して再び思い出してみましたが、「尊厳を傷付けられた」という感覚自体が湧きませんでした。
▶ 被害者しかやってこなかった自分というものにずっと向き合ってきたので、もう被害者には金輪際ならない!と一生懸命頑張っていた自分がとても良く見えてきました。頑張って越えようとしてたんだね…でも、まだまだ無意識の所にいっぱいあるんだね…うわぁ…って無価値感でいっぱいになりました。何も終わってなんかいないじゃないか…私、何やってたんだろう…?って。被害者である自分を無意識に演じてる自分が居る…しかも自覚すらできてなかった事に気がつき絶望したんですけど何故か面白いんです。笑えてくるんです。喜んでる自分もでてきました。バッカみたい!って笑えてきました。その反対にこれ、終わらせないとずっと出てくるんだよね…なんてベタついた感じもとても感じてました。その2つの思いがこんがらがってしまってモヤモヤしてました。焦りも出てくるし、何とかしようと動いても更に酷くなる現実になってしまい愕然としてみたり…これらが繰り返し出てくるのでカルマの解放が始まったことに気づきました。気づいたら、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまい私にできることは何も無いみたい…とりあえずどうにかなるまで観ていよう。という感じになりました。興味が持てない訳ではないけれども、どうでもいい…ってなってます。とても気持ち悪いんですけど、この先にさっぱり感は必ず訪れる!って知ってるので、期待しないで毎日を精一杯過ごそうってなってます。
▶ この施術だけでなくここ数ヶ月色々行っているおかげもあると思うが、過去の家事分担の不平等、義理親の世話について、犠牲者としての怒りの気持ちなく淡々と思い出せるようになった。
▶ 相手が悪いという思いが湧いたり、思い出される体験があるが以前よりは気にならなくなった。
▶ 両親の言動によって傷ついた記憶がいつも頭から離れない上、傷ついていたという私の中の事実を認めてもらえないことでさらに憎悪が増し続ける日々が何年も続いていました。育ててもらった恩があるのに怒りと憎しみを感じてしまう自分は悪人であるという自責の念と板挟みになり、心が安らぐことがありませんでした。このような状態でいることにより、私は愛を受け取る資格がない人間だという暗示をかけ、自分自身を全力で生きないでいることへの言い訳をしていたことに気づきました。
▶ 夫に対して被害者意識がありました。自分は損しているという気持ちがいつもありました。それにずっと取り組み、なんとかしたいと思っていましたが、シャンティヴェーダにより、損しているという気持ちがなくなりました。自然に感謝できるようになりました。本当に嬉しいです。
▶ 施術日の前に思い出され、湧いてきた過去の体験 への悔しさに対し、ああ、被害者をやっていたんだな、と映像が浮かんで理解ができ、そういうことだったんだなと受け止められました。今まで加害者意識が強かったため、被害者意識であった自分を今回ようやく自覚し、優しい気持ちでそうだったんだなぁと許すことができました。愚かさも受け止められ、優しく受容でき、涙も溢れて来ました。被害者モードの八つ当たりのような形となってしまい、お相手にとても申し訳なかった気持ちも湧いてきます。(愚かだった自分を責めるということではなく、誰かに許してもらわなくても受け止められている状態となっています。)
▶ 幼少期から成長期にかけて母から教えてもらえるのではなく、怒りをぶつけられて気付き反省するが、反省が足りないと言われて困った場面の連続だった。社会に出てからも姑や年上の女性から似たような体験をし思い出す度に、その時の感情がありありと蘇ってきていたが、今は思い出すことが出来ない、うっすらとぼやけている感じ。
▶ 以前の職場の上司に対して、ずっと怒りと違和感が残っていました。人の扱い方が理解できなかったり、問題をあやふやにすることについて、私は被害者意識がありました。赦せないし、理解もしたくない。そんな思いが辞めてからも根強く残っていました。嫌なことは嫌ではありますが、その事柄に対して、相手を責めたくなるような攻撃的なエネルギーや嫌悪感、復讐の意識がかなり和らいでいることに気が付きました。他の人に対しても、赦したくない、幸せになって欲しくない。という意識に取り付かれていた??と思うくらい、そんな気持ちに心が占領されていたことにハッとしました。
▶ 今では被害者意識や復讐意識が強く湧く事がありましたが、受けた翌朝、それらを体験していた自分が崩れ、客観的な視野を持てるようになり、とても楽になりました。また、徐々に被害者だった自分を赦せている感じがあり、ニュートラルにいられます。
▶ 小さい頃、自分をいじめる人や周りに来る人達は、ただ愛が欲しかっただけなんだなぁと思います。いつも何も出来ないと言う意識がありましたが、そんな自分も赦してあげたいなぁと思えるようになりました。
▶ 辛い家庭環境で育ったことや、小学生の頃に周りの子にからかわれたことで、自分は惨めでかわいそうな人間という思いが心のどこかにあったけれど、だからと言って周りと比較することがなくなりました。また、こんなかわいそうな自分を分かってほしいとか、何で分からないの?という気持ちも少しあったけれど、分からなくて当然だし、分かってもらうことを求める前に、自分で自分のことを素直に伝える努力をしようと思えるようになりました。被害者意識でいたときには感じられなかった自分の創造性やユーモアを感じることができるようになりました。
▶ 自分は被害者だと捉える状況、体験に置かれると、「相手が悪い」と捉えて、悪感情を抱き続ける場合がありますが、今、思い出せる過去に関しては、第三者的に淡々と見ていられるようです。現在、被害者意識をあおってくれる同僚が職場におり、しかも、日頃、目の前のデスクで対面して顔合わせるので、悪感情が持続しやすいところがありました。施術後は、気持ちが切り替えやすくなり、被害者意識の持続が少なくなった感じがします。あるいは、この相手と絡もうという反応が減っています。
▶ 過去の出来事において、これは絶対的に相手が悪くて自分は悪くないし自分は被害者としか思えないことがありました。相手はあの時にこうするべきだった、普通はこうするものだろうと、他人に聞いてもきっと100人中99人以上の人は私と同意見であると、絶対的にそうに違いないという、私はそのことに関しては圧倒的な被害者でした。ところが『シャンティヴェーダ』以降、自分の内部をいくら探しても、その想いがすっぽり丸ごと無くなっています。言葉にするならば、相手には相手の私には想像もつかない事情や考えがあったのかもしれない、よくよく考えると相手を加害者にしたり自分を被害者にする必要がどこにあったのかもわからなくなっています。
▶ 加害者に対して悪い事が起きるとざまあみろ、もっと相手に悪い事が起きれば良いのにと思っていた気持ちが無くなり、(良い意味で)無関心になりつつある。
▶ なんのタイミングか、このタイミングで過去最大の事件が自分に起きました。詳細は言えないこともありますが、愛している人が原因で私自身の身や生活が危険に晒されてしまったのです…。愛しているのに、彼に対しての復讐心が湧いてきたり。被害者意識から意識が遠のいたり、そんな人を選んだのは自分なのだから…、と人のせいにしてはいけないんだ、という気持ちが湧いたり…。未だ、いろんな葛藤の中にいますが、ふとインスピレーションで湧いたことは「誰が悪いのでもない。ただそこに愛がなかっただけ。あなたは自分を傷つけた人を愛せますか?」と。あまりにも、タイムリーで、私自身まだ葛藤の中におりますが、スムーズに解放されて、新しい自分に出逢えたらいいな、と思っております。
▶ 暗い箱に自分を閉じ込めてふさぎ込んでいたが、受けた後は明るい光が差し込んだような感じになり、頭が柔軟になったように感じる。
▶ 人生のすべてを失う被害者体験をしました。いじめられやすい。という感覚がありましたが、今は被害者にも加害者にも決してならないという感覚でふとした会話の中にも自分の意思を反映した人間関係を過ごそうと思っています。
▶ 思い出すと嫌な気持ちはまだあるがその体験と少し距離が出来た様な気がする。少し遠いところから眺めてる様な、そんな感じ。
▶ 今まで私がよくなかったんだろうな…と自分を変えていくことに専念して関係の継続を努めていましたが。。。いやこれは相手も悪いよね!っていうか、それに巻き込まれるのもうやめたい。って想いがでてきました。もうさっぱりこの関係辞めたい。という感じ。
▶ 被害者である自分に対して、加害者側が権力でねじ伏せようとするのが許せず、ずっと謝罪要求をしてきた。それが物事の道理だと信じていたが、実は、もう二度と被害者になりたくない、という自分の心の声であることが分かった。
▶ シャンティヴェーダを受ける前には、神経が参ってしまっていて、かなり自分のなかに罪悪感が沸き起こり大変な気持ちでした。また、なんでもないときに涙が出るほど、すっかり弱ってしまっていました。会社で管理職をしていますが、部下育成や人間関係に悩まされるここ数年でしたので、ついに心が耐えられなくなったのではないか…と思いました。うつ病になりかけていました。一方、受けた後は、いろいろと問題を起こすような部下に対しても、自分のなかにも同じような他人を責めたい気持ちがあったことが受け入れられて、特に感情を揺り動かされすぎずに普通に相手に接することができるようになりました。
▶ 今まで、どんなときも反射的に「やられたらやり返す」という感じでした。ワーク後、「そもそも“やられた”ってなんだ?」と疑問に思うようになり、それが被害者意識だったことに気づきました。私にとっては衝撃的な気づきでした。
▶ ちょうど、職場の人間関係が2つに分かれており、お互いがお互いを加害者だと責めるような構図が出来上がっています。その中でワークをうけ、ふと、加害者、被害者という概念は勝手に自分が思い込みで振り分けているだけだなーと思える瞬間がありました。
▶ 自分に力がないと思い込んで、被害者の立場に仕立てていたことがわかった。自分の人生を自分で回していく、自分で立って創造していく、というところに立てた。創造=責任、ということがよりわかった。
▶ 過去にひどいことをされたことについて、相手の方が気にならない感じです。また、最近、対応が悪い相手の方を、対等な関係で無いことに、怒りを感じています。
▶ 被害者と加害者意識への癒やしが深まり、夫や仕事の相方との対立的な関係性が一気に解消中です。特に、相方とは、わたしが思い切って、近いうちに一度「辞める」「身を引く」と伝えた事により、お互いの存在の大切さに気が付きました。相方にとって、わたしはとても信頼を寄せている存在である事が明るみになりました。つまり今まで、わたし自身が自分の存在価値を「被害者」として。「加害を加える加害者」として低く見ていたという事です。低く見ていたから、相方がわたしという愛を信頼している訳がないと思っていたのです。心で思っている事は、伝える事が大切ですね。伝えてみる事で、世界のからくりが変化していく。結局は、わたしは今の仕事を継続する事になったのですが、相方が「よかった!ほんとによかった!」と腰を抜かして安堵していて、ハグをしてお互いの感謝を伝え合いました。ですから、「あなたと別の道を行く」と伝える前と、伝えた後では、お互いの関係性が違ったものになっています。ハリーポッターの様に、お互いが一度死んで、お互いに付着していた魂のかけらの様なもの(被害者加害者依存関係)と決別し、再び息を取り戻した様な心地です。わたしが自己信頼をもっと回復すれば何事も調和的ブレイクスルーがなされると分かりました。

