《夜エッセイ 交換って愛じゃない?》

 

わたし。ある時までずっと

交換って愛じゃないと思ってました。

 

だから、お金が絡むと愛じゃない。

無償の部分にしか愛を感じられなかったのです。

 

お金が絡むと、『所詮、商売よね』

『所詮、お金が発生するんだよね』

とやさぐれていました。

 

今思うと、とっても失礼だったと思います。

 

なぜって、それは、人の価値に対して

『お金払わないで、それをくれたら、愛と認めてやる』

って言ってるのと、同じことだからね。

 

まあ〜。。。本当に

こういうワガママで傲慢な時代を経て

今があると思いますが

そもそも、この考えにはお金に対する

問題が含まれています。

 

お金を払わない方が得

と思っているのですね。

 

誰かに対してお金を払うということは

正当な価値を誰かに与えていると

いうことになります。

 

同時に自分の価値も正当に評価されます。

 

こういう時にお金と価値を

交換するということが

発生しますよね。

 

この交換ということ

愛ではないと思っていると

お金を得ることも苦手です。

 

自分の価値に対して

そのまま正当な評価を受けることは

ある意味、交換になります。

 

交換が愛ではないと思っている。

それは尽くしてくれる一方的な愛というのが愛

だと勘違いしている状態で

それは犠牲ということや、一方的に思い通りになる

ことを愛と勘違いしているので起こります。

 

だから、お金を受け取ることができない。

交換が愛だと思ってないから

愛じゃないことをしたくないからです。

 

一方的に尽くす人というのは

どこかで、一方的に尽くされたいという

依存願望がある人です。

 

交換というのは、ある意味フェアを大事に

している関係性で

自分にも他者にも優しい関係性です。

 

交換を嫌わず、そこにある愛を見出していくことで

平等は自分で創り出すもの

であることがわかるのです。