2.過去の加害者の体験についての質問です。自分が被害者から脱却をしたとしても、他の誰かから、勝手に加害者に設定されることがあります。過去に加害者にされてしまった経験があったり被害者意識が強い人間が側にいることで、責任をなすりつけられた経験があったり責任を過剰に取らされてしまった経験があったり、濡れ衣を着せられたことがあるとそうした加害者という体験にとても傷ついてしまいます。シャンティヴェーダは、そうした加害者の側に立たされた体験を優しくパワフルに癒し、加害者に設定した相手に対しても、特に気にならなくなるように構築しています。シャンティヴェーダを受ける前と後で、ご自身の加害者の側の体験についての印象がどのように変化したか、教えてください。

▶ 仕事の失敗で、仕方なかったにもかかわらず、加害者扱いされて、ひどいと感じていました。しかし、今は気にならない感じです。
▶ 加害者側にいた自分を情けなくて不甲斐なくて弱くて落ち込むことがあったし、恥だと思っていたし黒歴史だと思っていたけど、相手が自分を加害者に設定したとしても気にならなくなった。
▶ 今まで生きてきた中で、心の傷や悲しみが加害者たらしめているのかなーと思えた。
▶ 小学校の頃、人間関係が上手くいかず、そのストレスを妹にぶつけていた時期がありました。妹は感情を出さなくなり内向的になっていき、妹の人生を変えてしまったと深く後悔しました。人の人生を狂わす恐怖から、“育てる”ということに苦手意識を持つようになりました。子供をもつことや、後輩に仕事を教えることも避けたいと思っていました。今回ワークを受けて、そんなに自分の首を絞めなくてもいいんじゃないかと思うようになりました。ずっと負の側面ばかり見ていたことに気づくことができ、かなり気持ちが楽になりました。
▶ 会社で管理職をしているため、全体の会議で発言することが多いですが、業務の滞りを自分の部署のせいにされたり、自分たちの仕事が認められないことがこのところ続いていました。このことにより、私自身以外に周囲の人間も委縮しているような感じで、状況としては悪いと感じていました。また、犯人捜しをする会社の空気感の中で、ある一人の部長から理不尽な戦犯扱いされることがありました。受けた後は、なぜか社長から褒められたり、会議で戦犯扱いしてきた部長からまたもキラーパスを投げられてもうまくかわせたりしました。なぜか戦犯扱いするその部長からも「頼むね」というような、仲間っぽい扱いでの声がけをいただきました。
▶ 散々利用された相手に、勇気を出してノーを宣言したら、悪者に仕立てあげられてしまい、とても苦しい思いをした。しかし、今は相手を自分とは違う別次元の存在に感じ、心がとても穏やかになった。
▶ 親によく〇〇できないから迷惑をかけるな。という事で一方的にそんなことで??というクレームをうけて悲しくなるのですが。今回はかなり冷静に、それって本当にそんなに大事なこと??私そんなに悪くない気がする?って感情がうごかず、たんたんと唯の相手の希望として聞けるようになりました。
▶ 受ける前は自分が被害者意識を持ってる事に気づいていてそれを何とかする為に色々頑張っていたが、受けてみたら実は悪くないのに加害者にされて攻撃され続けていた事の方がかなり多い事に気付いた。あぁ、私加害者にされて傷ついてたんだね…としみじみ思った。全然意識に無かったので気付けて良かった。
▶ 相手を責める前に、ふふって笑いが出てきて、不思議と責める気持ちがなくなってくる。そして、何かあってもふ~んって感じになりあまり相手を気にならなくなった。
▶ これもまさに、渦中なので、シャンティヴェーダを受ける前と、後で明確な違いがわかるほどではないのですが、自分が被害者だと思っていた人から、私自身が加害者であるような扱いを受けた時、怒り、というよりは、脱力に近い気持ちになっています。
▶ こちらの意見を聞いてもらえず一方的に非難された事があり、相手の事を許せない気持ちがあったがそういった気持ちがなくなった。
▶ 他人から加害者にされてとても傷ついて全力で真実を訴えたことがあり、思い出すだけで嫌な気持ちになる事柄について、あんなに感情的にならなくても、ただ「全然違いますよ?」と言えばよかったことなのではないか?とシンプルに思えるようになった。多分相手を許し、加害者に仕立て上げられた自分も許せたんだと思います。
▶ 前のグループリーダーとも相性が合いませんでしたが、もう過去の話だなと思うようになりました。
▶ 加害者になろうとしてなった訳じゃないことの方が印象深いせいか、数も多いように思います。その場合、表向きは怒りを表したとしても、内状は悲しみ等を抱いて傷ついていました。施術後は、こちらも第三者的に見ていられる度合いが増しています。加害者に陥った自分自身に対しては、その過程に共感を寄せられ、誰が、何が悪いという見方に固定されなくなっているようです。
▶ 被害者意識が強い家族に対して、前まではそれがストレスになることがあったけれど、相手が抱えている心の不安や恐れを大きな愛で包み込めるようになりました。また、自分のなかにあった罪悪感が癒されました。
▶ めんどくさい相手やこじらせ女子も、自分にもあったんだなぁと思っています。そんな方たちに、ただ求められているんだなぁ、ありがたいなぁと思うようになりました。責められている感覚がなくなったのかも知れません。淡々とお話しを聞けるようになりました。
▶ 今までより怒りや悲しみを感じることが少なくなりました。
▶ いつでも自分が悪いような気がしていました。存在していることが誰かの迷惑であったり、行動や発言することに対しても誰かを傷つけるのではないかという恐れがありました。シャンティヴェーダを受けてから、子どもの行動を加害者扱いされることがあり、育てている私が悪いからだと責められているような加害者の気持ちと、そんなあなたが可愛そうだと被害者としても扱われるような体験があり、それはただ相手が自分を正当化してるだけな気がして変な気分になりました。今までもそんなことがありましたが、気が付かないところで随分悲しかったことに気が付きました。私は被害者意識が強いのかと思っていましたが、同じように加害者意識も強かったことが意外な驚きでした。
▶ 加害者意識は、あまり蘇ってこなかったが(日常的過ぎるのかもしれない笑)、自分が加害者として周りの人達に迷惑をかけていたとしても許されるような感じがした。
▶ 気にならなくなっています。そんなことが確かにあったなと、受け止められるようになりました。例えば相手が今も被害者意識で居て、責めたい気持ちでいたとしても、そうなんだなぁ、相手はそうなんだなぁと分けられるようにも思います。
▶ 夫に対して、被害者意識と同時に加害者意識もありました。それがなくなったように思います。私が、ジャッジしているのではなく、ただそうじゃないと言ったことが、かえって夫の自己否定に繋がったり、ストレスになるたびに、自分の言い方が悪いのかな、言わなくてもいいことを言っているのかなと思うのですが、シャンティヴェーダを受けた後は、フラットに対等に過去の出来事を振り替えることができます。
▶ 人から加害者扱いをされた記憶はあまり思い浮かばないのですが、子どもの頃から常に自分で自分を「お前は加害者だ」と糾弾する声がついてまわっていました。他者からも加害者とジャッジされてしまうことを極度に恐れ、あらゆる言動に制限をかけ続けていました。シャンティヴェーダ施術後、今までは自分が感じたことは無視し、ひたすら聞き役に徹していたような場面で自分の意見がポロっと出ることがありました。人を不快にさせてしまったらどうしよう、加害者になってしまったらどうしよう、という意識そのものが薄らぎ、コントロールを手放そうとしている感じがあります。
▶ 現在で加害者扱いをされそうになったとき、助け舟が入った。
▶ よくあることだが仕事上、行き届かないことがあると多くの部署で対応していても、力のない部署に責任をなすりつけられることがある。完全に許せるわけではないが、以前より客観的に見られるようになった。
▶ 加害者にさせられてる…加害者になってしまっている…という現実が被害者意識を脱却していこうとすればするほど目の前に現れてくるのを感じていました。被害者もやっていたけど加害者も沢山やってきたなぁ…って過去の体験もかなり思い出しました。何もしてないのに…みんなで笑いたいだけなのに…あたしがいけないなんて…なんて絶望している私を沢山思い出しました。でも、不思議と許せるんです。加害者にしてきた相手が被害者で苦しんでる私だと思えるようになったので、同じなんだね?じゃあ…ま、いっか。になってきました。完全に受け入れたりはまだできませんし、こちらから歩みよるなんて状態にもなれませんがそうなんだ…そういう事だったんだね?って所に居ます。
▶ 職場に自分の立場を守る為にいつも悪者(加害者)探しをしていると感じる人がいて、私もその的になった事があり、今まではその人に対して「あんな生き方はしたくない」とジャッジしたり嫌悪感が強かったですが、「あの人はそれをしたいんだな」くらいで特に何も思わなくなりました。
▶ 強烈な加害者という位置付けにされた過去があります。今は、乗り越えていたと思い、友人という立ち位置ではありますが、だんだんと波長が違ってきています。お互いにそろそろ卒業なのかな?と。そんなことを思えるようになりました。
▶ 前の会社にいた時、自分の行動が遅く、覚えも悪いために、いつも怒られたりいじめのようなこともされていて、そのことを思うと、心臓が速くなるのがわかるくらい、緊張して逃げ出したくなっていました。今は、やはりその時を思うと、いやな気持ちは少し残っていますが、だいぶ客観的に見れるようになってきました。
▶ どんなに一生懸命尽くしても、正直に接したとしても、都合が悪くなったり、正当化したいときに人は平気で手のひらを返したり責めたりしてくると思っていました。実際そういう事をしてきた人とは距離をとるようにはしていますが、赦せない!悲しい!二度と信用しない!などの気持ちは確実に薄れたように思います。今後関わるかどうかはわかりませんが、やはり思い出す回数が減り、思い出してもネガティブな感情にはなりにくくなりました。
▶ 被害者意識が強い人間が側にいることで、責任をなすりつけられた経験があったり責任を過剰に取らされてしまった経験があったり、濡れ衣を着せられたことがあるとそうした加害者という体験にとても傷ついてしまう。まさしく、パターンのようにこれまで何度も傷ついてきました。大切に思い心底心を寄せていた人から加害者にされる経験の繰り返しは、いつしか怖れとなり引きこもるように自分を閉ざすようになりました。これも、自分の中の加害者意識と共鳴したから起きたことと頭で理解できてもゆるすことが出来ず、記憶のスイッチが押されるような出来事があると、怒りがとまらなくなることもありました。施術のあとは、不思議にその出来事にまとわりつく被害者としての憤りを手放せている気がします。
▶ 今までは、「過ぎたことだから」とか、「相手にも事情があったんだ」など、なんとか自分を納得させようとしていましたが、施術後(無料LOVINGも含めて)、そのことに関して思い出すこと自体、なくなっています。今無理やり思い出した感じです。
▶ 加害者にされた相手に対して、以前は、あの時、ああしてくれたら良かったのに。など思うことがありましたが、何とも思わなくなりました。
▶ 私は圧倒的に被害者としての自分を意識しております。被害者になったと感じてイライラしていたことがあったけれど、思い出しても、すぐにほかのエネルギーに相殺されて消えて無くなるような心地を感じました。
▶ これも、いつの間にか気にならなくなってました。
▶ 息子から常に責められていましたが、私の想いが変わったおかげか責められるのが減りましたし、彼に対してイライラすることも減り一緒に遊ぼうと言われても嫌な気持ちになるのが減りました。以前は息子といるのは全て義務と感じ嫌々ながらが多かったのですが、今は一緒にいて楽しいと感じるよにもなりました。
▶ 目立ちやすいのと、多くを語らず、反論しないといつの間にか加害者になってしまうことがありましたが、自分は悪くないと取り合わず深い悲しみがありましたが、逃げずに自分の意見を丁寧に伝える事で誤解が解けてゆく感覚を初めて感じました。
▶ 被害者意識の強い人から加害者のように扱われ、重くのしかかっていた「人を幸せにしなければならない」という罪悪感のような苦しさが溶けていっている感じがします。
▶ あまり自分を加害者だと思ったことがなかったのかもしれません。この2極の世界で生きていれば、見方によってはもちろん自分も加害者になるはずなのに。だから罪悪感を発生させて、「許してくれますよね?」「自分に非があることなんてはじめから分かっていますよ!」という態度でバランスを取っていたのかも。
▶ 加害者になりそうになった時、先に被害者になって相手の責任だと押し付けていました。とにかく責められるのが嫌で、こうして逃げ道を作っていました。被害者意識が湧くときは、ほとんどこのパターンのような気がします。恋愛でも、自分から振っておきながら、「あなたに振られた。あなたが悪い」って言っていました。今となっては恥ずかしいです。
▶ 他者に責められるという事が多少なりともあり、それはある意味学びではあったが、思い出すと嫌な気持ちになることもあった。それが軽減し「ただの体験であった、もうそこに捉われるのは止めよう」と思うようになった。また依存心(嫌われたくないというような)が減ったと思う。人は人、意見が違うこともあるという感覚が強まった。
▶ いつも被害者になっていたというか被害者に自らなり可哀想な私を演じてきたような気がします。なので加害者で思い浮かぶのは子供の頃は自分より弱いと思った子を揶揄ったりしてきました。自分を強く見せようとしていた様に思います。今はそんな自分も仕方なかったと思えます。
▶ 加害者に決めつけられても、分かってくれる人は分かってくれるし、向こうの問題も大きいのだと感じる事ができました。火の粉はこちらには散らさないで欲しいとは思います。親のやったことは許せないけれど、許せないと思っている事に気づけました。少しずつ、小さい頃の酷かった時期の記憶がなかったのが、思い出せるようになってきました。
▶ 幼少期から加害者に仕立てられることや、濡れ衣を着せられることが多かった気がする。そのために他人への不信感、警戒心、自分しか信じられない、が強く生きてきたが、そういった警戒心や自己防衛が解けてきたと思える。
▶ 昔を思い馳せるけれど、あれは嫌だったな~と自分を感じるだけで終わる。誰かがムカつくとか、ゆるせない、とかは出てこないです。
▶ 自分の意識していない状態でも他人にとって加害者になっているのだということに気づきました。自分が加害者になる場合、元になる感情に『怒り』があると思うのですが、不思議と以前ほど怒りが湧かないというか、相手の事情を考えて納得してしまい怒りまで行かない感じがしています。
▶ 以前は思い出す度に涙が出そうな位に落ち込んでいましたが、ただの出来事として捉えられています。しつこく残っていた悲しみや憎しみが抜け落ちた感じがします。
▶ 仕事上お互いにそれぞれの立場や事情で避けられなかった事で、相手から責められ、取引停止かというところまでいった案件が数年前にあり、なんとかそれも終わって一応和解という形をとったものの、安くはない損害額を被った事や相手から投げつけられた言葉などを思い出すと腹の立つ思いがずっと消えなかったのですが、今はただ事実としてそういう事があったという事だけ受け止めて終わっている感じになっています。
▶ 濡れ衣を着せられていた事。発端が先人なのに、今起きていることは私のせいと加害者にさせられていた事。受けた後そんなこともあったっけ。と過去形になっている自分がいます。全ての事柄に対してそうかと思えるかは今後も見ていかないとわからないけど、この施術を受けてからは楽になっているのが感覚でわかります。もう良いんだ、終わったことだからと思えるようになっています。過去に受けた忘れていた事が記憶がたくさん蘇ってきている最中。被害者意識で出来なかった事は、何だろうと気持ちにゆとりが出来てきている様にも思います。
▶ 加害者扱いも、さんざんありました。そのため、何か事の行き違いなどが起こると、責められるのではないかと恐怖が湧いてきてしまいます。この感情が無くなったわけではありませんが、湧いてきても落ち着いて感じていられるようになってきました。親が被害者意識がとても強く、自分の都合のいいように事実を歪めて、私を責めてきていました。その度にあまりにもの歪め具合に驚きながら、怒りや恨みの気持ちを持ちながら頭であらゆることを考える癖がついてしまったように思います。まだ赦せるというところまできておりませんが、残念な人だなと思い、自分は自分の意識に目を向けられるようになってきたと思います。
▶ 昨日も被害者意識の強い親戚から怒りの電話が来たが、客観的に眺めることができた。それに対して力んで挑むこともなく、だからといって斜に構えてひきすぎることもなく、ただただ眺めるだけができるようになった。
▶ 10〜20代の頃、母から人に対する配慮がないと指摘され、そのせいで不快な思いをすると言われていたことや、元配偶者に一点だけ気をつけて欲しいと言ったことに対して「完璧を求めて責めている」と度々言われていたため、発言をためらい逐一自分の行動を確かめて罪悪感を覚えていたが、バッシングに対する恐怖が減り、ためらいが軽くなって表現が容易になった。
▶ 私が若い頃母親に、おまえがネックレスを盗んだと濡れ衣を着せられた事がありました。今その事を思い出しても当時のような激しい復讐心のような感情はわかなくなりました。被害者意識と被害妄想が強烈な母親と一緒にいただけだったんだなーと、冷静に捉えられるようになり、過ぎ去ったただの出来事になり、楽になりました。
▶ 濡れ衣を着せられて納得いかないと思う事は相変わらずあるけど、その怒りや悲しみを誰かに分かってもらいたいと思わなくなった。赦せるという所までは至ってないけど、"加害者""被害者"という事にこだわりがなくなった。
▶ 過去加害者体験談をしてしまった自分を受け入れて許せるようになった。
▶ 加害者扱いを受けた事があったけれども、気にならなくなりました。また、加害者扱いをした相手へ何も思わなくなっています。
▶ 母親が被害者意識の強い人間だと思います。幼少期は過剰に自責や後悔をさせられていたと思います。現在は同居していませんが、ワーク後は母との距離感を取りやすくなってきた気がします。
▶ 今まで人へひどいことをしてしまった罪悪感が浮上してきて後悔が湧き上がりましたがワークの後は落ち着いています。
▶ あなたが悪いと責められ迷惑をかけることへの恐れがありましたが、迷惑をかけてもいい、強迫的に捉える必要はないと思えるようになりました。
▶ 幼いころ家庭内で「お前のせいで・ ・ ・」「あなたがいけないよ・ ・ ・ 」と言われたことがずっと頭の片隅にこびりついていました。そして、いつしか「私がいけないんだ」「私がおかしくしている原因なんだ」と自分は誰かを傷つける、有害な存在なのだと思い込んで生きてきました。だから、加害者(有害な者)の私は幸せになっちゃいけないし、償わなければいけないと心の奥底で信じていましたし、職場や対人関係でトラブルがあるといつも自分を責めて居場所を作れないと諦めていました。でも、受けた後の今では「あれ?あの人たち(親・上司・ 先生・ 知人)はなんて言っていたんだっけ?」「ん?私は有害じゃないよね。むしろ、愛だよね?!」みたいに思えるようになりました。思い出すのも一苦労になりました。ですので、相手の方々に対しても受ける前のような憎悪感を抱くことがかなり減りました。加害者(有害な私)に対しても特別、感情が揺れなくなったと思います。
▶ 傷ついた感覚はまだのこってますが、だいぶ軽くなっていると思います。
▶ 相手を赦せるようになった。気にならなくなった。ここにエネルギーを注いでいるのがもったいない、もういいやー、と手放すことができた。
▶ 全て自分以外に原因があると言う思考の部下がおり、対応するたびに、嫌な思いがありましたが、その人をなんとかしよう(成長させよう、気づかせよう)という気持ちを私が持つ必要は特にない、と気づきました。必要最低限な接触でまわるような体制を作ることを選択することに罪悪感を感じなくなりました。
▶ 小学生の時に数回、高校生の時に1回加害者体験があって、思い出すと胸が締め付けられる思いになっていましたが、施術後は今にも忘れてしまいそうな、ぼやけた記憶になりました。
▶ 以前、私の選択した行動に関して、相手は私を加害者だと感じているとわかり、悲しかったことがありました。でも、施術後、そのことを振り返って感じてみると、『相手が私を加害者として認識することと、私自身が本当に加害者であるかどうか』はまるで別のことなのだという、思考レベルを超えた深い理解が生まれ、癒しが起こりました。
▶ 昔からかわいそうだと思われたくない、被害者にはなりたくないと思っていました。なので被害者になるような経験は少ないと思いますが、かわりに加害者になっていたのかもしれません。「私のせいにしないで」とよく思っていました。これは自分のせいにされそうだという被害者意識なのでしょうか?(すみません、わからなくなってきました) でも実際に「お前のせいだ」と言われる事も多く、理不尽さに腹を立てながらも、自分の言動を省みて落ち込んだりもしていました。今これを書いていて、悲しい気持ちになってきました。。こちらの課題はまだ多いということでしょうか。。
▶ 思い出すと、加害者に仕立てられて傷つくとか面白くないというのはあっても、これは向こうに弱さがあって、ああいうふうにしかできなかったんだなぁとして、そこまで深くとらわれなくなったように思います。
▶ 辛いことを会社のせいにしていたが、誰かのせいにして自分の人生を歩まずにいることをやめようと思えた。
▶ 一方的に相手を責めていましたが、相手の優しさや弱さも感じられるようになりました。

3.被害者と加害者のメカニズムについての質問です。シャンティヴェーダの大きな特徴として、被害者と加害者のメカニズムの叡智伝授が行われています。被害者と加害者について叡智レベルでメカニズムごとの理解がないと『どうして こんなことが起こったの?』『何故こんな目に合わないとならないの?』というように、自分の中でモヤモヤと、何故こんなことが起こったのだろうかという疑問や自分自身がこの体験をしなければならなかった不満が湧いてきますが、シャンティヴェーダをお受けになられると、メカニズムが伝授されますから『何故』『どうして』といったような疑問が湧かなくなることが期待されます。シャンティヴェーダを受ける前と後で、被害者加害者のご自身の体験についての疑問はどのように変化しましたか?

▶ 恨みの気持ちが減り、相手を受け入れられるようになりました。
▶ 自分ばっかり、、というのが口癖だったのだが、誰かを加害者にしたり被害者になったりという枠を越えて、どうしたらよいか?という視点で考えられている。
▶ 被害者加害者を、メカニズムのようなものとして、ああこういうものなんだなと、善し悪しを超えて納得したような部分があり、どちらが正しいというようなドラマや責めるエネルギーに以前のように浸らなくてすむようになりました。
▶ 過去の悲しい出来事について、「なんでこんな目にあわなければならないの」と思っていたことが、起こるべくして起こったと素直に受け止める事ができるようになりました。今では何な疑問も沸かず、その出来事でさえ悲しいものとは思わなくなりました。
▶ 外側の出来事に対して、その体験に不満を感じながら「なぜ」「どうして」という疑問を持つことはなくなりました。起こる現実の全てが自分の創造であるという認識が深まりました。
▶ 施術前は、どうせまた、加害者にされるだろうし、相手を被害者にするだろうし、何度も繰り返し、もういいと思っても起こらない確証がないので、諦めてました。特に加害者になってしまうこと、相手を被害者にさせてしまうことが恐かったです。奇妙な出来事が起こる不調和の兆しを感じていても、防ぎようがなく、ただ出来事が起こって、現実的に表面的に謝罪する、謝罪される行動に持っていくしかなく、悲しく、絶望でした。結局、周りは誰もしてくれない、被害者なのに責任転嫁され自分が全部背負って受けとめて流していくしかなく、そのプロセスが犠牲的で悲しく、これが人生なのかと思ってました。繰り返すので、自分が引き起こしてる自覚はありましたが、終わりがないので感覚がフリーズしてました。今は、クリアな感じがします。
▶ 前はなんでこんなことをされなきゃいけないの?冗談じゃない!という怒りがあったけど今は何にも思わなくなってしまった。
▶ 辛い思いをしたときに、頭の中でずっとずっと考えていました。「なぜこんな風にしてしまったのだろう」「なぜあの人はあんなことを言ったんだろう」「この出来事はどういう意味なんだろう」「なんでなんで?どうしてどうして?」と四六時中、頭の中を駆け巡っていてとても疲弊していました。受けた後は、まだちょっと考えますがその時間はぐっと減りましたし、最後には「いや起きたから起きたんだよな~。(終わり)」のように感じられるようになったかな、と思います。
▶ なぜ私がこんな目に遭わないといけないの?理不尽。なぜなぜ?という理由を探す思いが浮かばなくなりました。すごいですね!
▶ 自分のどんな部分が映し出してたのだろうと俯瞰して物事をみている自分がいます。
▶ 過去にあった出来事に対して、何も思わなくなってきました。
▶ 起こった出来事に対して解決出来ない自分を責めてイライラしていたことがなくなった。
▶ そういえば3か月前までは仕事で酷く被害者の状況にいたなぁ、なんで自分がこんな扱いを受けなければならないのかと日々怒りに直面していたが今となってはそれも忘れていたほど、気にならなくなっている。
▶ 起こった出来事に対して、ただそういう事があったと思うだけになった。加害者、被害者という発想が出なくなった。
▶ あ、この人は私に加害者をふっかけてきているな、と分かるようになり冷静に捉えられるようになりました。とても大きな進化です。以前の私だったら、そこで勝手に傷ついて責任を背負わされてしまっていました。やりたくなくても加害者にされてしまう。何で私ばっかりそんな役目なのと世界を恨んだこともありました。色々エネルギーレベルで解放し続けているのもありますが、私は加害者も被害者も選ばないという新たな選択肢が出来たんだと思いました。
▶ 長い間恨みをかって、不当な扱いを受けていたことに対し、私は被害者意識と不満を抱いていたが、憤りはだいぶ少なくなり、実は逆に相手に長く被害者意識があり、加害者意識はなかったということがわかった。また自分が自分を信頼していないから、そうしたことが起きるということにも気づけた。疑問が起こる代わりに、他責も自責もなく、淡々と事実が見えてくるようになっていると感じる。
▶ なぜ、どうして、を考えることで時間を止めて被害者のままでいることができたんだと今では思う。ただ事実が起きていてそれに対してやることがあったら対応していくだけ、になった。もし今何もできなくても自分や他人を責めることもなくなりゆっくり待てるようになってきている感じ。
▶ ある意味、なぜこんな事が?は、直ぐに、どうすれば解決する方になる?現状をプラスに方向転換しとらえるようになっています。被害者になるような気持ち、心揺さぶられなくなっている感じ。
▶ 最近ネット上での炎上案件などを見ると、かなりひどい話なども多く、以前であれば自分の事ではないのに自分まで引きずられてその被害に遭ったような気分になってもやもやしていた事もありましたが、『発想や目指す所は素晴らしいはずなのに、加害者、被害者、復讐が絡むと話がずれていくんだな』等最近はだいぶ冷静に見られるようになってきて引きずられることがなくなってきました。
▶ 自分にしつこくまとわりついていた、傷付いた記憶自体がなくなって、フラットに見られている事に気がつきました!
▶ 以前はいちいち『何故こうなるの?何故私がこうしなくちゃいけないの?』と、納得出来なくて怒りとなっていたと思うのですが、最近は以前だったら怒っていたようなことでも、どうしてそうなってしまったのか相手の事情なども頭にはいってきて納得できてしまいます。以前は納得できる理由があっても相手を許すことができず、『納得したくない』気持ちで怒っていたこともあったと気づきました。
▶ すごく受け止めきれないことがあって、ずっと外側のせいにしていたことがありましたが、シャンティヴェーダを受けた後、そう思わなくなりました。
▶ グルグルと、自分が悪いからいじめられたのではないか、言動がいけなかったのではないか、とか考え込んでしまってましたが、今は起こるべくして起こったししょうがないのだろうと悪いグルグルループから抜け出せました。
▶ 疑問に思ったりは無くなっています。ただ仕方なかったんだろうなという思いです。
▶ 起こった出来事の意味をあまり考えなくなったと思う。出来事によっては自分の内面、感情を見る必要はあったと思うが、解消した方がよいと気づいたものにはただ取り組めばよく、必要以上に問題視したり、意味を考えすぎなくてよいと思った。これまでより、出来事を淡々と受け止めていけるように思う。
▶ ある人との関係で謝って欲しいという思いが残っていましたが、無くなりました。相手が悪いわけでもないのに、傷ついた痛みを忘れたくなかったのだと思います。
▶ 問題の奥底に隠れている「学び」や「愛」の部分を見たいと思えるようになりました。わたしばかり辛い、悲しい、苦しいという気持ちにフォーカスするのが得意でしたが、自分が知覚できていない核の部分があるのだろうなと。
▶ シャンティヴェーダを受けた後、今までなら大変な事が起きた!なぜ私がこれを体験する必要があるんだ?と感情と思考が入り乱れ非常に疲れてしまうような事が実家で起きたのですが、驚くほど私は私で在る事には変わらないという立ち位置から関わる事ができ、ブレにくさをより一層感じています。
▶ たしかに、現実では、対象の事柄があったり、対象の人間関係があったり、対象のその時の思いや感情があったりすると思うのですが、結局、自分の内側にあるものが、現実として現れる、、 ということを採用すれば、自分の内側をよくよく内観できること、その内側にあるものを観察してみること、その内側の思いや感情に向き合うことが大切だということは、頭ではわかるというか知っていましたが、自分ではどうしていいのか?自分でどうすることもできないジレンマに陥っていました。自分を癒すことが大切だとわかっていても、自分の力ではどうすることもできない。
▶ 人に頼ってヒーリングを受けることは、依存でしかないのではないか?と、言われたこともありましたが、今回、LOVINGを受けさせていただいて、さかのぼれば、約1年LOVINGを受けさせていただいて、一番しんどかった、底の底にやっと、たどり着いた気がしています。自分を愛すること、怖れではなく愛を原動力に創造することの大切さを知っていても、自分ではどうすることもできなかったら、知っているが故のジレンマや苦しみがあったように感じます。だからこそ、何かが流れ始めた気がして、心が軽くなった、体が軽くなったと感じれることに感謝しています。希望が見えました。
▶ 相手の出方に反応する受身でしたので、何故どうして?と僻み根性が根深かったですが、自分がはっきりしてきて、能動的になっただけで、不満や不安や僻み根性がなくなってしまいました。
▶ 原因が気にならなくなり原因究明をしなくなったように思えます。誰かのせいにすることも減り、それぞれ理由があってのこと、感じ方は皆違うと思うようになり、良い意味での仕方ないと捉えるようになっています。
▶ 疑問が湧かなくなって楽になった感じです。
▶ 被害者加害者としての自分は、だいぶ気にならなくなりました。なぜそれが起こったのか?と思うことが多かったけれど、ただそれが起こったんだと昔よりニュートラルに思えるようになりました。
▶ 以前は、なぜ、こんなことが起こったんだろう。自分の何が悪かったんだろう。等と考えたりしていましたが、考えなくなった気がします。
▶ 「何故」「どうして」と自分で辻つま合わせをすることがなくなり大変ラクです。
▶ 被害者と加害者のメカニズムは、理解できていたつもりでいたけれど、自分の手に負えない大きなものから脱却できる方法はわかりませんでした。そう、私は自分と世界を恨んでいたのだろうと思います。今、自分が観てる世界が愛の世界であることがわかります。これからの人生がどのように変わっていくのかが楽しみになりました。
▶ すごく考え込む癖があり、なぜ?どうして?腑に落ちる答えが欲しい!と思い考え続けてしまっていたのですが、思い出す回数が減ったり、相手も苦しかった、自分も苦しかった、でもそれだけ心許していたという事なのかもしれないと穏やかな気持ちになれています。
▶ なぜ、こんなことが起こるのかという思い、なくなりました。
▶ 仲の良かった親友に子供の事を言われた事がどうしてこんなふうになったのだろう?とも思っていたのですが、それも思わなくなりました。
▶ ここについては、何かぽっかりと抜け落ちた感覚です。
▶ 理由を深く考えるよりも、ただ被害者、加害者を経験したい自分や他者がいるんだなと感じるようになりました。
▶ 加害者にさせられてる!という怒りを沢山持っていました。なんで私ばっかり責められなくちゃいけないの?全部私の責任なの?とかそんな状態でした。どうして協力してくれないの?どうして教えてくれないの?意地悪しないでよー!って怒りを沢山抱えていたんです。それがワーク後でも、被害者でいる方が楽だって感じてるからなんだよね?って理解できたらさて、どうしよう?に意識が向かい始めました。そこで、やっと私のいけなかったところも受け入れられるようになっていってる所です。みんな同じなんだから、みんなで協力すれば良いって感じはじめてます。まだ、抵抗する場面もありますのでキレイさっぱり終わった感なんか全然ありませんし何をどうすれば良いのかなんてまったくわかりませんけど…それでも、大丈夫!って感じてるのが不思議です。加害者も、被害者も全く同じなんだ!がわかったからだと思います。どっちの側の私も嫌なんだけどどうしてもそうなってしまう自分が嫌だったからだから私はこのワークを受けたんだ。そう感じられただけで、今は精一杯です。
▶ 家族間のことは、状況からしてやむを得ないこともあったと思えるようになった。また自分も、仕方ないことを八つ当たりして無駄に相手のせいにしていたことに気づいた。(改善できることは、既に数年前から改善済)
▶ 起こった出来事に対しての疑問が以前よりは無くなったと思う。どうしてこんな出来事が起こるのと恨んでいたことも以前よりはなくなったと思う。
▶ 全てがその瞬間、瞬間、必然で完璧に起こっているということが理解できるようになりました。個人的な都合でジャッジすると、願っていたこと、願っていないことがあっても、様々な因縁、縁起の中で起こったとわかり、原因を探さなくともよくなったり、加害者被害者のジャッジも気にならなくなりました。
▶ 過去の体験を、メカニズムの叡智が入った映像で見ることができ、そうだったんだなぁと疑問や不満もなく受け入れられました。なるほどなぁ、そういうことかぁ、そうだったんだね、と理解でき腑に落ちた感覚です。
▶ 被害者と加害者のメカニズムの叡智伝授をありがとうございます。あや先生の論理的な研究のお蔭で、恩恵を頂き感謝致します。被害者意識が強いなぁと自分でもどうしようもなく、被害者意識が強いことで周りの人達へ迷惑をかけないように注意していないといけませんでしたが、(例えば本が手元にないけど、誰かに貸したから、とか)今後は「もしかしたら」という被害者意識が消えて、平安に暮らせると安心しています。2回目もよろしくお願い致します。
▶ 前回の仕事で、なんで自分はこのような目に合うのだろう、、、と不思議さ恐怖とトラウマから、仕事、集団、組織に対して恐れが渦巻き、冷静に物事を見ることができなくなっていました。誰かを傷付けるつもりが無く被害者意識でいた中でも、私の中で無意識で人をあざ笑い馬鹿にしていたことを客観視し、受け止めることができるようになりました。そのようにして精神のバランスを取ろうとしていたことや、自分もその世界の一員であったことが理解でき、経験や気付きの一つとしてそれが起こったと思えるようになりました。全然癒えなかったのですが、感情が揺れなくなってきているのは大きな癒しが起こっているからなのだと思います。
▶ 被害者、加害者とも「無限の創造力を持つ」という所から外れたからやる/やられるのループにはまったのかなと思いました。今はそういう人がいても、その人はその世界に生きているのだから、と少し離れた視点で見る事が出来るようになりました。少し前までの自分は、職場で、少しの事で戦々恐々としてたのです。やられる!という強い思い込みがあったのだと今ではわかります。また、今となってはそう思う事がなくなっているので、仕事場に行くのが嫌でなくなりました!感謝です!!!!
▶ 何が原因なのか深追いしなくなりました。ぐるぐる考えずに済むのでとても楽です。施術前後の変化に大変驚いています。
▶ 目の前にいる人を、そのまま見れるようになりました。被害者加害者になる事を恐れていたんだなぁと思いました。
▶ 自分の身に起こるあらゆる出来事に対して、あぁ今自分は被害者意識でいるなぁとか、今、加害者にさせられているなぁとか気づくようになり、自分で意識的にその設定を解消することができるようになりました。
▶ 上司と相性が合わない、その下の人とは合う環境も 意味があるのかなと思います。けど、イヤなことはイヤでいいんだとも思います。
▶ 無意識であったとしても、状況によりなぜいちいち加害者になったり被害者になってみたりしたのか、よくわからなくなりました。
▶ 自分が被害者であった時に、何もできなかった自分を認める事ができるようになった。
▶ なぜこれが起きたのか分からない、という気持ちから、「自分ごと」に考えられるようになりました。不可抗力にみえて、悔しくて仕方ないことも、全ては自分に起因するというか、それでも自分を責めるという感覚ではなく「あー、だから私はこれを体験しなければならなかったんだなぁ」という感覚です。
▶ 起こった出来事を、するすると受け入れやすくなってる。物事に対して温かい気持ちがある。
▶ すべてが忘却となって、被害者だったときの強烈な実感がわかなくなりました。しつこくあった恐怖を手放せたと感じます。
▶ 以前は確かに何で私ばっかりこんな目に合うの?とか何もしてないのに何で?と思っていたが、今はこの部分については全く気にならない。
▶ なんとなく、全て必要だったんだろうね。という想いはもとからあるほうですが、頭の中にすら上がってこなくなりました。
▶ これまでは、どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか、どうしてこんな人生を選んで生まれてきたのか、と自分自身を恨みがましく思っていた。多くのことを体験するため、と言われても、どうしても納得できなかったのだが、施術後、不思議なくらいすとんと腑に落ちてスッキリしている。全てが過去になった気がする。
▶ フルタイムの仕事が夫よりももともと忙しく、それに加えて家事育児の負担も自分に重くかかるため、どうして私ばかりがこんなにしんどいんだろうかと夫を責める気持ちがときどき吹き荒れていました。でも、なぜか気にならないなと感じるようになり、逆に、夫が料理を作って片付けもしてくれました。
▶ 気がつくと加害者になっていたことが多かったと思います。理不尽だと思っていましたが、今なら「あぁ、怖かったんだな」とニュートラルな視点で見ることができます。同じ土俵に立っていたから加害者被害者が成り立ってしまっていたんですね。とても大きな気づきでした。
▶ 自分が被害者意識や依存があって起こしていたこととして受け止めることができたし、以前なら何故どうしてと嘆いたことも、淡々と受け止めることができた。自分には力がないと思い込んで生きていたことも知れた。
▶ 自分がなぜ、このような体験をするのかと思っていました。きっと自分が選んだことだと納得している感じは少しあります。
▶ そもそも「許す」「許さない」ということそのものが無いと感じるようになりました。ただ経験があったという事実だけが目の前にあります。そして、加害と被害という二極の学びはもう終わるのだという夜明けのような確信が得られました。

4.被害者と加害者というもの自体についての印象についての質問です。シャンティヴェーダをお受けになられると、ご自身のことはもちろん、世の中で行われている被害者加害者全体に対しての印象が変わります。例えば、被害者になる人間は弱い人間だとか、被害者である自分を強く嫌って否定しているなどです。シャンティヴェーダを受ける前と後で、被害者と加害者というもの自体の印象はどのように変化しましたか?

▶ まず、被害者であった自分を見つけられた。意識にも昇ってなくて、自覚してないところから自覚できるようになって、それが弱いとかダメだとかを思うこともなくニュートラルにただ、そうだった、というところに立てた。
▶ いつ自分が加害者、被害者というくくりが薄くなった気がします。
▶ 自分の思い込みで、誰もが簡単に無意識に作り上げてしまう怖さを感じました。ワークを受けて、それが客観的に分かったので、これから色々と変われそうです。
▶ 自分自身が加害者にも被害者にもなってきていたことを受け入れられました。自分が被害者だと思うあまり加害者になっていた場合もあったことや、自分に攻撃してくる人に対してもその人自身が「自分は被害者だ」と思っていることがわかりました。
▶ 被害者も加害者も、人間の心の弱さが生むものだと思った。みんな自分を守ることに一生懸命なんだなあと。ちょっと哀しくなったが、これは人間の一部に過ぎないことが分かり、その裏の希望の光みたいなものも見えた。
▶ 現象と個人は別問題だということがさらに安定しました。過去に前世で殺されている相手にすら、ふーん。っていうニュートラルさがあります。
▶ 元々被害者加害者の印象を感じる暇が無いほど被害を受け続ける人生に巻き込まれていたので、やったやられた、やり返すこの繰り返しが当たり前というか被害者と加害者がいる世界が当たり前だと思っていたが、受けてから対等?というのか被害者も加害者もない世界がある。自分はそれを選ぶ。と思えた。上手く言葉に出来ないが何か良い事に気付いた気がした。
▶ 確かに、ニュートラルな印象になりました。自分はそこから抜け出した感じを実感します。すごい変化だと思います。
▶ 強く感情移入しなくなり、そういうことがあるんだな、ぐらいになった。人は人、という感じになった。何かに対して強い否定がなくなった。
▶ まだ、これに関しては、はっきり自覚出来る体感がありません。ただ、強烈に被害者でいる自分を引き剥がされているような感覚があります。
▶ 被害者にも何か悪い所があったのではという印象がなくなった。罪悪感のない加害者に対して、憤りを感じていたが、そこまでの強い気持ちは薄らいだ。
▶ 加害者は強いもの、被害者は弱いものという刷り込みがあり、状況において被害者になるわけにいかないからわざわざ自らを加害者に仕立て上げたりということまで緻密にやっていた自分に、ご苦労様と言いたいです。加害者も被害者もニュートラルになった今では何の意味もないことになってしまいました。
▶ より中立なところから、捉えられていると思います。被害者、加害者のどちらかに感情が動かされる度合いも少なくなり、偏りが減っています。加害者、被害者はラベリングにすぎず、そういう立場があるのだと思い込んでいただけだと、今は思います。
▶ ニュートラルに捉えられるようになりました。被害者に対しても、加害者に対しても、自分とは違う生きもののように扱うのではなく、みんな心に不安を抱えているんだなぁ、それは私も同じだから優しい心で接してあげようと思えるようになりました。
▶ ループを外から冷静に見れるようになりました。シンプルでいられるので、すごく軽く思考が楽になりました。
▶ とてもニュートラルな印象になりました。
▶ 被害者、加害者という立場をてこに人間は色んな事を経験しているのだと思えました。最初から強者だと経験不足から傲慢になり勝ちなんですよね。。。弱者の経験をしたからこそ、弱い立場の人のつらい気持ちがわかったり、色んな経験をして、社会人としてしっかりして自分さえよければ。。。みたいな視野の狭いところから脱却できた側面もある事がわかりました。
▶ 被害者も加害者も表裏一体であると俯瞰して眺められるようになりました。ここでも、あそこでもそれが起こっている。その中で、それが良いとか悪いとか、自分を守り、押し付けあい、正当化しあってる構造が見えるようなっている印象です。
▶ 被害者意識の強い自分を困ったと思っていましたが、もしかしたら、集合無意識からの影響もあるのかもしれない、あや先生のお蔭で、そこから脱却出来たことは私の人生において奇跡だなぁと本当にご縁に感謝しています。このまま、おばあちゃんになって、自制が効かなくなったら、、、と思うとぞっとします。ありがとうございます。
▶ すべての人が被害者加害者をやっていたんだと理解でき、感情のあやに飲み込まれずに、 ニュートラルに捉えられるような感覚になりました。
▶ トラブルやストレスの際の加害者、被害者の特定に意味を感じなくなりました。集合無意識なのかなと思うことが増えました。それが個人の考えというより、社会や国、人間、両親や先祖の考えかもしれない、ともに抱えている痛みや悲しみ、苦しみかもしれない、今回は立場が違うだけかもしれないと思ったら、責任を過剰に負うことも、負わせることもなく、とても楽になりました。ともに最善を考えていけばいいと、調和や愛の世界の可能性が見えてきたように思います。
▶ 被害者、加害者という存在はそもそも世界に無いのだということがストンと自分の中に入ってきました。ただ私たちの内側でその色を塗っているだけ。
▶ 人類全体で行っていた加害者と被害者のループにまだ決別はしきれてないと感じることもあるが、とらわれている時間は減ったと思う。
▶ 加害者も被害者も幼いという印象。しかし、自分が渦中にあると中々分からなくなる。でも今後、家庭でも仕事でも問題が起きたら、誰が正しい正しくないでなく、客観的に解決していきたいと思う。
▶ 臭いものに蓋をするとかこれを覚えて一人前とかこの登竜門を越えていくのが慣しとかそういったものこそ見直してみんなで取り組んでいけるようになったらと感じ始めています。面倒な事は起こさないように見て見ぬふりをしていくのが大人である…とか。気にしてるのに気にしないふりをして頑張るのが強い人とか。そんな概念こそ要らないんじゃないか…そんな世界を私は望んでなどいない…本当に終わってる人とか調和を願ってる人ならば臭いものに蓋なんかしないし、面倒臭い事になりそうだから見て見ぬフリをして偽物の調和を創っていくなんてしないよね?と感じ始めました。軽やかな人から学びたい…自然から学びたい…毎日の生活から掴みとりたいなぁ…って願いが湧き上がってきています。そのね、自分が体験した事を今、目の前にいる方達に伝えたい…そんな感じになり動く自分が生まれたんです。貴方は、コミュニケーションが足りないって色んな方から教えて頂いてきましたけどそんなの本当のコミュニケーションじゃないから興味が持てなかっただけなんだ…なんて感じはじめてます。本物のコミュニケーションがしたかったんだ…ってそれを望んでいたんだね?って納得できたんです。これだってね、4年前にあやさんから教えてもらってたんですけどあの当時は全然理解できませんでしたけど…それがね、やっと理解できるようになった自分になってるんです。それだけでも今は満足です。そんな世界で生きて見たいなぁ…創りたいなぁ…って感じるようになりました。
▶ 被害者、加害者が良い、悪いではなく、ただ被害者、 加害者になる事を心の深い部分で求めた自分や他者がいただけなのだと感じます。
▶ 以前から被害者と加害者の何か表裏一体のような印象はありましたが、それが府に落ちた感覚です。どれだけとらわれていたのか、、、と思いました。
▶ いじめ、親からの虐待、交通事故などの加害者と被害者のニュースは、毎日流れています。お互いに演じているだけと思うようになってきましたが、被害者の状況を聞くと可哀想だという気持ちは変わらないです。被害者が弱いとか悪いとは思いません。
▶ 被害者、加害者はただそのループの中にいただけだとわかり、悪くて弱いものとは思わなくなりました。
▶ 被害者も加害者も片方だけでは成立しない、お互いにコミュニケーションがあるから成立すると思いました。どちらかだけのせいでもなく、お互い様であり、居続けるか抜けるか、その中で学ぶこと感じられる事も沢山あると思えました。
▶ いままで被害者と加害者というものが、より強く自分の魂の課題であると思っていました。その課題の大きさに圧倒され、強い自己否定や自己価値の低さを払拭することはなかなか難しく感じていました。アヤさんがだしてくださるワークの流れは、まさしく自分のためであるように思えるのだけど、それは集団深層意識の影響をこんなにも受けているという自分への確認でもあり、パイオニアインディゴとして生きてきた私が、自分を幸せにすることに向かうための羅針盤になっています。
▶ 最近、被害者意識→自己否定で落ち込むことが、自分の心がけでは全く直せず、このままでは、年齢を重ねると、もっとひどくなるだろうと、恐怖しかなかったのですが、今はそれが忽然となくなったようです。その部分が全然機能していない感じです。
▶ 被害者、加害者に対して、感情が揺さぶられることが減ったように感じます。
▶ 被害者、加害者意識の要素が抜けると、すごくニュートラルな気持ちになりました。
▶ 被害者は弱いものという印象、加害者は悪いものという印象があったが、気にならなくなりました。ニュートラルにみれているかどうかはわかりません。
▶ 弱肉強食の世界で平和主義は損な役割だと嘆いたり、抑圧された怒りが強かったりと常に身構えていましたが、やはりセンターでいるのが私らしいしマウンティングしない自分を誇らしく思います。
▶ 自分が選んで着ている衣装なのかもしれません。お芝居を演じるための。
▶ どちらも同じでただ傷ついている部分を刺激し合っているだけと思いました。そこから抜けたら、本当に話し合うべき課題などに取り組めるのかなと思います。また、もっとみんなと仲良くなれるし他者への偏見や決めつけがなくなると思いました。
▶ 世の中を見ると、確かに被害者や加害者と見える事象は多くあるが、どちらも、そのような意識状態にあるだけで、本当はそのようなものは無い、という感じがする。
▶ 人は、被害者にも加害者にもなり得る存在なのだと客観的に見れるようになりました。どちらにもならずに自分らしくニュートラルでいる努力をしようと思いました。
▶ 本当は世の中には被害者も加害者も、弱者も強者もなく、その役目や視点を持つこと自体が本来の自分を歪めて弱めてしまうことがわかり、自分自身も、被害者加害者というラベルをつけなくては、気持ちの整理ができないという無意識に備わっていた負のループから、そういった固定の役目をもたせなくても、自分も他人も善悪含めて丸ごと受け入れていこうという、大きな視点に移行していきました。自分にも他人にも、寛容な気持ちになってきたと感じます。
▶ 被害者でいることで自分が守られると信じているために、被害者でいることを選択しているんだなぁ、と感じました。被害者でいるからといって、得するとかじゃないなと思いました。だって嫌な目にばかり合うから。
▶ 以前は、『加害者=悪くて強い、被害者=悪くなくて弱い』と思って被害者でいることを正当化していましたが、今ではどちらだけが一方的に悪い訳じゃなく、どちらかだけが正しい訳でもない、お互いの関係や行動が合わなくて、そこに解り合おうとしたり許そうとする気持ちや行動が、お互いに上手く組み合わなかったのだ、と感じるようになりました。
▶ 被害者になることで立場が弱かった自分を守ろうとしたのかな、と思います。今は被害者加害者だというもの自体がどうでも良いことで、誰かを傷つけたり自分が傷つく事に意識がフォーカスしなくなりました。
▶ 被害者、加害者の意識が絡むと話のズレや方向性がおかしくなっていく原因になるんだなと冷静に物事を見られるようになりました。
▶ 被害者と加害者は表裏一体というか、被害者が一生懸命責めてくるのも、それ自体が加害者になっているという仕組みなのかなと思いました。被害者と加害者はどちらか片方が強いというより、常に同じ割合(50/50)のように思います。結局それは終わりのないループで、自分もその一端にいるんだなと思いました。そこから離れていくように取り組みたいと思います。
▶ 被害者はずっと被害者でいることに必死なんだ、ズルイと思っていてそれに応戦していた。今は、被害者意識が強い人を見て被害を受けていることを探すことに必死だなとはまだ感じるが、それに対する嫌悪感はなくなり、ただ通り過ぎていく感じでみれるようになった。
▶ 上司や経営者の悪口を言う人々を嫌だと思う一方で、上司や経営者など責任を持たされている人を加害者的に(悪者として)見ていたが、敢えて責任を持って加害者に見える立場を選択する人はクリエイティビティを発揮しているだけで、悪口を言う人々はクリエイティビティを選択しない人々なのだと理解できた。そのためクリエイティビティを発揮することにためらいが減り、敢えて責任を引き受ける意識になり、より自由度が増したように感じている。
▶ 被害者をやってきた私も、加害者をやってしまった、やらされた私も、過去にやってしまったものはしょうがないよね。許して次いこうねと自分に対して寛大な気持ちが芽生えて来たように感じます。
▶ 加害者も被害者も表裏一体で、それを感じている人自身が一人で創り出しているものだと思うようになった。世界から与えられているものではなく、その人が一人演じて生み出しているものだと思う。
▶ 被害者は弱者、加害者は悪者という無意識の中の価値観がニュートラルな感覚になった。
▶ 被害者や加害者って、本来は無かったのではないだろうかって、思う事があります。被害者、加害者に対してネガティブな感じがしていましたが、本来の自分ではないものがくっついているイメージがしました。
▶ AYAさんのお話をきいてそういった仕組みがわかりはじめたので、自分のせいではないとニュートラルに捕らえられるようになりました。
▶ 被害者は惨めで加害者はすごく悪い人という捉え方が軽くなりました。まだ残っているので2回目でさらに減って欲しいなと思います。
▶ 私は、何かの件で私が被害者になったり、例えば辛かった、恥ずかしかった、怖かった、傷ついた等の気持ちを抱くこと自体がとてもいけないことのように感じていました。弱いふりをしているような、、、だましているような、、、 。それに、被害者ってことは私にも起因があって加害者を生むはずだから、そういう感情を抱くのはお門違いと思っていました。なので、自分を加害者にしてしまった方が楽でした。自分を否定して攻撃しまくればいいだけですから。でも今は、被害者加害者の起こるような出来事に対して、自分に関するものは「あぁ、あんなこともあったな。」「なんだっけ。よく思い出せない。でも嫌な気持ちをあの時に感じていた気がする。」くらいにしか感じなくなっています。世間で起こることにも、加害者側に対しての嫌悪感がぐっと減りました。自分に対する嫌悪感が減ったからでしょうか。被害者だから、加害者だからで判断せずに一歩引いてその出来事をただみている、そんな感じがしています。
▶ 私から見れば相手が加害者に思えるけれど、相手から見れば私が加害者なのだろうか、と思ったとき、もうそうやって責め合うのは終わりにしたい、そう思いました。
▶ 悪口ばかり言っている人に対して嫌悪感もあったけど、一緒に入って話すこともなく、無理に避けることもない、前より気にならなくなった。
▶ 施術前は、被害者はマイナスイメージで、いろんな出来事でトラウマを抱えてしまって、より被害者意識が強くなった。加害者は、優しすぎて、責任感が強くて、責任を背負わされるイメージでしたが、施術後は、シンプルな感じで、優しくてクールに観えます。ジャッジしないで、慈しみの目線で観れてる感じです。人間の集合意識での加害者と被害者だったんだとわかりました。
▶ 被害者も加害者も本当には存在せず、本質的にはどちらも同じものだというニュートラルな感覚になりました。
▶ 被害者になりたくない、弱い人間にはなりたくないとずっと思ってきたので、被害者=弱者がしみついていたと思います。今の印象は弱いとか嫌だといった感じはしなくなりました。特に何とも思わない。。まさにニュートラルな感じです。
▶ 加害者は暴力的な強者で悪者であり、被害者はみじめな弱い犠牲者みたいな、どちらも一方的で極端なイメージだったのが、だいぶニュートラルな印象になってきました。
▶ 加害者と被害者の設定をしなくなれたので、誰かを責めたりする必要がなくなった。
▶ いつも自分だけ耐えているという感覚から脱却して、関係性に位置付けする癖が無くなった(減った)ように思います。

5.シャンティヴェーダを受けようとご検討している方に向けて、一言メッセージをお願い致します。

▶ 被害意識が強かった自分が変われました。オススメします。
▶ 自分の変化にビックリしています。オススメします。
▶ 今まで受けたエネルギーワークの中で、最も深いレベルでハートの癒しが起きた感じがしています。私の場合、長年許せなかったものが許せたことに伴い、慢性化していた体の痛みにも癒やしが起きましたし、何より、ようやく重荷を下ろせてホッと安堵しました。このワークは、効果はパワフルなのに、心身が激しくショックを受けることなく、穏やかに変化していける点がとても良いと思います。人間関係で消耗する度合いが減ると思うのでどなたにもおすすめしますが、特定の出来事で長年、自分や他人を責めてつらい思いをしている方には特におすすめします。
▶ 自分で思っている以上に被害者加害者の意識に囚われていたんだという事がしみじみとわかりました。何かのせいにしない生き方はとても楽なことだと改めて思います。日々のストレスレベルが格段に下がりますよ!ぜひおすすめです。
▶ シャンティヴェーダを受けて、被害と加害の概念自体が消失して、そこにはまっていた自分の過去に対する深い癒しが起こりました。どうしても陥りがちな、被害者と加害者のループから出ることができる、とてもパワフルなLOVING だと思います。
▶ 被害者と加害者の体験を一つ一つ思い出すと鮮明だった記憶と感情が薄れていました。まるで魔法のようだと感じました。
▶ 私自身がそうですが、みんな加害者と被害者を繰り返していることですが、たくさんの感情や想いを体験し、たくさん傷ついてきたと思います。もう、十分経験し、苦しみを終わりにしたいと思う方、受ける前と後では全く観える世界が違います。魂の目で周りの人、日本を、世界がみえる。日常でも変化を感じます。ここまでこれたことが、とても嬉しくて、生きていて、あやさんが構築してくださったシャンティヴェーダを受けれたことは、人生の醍醐味です。とても幸せです。自力では無理なので、他力を使うほうがよいし、本当にお薦めです。余計なエネルギー消耗がなくなるので慢性疲労にもよい感じで、自分にエネルギーを使えるので現実創造がしやすくなるんじゃないかと思います。私は、今いる場所は、重力で過去にいる場所のことが多く、そこから次元上昇した感じで、優しく上に引き上げてもらった感じです。
▶ 被害者体験、加害者(にされた)体験にまとわりつく感情、感覚、思い込みなどが拭き取られて、軽くなります。今、ちょうど父母の介護問題で、過去と向き合い、現実と向き合い、が増えてきています。正直、自分はまだまだと感じる日々です。
▶ 「和み」の輪に包まれた感覚になりました。結婚してから50年以上このループにハマっていましたが、スッキリ軽くなりました。是非軽くなって頂きたいです。
▶ あやさんが一押しのワークで根底になる部分。ここが解除されていることが大切!ということなので受けておいたほうがいいと思います。自分では意識してない部分も絶対に解除されると思うので、本格的に自分を癒したい人は受けておいた方が後々スムーズなのだと思います。もしかしたら、自分は気づかないふりして、べったり被害者加害者意識をくっつけているという可能性もあるので。
▶ エネルギーレベルでの解決は、そういえば…というとてもさりげない感じでおこるのに、もう戻らない戻れない、という感覚だと思います。2回目の施術を楽しみにしています。
▶ 自分はずいぶんと被害者加害者意識に囚われていたんだな、、、と思いました。頭では納得していたはずの諸々が腹に落ちました。そして、気が付かぬ間にどこかへいきました(笑)長年手放せないでいる嫌な感情がある方におすすめしたいです。
▶ 被害者体験、加害者体験をして苦しい思いをしている人はたくさんいるように思います。そういう方にぜひ受けて楽になってもらいたいです。
▶ 長年解放されたくてもされなかったところに届く素晴らしいワークでした。重い物を外してもらい軽くなりました。本当にありがとうございました。
▶ 私自身アダルトチルドレン(いわゆる毒親の元育った)のですが、そのような自覚がある方や、自分が悪いことをなかなか認められない方は受けてみられると良いと思います。
▶ 今世でもかなりの被害者、加害者をやっていましたが、過去世でもかなり被害者、加害者をしてます。何回か受けて欲しいLOVINGです。
▶ 自分の中にある思い込みを意識化して自覚できるようになるためには助けになるかなとおもいます。
▶ 自分が被害者になっていると気づいていても、自分自身が招いているのだろうと感じていても、そこから抜け出す手立てがなかった。被害者加害者のスパイラルは長年ハマってきたテーマだったが薄れてきたように思う、2回目にも期待!ありがとうございました。
▶ 加害者も被害者もいない。その概念さえ無くなるということは、世界から敵が居なくなるという事だと私は感じています。そして目の前にあるもの全ては自分が創り出している事が腑に落ち、創造的な生き方に繋がっていく。。シャンティヴェーダは創造の世界へ踏み出す入り口の扉です!
▶ 集合無意識の影響が一体どれほど私たちに影響を与えているのか。この度の一斉ワークを設けてくれて、被害者加害者に対する知識を得ただけでもとても勉強になり有り難いなと思いましたが、シャンティヴェーダを受けたら、知識だけでなくそこから脱却して軽やかに生きていくという新たな選択肢が出来たように感じます。新たな選択肢が出来た感覚というのは、知識だけではなく実際にエネルギーレベルで取り組んだからこそ、その感覚になれたんだと思います。
▶ ずっと被害者として依存的であることに罪悪感を感じていましたが、必ずしも被害者でないことが納得でき、また加害者にされていても、恐れず責任を取っていく気持ちになれました。どちらの立場も等価であり、ただ違いがあるだけと思えて罪悪感から自由になれたので、ためらわずクリエイティビティを発揮していこうと思えたことが一番うれしいです。そして特定の立場にある人を責めなくて良くなったのが楽です。シャンティヴェーダは、加害者被害者のループから抜け出て自力で歩こうとする人への後押しをしてくれるように思います。
▶ 被害者加害者の渦中にあった時はそこに全エネルギーが注がれていて正直辛かった。頭で分かっていても、分かっているからこそまた注がれてしまうエネルギーの消耗をみて自分を責めていた。しかしこの施術以降、世界がまったく変わった。へんな言い方だけどとっても暇になった感覚。忙しくエネルギーを注いでいたかったのかなぁと、そんな私も赦したい。おうちにいるのに、穏やかで大自然の温もりと一緒にいるような何もすることがないゆとりを感じる。これからもどんな感覚に触れられるのかが楽しみです。別世界を楽しんでほしいです。
▶ 多かれ少なかれ誰でも被害者、加害者の問題はあると思います。周りを見ていてそれが無い人は見たことありません。当たり前のようになっていてなかなか自分では気づかないと思いますが、このループの中に居るのと外に出るのとでは、人生が大きく変わると思っています。あまりこういう問題は無いかも、、と思う方も受けて見られることをお勧めします。
▶ ニュートラルな気持ちになることって難しいと思う。被害者、加害者から抜け出すのって苦しいしむずかしいと思う。気持ちの整理が何年も掛かっても出来ない事が多いから。受けると、楽に今の自分を状況も過去のことも本当に認められるので受けることをお薦めします。本当の魂の自分に気付くのがいちばんの幸せになるベストな道だと実感が湧くから。
▶ 世の中が色んな意見にあふれる中、物事を冷静に見たい方や感情に振り回される自分から脱却したい方にいいと思います。
▶ 物の見方がフラットになれて、すごく楽に生きられる様に変われると思います。オススメします。
▶ シャンティヴェーダを受けて、自分の事情も相手の事情も良くみえるようになりました。どうして自分を含むその現状が起こってしまったのか、起きた物事の背景がわかって自分がそれを納得することで、被害者として加害者として、怒りや悲しみを抱えて苦しい自分を解放できるのだと思います。相互理解と許しが自分を前に進ませてくれるのだと思いました。今までの苦しみ悲しみを納得して前に進むだけでなく、今起こっていることについても自分側相手側の事情をお互い解り合って、必要な行動や許しができれば、被害者加害者は生まれないと思いました。自分が以前より楽に、生きやすくなりました。また、この人生が『自分の選んだ(引き起こした)道』であるのだということが初めて腑におちました。ありがとうございました。
▶ 自分にとっての責任がなんであったのかがわかりました。嫌なことがたくさんあったけど、自分がつくってきていたのだと気づけました。受けてよかったです。
▶ 幼少期などに理不尽な目にあってきたと思える人には特にオススメです。自分のなかで、生きるために無意識に身につけてしまった被害者加害者の役割や視点によって、自分自身が自分を苦しめ不自由になっていた枷をほどいてもらえました。そこから身動きできなかったものが、被害者でも加害者でもなく、ニュートラルに歩んでいける状態になります。受けられてとても楽に軽くなれてありがたかったです。自分では抜け出せない負のループでした。無自覚なものが多い場合ほど、効果的に思います。とてもオススメです。
▶ 特に、家族関係で悩んでいたり、いじめられて悩んでいたり、悪口を言われたなどから自分を責める気持ちがある人にオススメです。ループから抜けて一歩踏み出せると思います。
▶ 被害者加害者というものにより、思っていた以上にエネルギーを消耗していたのを感じました。終わらないループや捉われから抜け、より軽く進んでいくように促すLOVINGであると思います。
▶ 弱い立場のままだという思い込みや、他者や出来事に対するこちら側の勝手な判断がなくなるので、気苦労がなくなります。
自分の嫌な面、意地悪な面を見ることが嫌でしたが許せました。
▶ 受けた直後は変化が分からなかったり、これまでとは違う世界線にいくので混乱したりするかもしれませんが、確実に芯が強くなって成長できます。1回だけだとモヤモヤが残りそうなので、2回受けたほうがスッキリするかも! 自分ではどうにもできない無意識の部分にアプローチしたい方はおすすめです。
▶ 被害者と加害者が存在する世界ではない新しい世界がこんなにも穏やかなエネルギーに包まれるという事を知りました。これはとても深い領域を終わらせる事ができる素晴らしいものだと感じました。シャンティヴェーダは誰にでも必要なのではないかなぁという感じがしました。1人でも多くの方々に届くといいなぁと思います。
▶ 気負わず、当たり前の平穏を自分の中に得たい方におすすめします。きっと世界が変わります。
▶ 被害者加害者意識から脱却し違う世界でニュートラルに生きていきたい方にお薦めします。
▶ 私は受けて楽になりました。軽くなった感じです。
▶ ありとあらゆる心理療法など受けてきましたが、被害者意識は奥底に根深く残っていましたが、シャンティヴェーダを受けて、その鎖がだいぶ紐解けてきたような気がします。長年苦しんでこられた方に受けていただきたいと思いました。
▶ シャンティヴェーダを受けた後、忘れていた過去の出来事(被害者か加害者に関することだったと思います)を思い出し、こんな事もあったな~と思うことがありました。思い出しても嫌な感じはせず、何で急にそれを思い出したのか不思議に思いました。思い出した内容は、すぐに忘れてしまったんですが、後から、シャンティヴェーダを受けたから思い出し、癒されたのかなと思いました。心が穏やかになりました。
▶ あれこれ考え過ぎることが減り、だいぶラクになりましたよ。
▶ 犠牲者としてのパターンを感じているのなら、受けてみることをおすすめします。私はハートの周りを覆っていた重くて黒い雲みたいなものは、その状態が当たり前すぎてその状態しか知らないから、軽い状態というのは想像できなかった。受けてみてはじめて分かった軽さです。
▶ わたしは、愛されないより愛せなくなった時、許されない方より許せない方が苦しいと思います。相手がどうかではなく、どんな時も寛容な気持ちでいられる自分でいたいと思っていましたが、ものすごく気持ちが楽になることが出来て嬉しかったです!
▶ ぜひ、受けられて重荷をおろし、幸せになってほしいと思います。
▶ シャンティヴェーダは、自分が経験したイヤだった事をした相手を客観的に見れるようになります。私自身がその事から何かを学ぼうとしてたんだという感じになるので、加害者、被害者という関係で物事を考えないようになります。
▶ すごく軽くなります。被害者意識を持つつもりがなくても、どこかで影響がありました。なので、受けると体感でわかると思います。
▶ 受けて良かったです。ありがとうございました。
▶ 怒りが随分おさまります。怒ると自分の健康を害するので、自分のために受けてみてはいかがでしょうか。
▶ シャンティヴェーダを受けた後、両親に対する凝り固まった被害者意識が解消されました。こじらせすぎて一生つづくのかと思っていたほど頑固な意識だったので、とても驚いています。私にとっては本当に必要なものであったとしみじみ感じています。
▶ 人間関係の悩みを抱えている全ての人に、加害者被害者設定を解放することがとても有効だと思いました。
▶ 受ける前は、ディープで向き合うのに抵抗の強い テーマだと思いますが、受けさせて頂けて、感覚として理解でき、過去の悔しさに囚われなくなって、本当にやりたいことに意識が向き、消費してしまっていたエネルギーを注げるようになりました。もったいないことに、すごくエネルギーを消耗させていたんだと思いました。受けられて本当によかったです。ぜひ受けられてほしいな、と思います。
▶ シャンティヴェーダを受けて、思考がぼんやりして平穏、幸福感でいっぱいになっていましたので、感想にちゃんと答えられるか心配でしたが、意外としっかり考えました。私がシャンティヴェーダを受けて一番喜ぶのは主人かなぁと思います。私がただ幸福感に浸っている、それは主人にとっても平安そのもの。チャンスがあれば何回でも受けたい施術です。ぜひお申し込み下さい!
▶ シャンティヴェーダを受けようと決めたとき、私が対人面で身動きが取れなくなっている要因の一つとして、被害者、加害者のループが怖くて、人や集団、組織など世の中と関わる事が怖くなっていることに気が付くことができました。もうそんな世界で生きたくない。もう終わりにしたい。という心の叫びでもあり願いでもありました。そして、それが今叶っています。目の前には変わらない風景があるのですが、受け取り方や自分自身への影響、感じ方が全く違います。ほっとしています。やった、やられたの世界を終わりにしたい方にお勧めです。
▶ 今まで、もがき苦しみながら生きてきたと思っていました。でもこれは自分が求めて経験したかったんだろうな~と思え、頑張った自分を褒め称えたくなりました。(卒業!のときが来たからこのワークを受ける機会が来たのでしょう)べったり張り付いていた集合意識から外れるとなんと軽い事か!とにかく恨みから解放されるとひとりでにニコニコになります。ニコニコ、軽やかを是非とも経験していただきたいです(^_-)-☆
▶ 被害者意識や加害者意識を少しでも持たれているかたがいたらぜひ受けていただきたいです。見える世界がとても温かくなります。
▶ 被害者加害者で生きていると、とっても疲れます。人と関わる事が苦手な方や、人間関係や恋愛に疲れている方にもオススメです。施術後、とても体が軽く思考がシンプルになりました。周りがクリアな優しい世界になります。自分を赦せなかったのは一番自分だった事にも気付けました。
▶ 値段以上にパワフルなLOVINGだと感じました。おすすめです!
▶ 被害者、加害者という捉え方は、どれほど感情が揺さぶられ、ストレスを生むものか自明ですが、この施術を受けると、元が解放されるので、楽になると思います。その分、ドラマは減るかもしれませんが、心の平和が得られるでしょう。
▶ シャンティヴェーダを受ける前は想像もしていなかったようなことですが、加害者被害者というものがいかに身近に自分に存在し続けていたか気づいたのと、その重い意味付け、それに実はいつまでも囚われていたか、いうなれば幻の鎧を着て生きていたことに気づきました。それは着ているときでなく、脱がされて初めてその存在に気づきました。軽やかに生きて行けそうです!私にとってシャンティヴェーダはそんなLOVINGでした!
▶ 最近、もはや 心理学の世界だけでは、読み解けないようなカルマが自分の中から出ているように感じています。「被害者加害者」は、私にとってもずっとテーマで、こちら拝見してすぐお申込みをさせて頂きました。被害者意識を持っている時は、本当の幸せを感じられない。本当の意味でそれを手放した時に幸せなのは、自分なのだ。と思っています。今の時期と相まってなのか、とてもパワフルです。必要な人は理由なく必要だと感じると思います。その感覚にどうぞ従ってみて下さい。
▶ 受けた方がいいと思います。なぜなら、自分にとって当たり前の考え方が、実は精神に負担がかかっていることがあります。私の場合はこちらの施術を受けたことにより、普段の状態が重いことに気がつきました。また、朝起きると、あれ?いつもと違う。なんか世界が違う。と思いました。自分の無限の可能性をより信じられるようになりました。前向きに人生を考えられるようになりました。変わりたいと思ってる人は一度、受けてみてください。
▶ 被害者、加害者、その家族の方々には特に、シャンティヴェーダが気になった方には是非受けることをお勧めします。
▶ このテーマを扱ってるものを他で見ないので、取り組んでたり気になるなら1度受けてみると良いのではと思います。
▶ 自分が悪かったかもしれない。という自己卑下が強い人にはすごく自分を楽にしてくれるのではないかと思います!そういう自分が悪いをなくすだけでも現象化がなくなるので、抜け出せるんだろうなって理解も凄く安定しました!
▶ 被害者、加害者は、事象ではなく、人の心が生み出すものだと分かりました。その意識を持ち続けると、心が重く、自分が潰れますが、この施術を受け、棄てる喜びを知りました。自分ではなかなかここに達することはできません。苦しい方は是非シャンティヴェーダを受けて頂きたいと思います。
▶ これを受けた翌朝、子供の頃にもどったような「軽やかで晴れやか」な気持ちで目が覚めました。ものすごく心が楽に軽くなりました。被害者加害者の問題は、自分を取りまく世界と自分自身の関係に深く存在しています。だれかのせいにしたくなったり、罪悪感で自分を責めたりといったことは、日常生活の中で起こりがちですが、実際にはその要因は自分自身の心の中にあったのだということに深く気づいて赦すことができて、自然と手放して軽くなることができる素晴らしいヒーリングでした。毎日なんとなく閉塞感がある方にも是非受けてほしいヒーリングです。罪悪感を手放せばこんなに軽くなれるのだ、と実感しています。
▶ 加害者被害者という言葉は自分にはあまり関係ないと思うかもしれません。受けてみて分かったのですが、自分を守るための無意識の行為が、自分も相手も傷つけていました。そして、加害者意識につきまとう罪悪感は自分の自由を奪っていたことに気づきました。このワークで、奥深い部分の開放と多くの気づきを頂きました。是非、体感して頂きたいです。
▶ 紹介されている通り、優しいLOVINGでした。申し込みか入金したときから既に始まっていて、気づきも起きて人生においてニュートラルな場所に立てました。より淡々と事実を受け止められるようになる、というのもとても実感していて、振り回されなくて楽になります。紹介文にあるように、依存や被害者意識に自覚があるなと思われた方、おすすめです。
▶ 自分も周りも、少しニュートラルにかかわるように感じます。
▶ 被害者意識が強いのでは、と娘に言われて、この度施術を受けさせていただきました。はっきりとした変化は申し上げにくいのですが、加害者意識があったのだと気づくことが出来ました。そのために、罪悪感があり、その相手から言われたことには逆らえないのだと無意識で動いていたようです。「もう嫌だ、こりごり、ずっと繰り返していかなくてはいけないのか」と絶望感でいっぱいでしたが、これからは私の人生なんだ、と強く思いました。日に日に元気になるように思います。これが、この施術の変化なのでしょうか。
▶ 施術中からふんわり優しく軽やかな温かさが流れてきたのを感じました。感じられたことに、嬉しく思います。このループから抜けたら、こんなにも周りに愛が溢れているのか!と気づけるそのよろこびを体験してほしいな、と思います。ダイヤモンドリバティもそうでしたが、この金額のお金を払っただけで、長年の悩みからあっけなく解放されるのであれば、正直安いです。ただ、この金額設定だったので、躊躇なく申し込めたのも事実ではありますが(笑)自分が、このループを持っていないと、たとえ持っている人と一緒になることがあっても、巻き込まれることがないように感じています。相手が起こそうにも起こせない、そんな感じになるのかな?と思いました。

ご感想枠2下ブルー

*以上の文章の著作権は、Freedom Destinyに帰属します。こちらの内容を一部引用でも転載する場合は、必ずFreedom DestinyのHPリンクを貼り、引用部分、引用元を明記してください。
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